PACIFIC WAY

フィジー・クーデタ、その後
  −2001年新憲法の制定へ−

苫小牧駒沢大学 国際文化学部
助教授 東  裕(ひがしゆたか)


はじめに
 
 ライセニア・ガラセ(Laisenia Qarase)を首相とする暫定文民政権が発足(2000年7月18日)してから4ヶ月経過し、その間にフィジーの立憲民主制の回復に向けてのいくつかの重要な政策が発表された。なかでも最重要課題が原住民フィジアン・ロトゥマンの諸権利を保障し、かつフィジーのすべての民族の権利を保障する新憲法の制定で、政府はこの目標の実現に向けて「憲法委員会」(Constitution Commission)を設置し、来年2001年3月までに同委員会は首相に報告書を提出、6月までに新憲法草案を作成、12月のはじめには新憲法を公布し、再来年2002年の3月から6月の間に総選挙を実施する方針を明らかにしている(PRESS RELEASES, 6th, October, 2000)。本稿では、これまでのガラセ政権が明らかにしてきた主要な政策文書を取り上げ、その中に示された新憲法構想を分析し、今後のフィジー政治の動向を展望するものである。
 
1.ガラセ政権の基本政策
 
 7月13日にガラセ首相は大酋長会議(Great Council of Chiefs)に対し、「フィジアン及びロトゥマンの権利及び利益の保護と両民族の発展の推進に向けての青写真(以下、青写真と略す)」(BLUEPRINT FOR THE PROTECTION OF FIJIAN & ROTUMAN RIGHTS AND INTERESTS, AND THE ADVANCEMENT OF THEIR DEVELOPMENT)を提出した。この青写真は、フィジアンとロトゥマンの権利及び利益の保護に関わる重要問題と両民族の発展の推進と加速化に関わる提案を扱い、その多くは今後2年間での実施を予定されているが、なかには10年間の長期にわたるものも含まれている。このような、原住民の権利及び利益保護のための方策が提案された背景については次のように記されている。
 「原住民のフィジアンとロトゥマンはフィジー諸島の人口の51%以上に上り、その数は1996年の国勢調査によれば、全国民人口の増加率が年率0.8%であるのに対し、その2.25倍にあたる年率1.8%の高率で上昇を続けている。両民族はまたフィジーにおける主要な土地所有者であり、伝統的所有権に基づく所有地は国土の83%に及び、そのほかに伝統的漁業権も有している。したがって、彼らに影響を及ぼすことがらは何であれ、全国民に影響を及ぼすことは間違いないのである。両民族の利益の至高性と彼らのフィジーにおける生活のすべての局面での公平な参加を確保することは、フィジーの長期にわたる平和と安定と持続的な発展の前提条件になる。必要なことは、こうした目的の達成を容易にすることができる環境である。この青写真が提供しようとするのはこれである。すなわち、原住民フィジアンとロトゥマンが、フィジー諸島共和国という単一国家の中で自らの自決権を十分に行使できるようにすることである。我々の多民族・多文化社会において彼らの利益の至高性を保護し、そしてフィジアンとロトゥマンにたいし、その発展と参加の機会及び快適さとサービスを改善し、促進することである。」(The Review, July 2000, p.30)
 このように述べて、原住民の土地所有権・漁業権の保護と生活の諸側面における参加の機会の確保が、フィジーの発展にとって不可欠の前提条件であるという立場が鮮明に表現されている。その上で、
 @命令による立法行為(Legislative Action {by Decree})、および
 A政策の方向(Policy Direction{by Cabinet together with Budget provision,   where needed})、
という二つの側面から具体的な提言がなされている。そこで、@の命令による立法行為の対象として第一に挙げられているのが新憲法である。すなわち、「ここでは2001年7月24日に新憲法の草案が明らかにされ、その中でフィジアンの一致した願いである国家の指導的な地位にある国家元首(大統領)と政府首長(首相)の職が常にフィジアンによって占められることになる。新憲法はまたフィジアンとロトゥマンにとって重要な他の諸問題についても大酋長会議によって承認された委託条件に添って言及する。それが新憲法であることが強調される。」(The Review, July 2000, p.30)
 このように、新憲法においては1997年憲法とは異なり、大統領と首相については人種要件が付されること、大酋長会議の意見に添ってフィジアンとロトゥマンの重要問題について憲法上の配慮がなされることを基本方針としている。そして、その他の憲法関連する事項としては、大酋長会議の権力強化、新憲法条項に基づいたフィジアンとロトゥマンのためのアファーマティブ・アクションに関する法律の制定が盛り込まれている。
 
2.1997年憲法の「欠陥」
 
 9月4日に「なぜ1997年憲法が改正されなければならないか、なぜ新憲法が必要か」(WHY THE 1997 CONSTITUTION MUST BE CHANGED AND WHY A NEW CONSTITUTION IS NEEDED)という政府見解が発表された(PRESS RELEASES, 04 September 2000)。それによると1997年憲法に対し次のような評価が下されている。
 
 1997年憲法の草案が同年に大酋長会議に提示され、国会で満場一致で採択されたとき、あたかもフィジーにとって究極の理想的な憲法ができたかのように見えた。その後、昨年(1999年)5月に1997年憲法の規定に従って総選挙が実施された。振り返ってみるとこの選挙は、とりわけフィジアンにとって、1997年憲法が、政府や政治の場において、フィジーにおける原住民コミュニティーとしてのフィジアンの将来を保護し確保するための真に最善の憲法であるかどうかを示す全能の神による祝福であったと、我々は今になって言うことができる。
 
A. 選挙制度の欠陥
 1999年5月の選挙の中で1997年憲法は、次のような欠陥をあらわにした。
 (1)この憲法の下での選挙制度は選挙人個人よりも、むしろ政党を選択し議席を割り当てることを許すもので、そのことが個人の選挙人の権利を侵害した。それが委ねられるべきは個人である。
 (2)選挙制度はゆがめられた結果を生みだし、そのことによっても個人の選挙人の権利を侵害した。すなわち、
 ・SVT:全フィジアン票の38%、投票総数の19.98%の得票で、8議席。
 ・FAP:全フィジアン票の18%、投票総数の13.20%の得票で、11議席。
 ・NFP:全インド人票の27%、全有権者の14.91%の得票で、0議席。
 ・FLP:全インド人票の53.3%、全有権者票の31.74%の得票で、37議席。
 (3)フィジー労働党(FLP)は、全有権者の32%に満たない票を得たに過ぎないが、議席数は過半数の37議席を獲得し第一党となった。この37議席のうち6議席がフィジアンで、彼らはインド人選挙人の多数の支持を得て全国民議席(National Seat)で選出された。選挙結果がこのようになったのは、インド人の選挙人がインド人としてまとまって投票したためであった。一方、フィジアンの選挙人は、5つの政党と無所属に分裂した。フィジアン票が分裂しインド人票がまとまるという現象は、同盟党が敗北した1977年と1987年の選挙と同様であり、1999年にはS VTの主導する政府が敗北した。

 (4)当選者が小選挙区で選出され、3つの異なる民族別議席の選挙区と全国民議席は、同じ地理的区分をカバーするものではなく、ある選挙区から選出された下院議員は国民に奉仕する際に協働しなかった。その結果、インド人の議員は選挙区のインド人に、フィジアンは選挙区のフィジアンのために集中して奉仕する傾向が見られた。そのため、議会においては議員がある選挙区のすべての人々のために複合人種集団として協働するようにはならなかった。これは1970年憲法と1990年憲法の弱点であり、1997年憲法でも改められなかった。シンガポールにおいては、グループ選挙区(multi-member constituencies)が選挙区の中の複合人種集団の代表を促進するために使われている。これによって異なった人種の国会議員が協働して国民に奉仕することを促すのである。

B. チョードリー政権の問題点
 フィジアンの人々にとって何よりも重要なことは1999年5月の選挙が、1997年憲法がフィジアンの民族としての将来を保護するための十分な基礎を保障するものではないことを示す結果を政府の中に生みだしたことである。憲法は非フィジアンの首相を生み出し、その首相は数ヶ月のうちに市民サービスのなかに変化をもたらし、反フィジアン的で、かつフィジアンの利益に対して偏見を持った諸政策が導入された。フィジアンは複数政党内閣の中で多数を占めていたが、しかしヴィジョンと政策の方向を定め政府を動かすのは首相である。国民連立政府の中で首相は主要閣僚をコントロールした。彼はインド人の公務員を主要な地位に異動させていた。彼はインド人公務員のネットワークを通じて操作した。次に掲げるのが、反フィジアン的と認識される彼が導入した政策の例である。
 (a)立ち退いたサトウキビ農業者には28,000ドルの現金供与が行われたが、新たにサトウキビ農業を開始しようとする(フィジアンの)土地所有者にはなんの援助もなかった。
 (b)800万ドルの貸し付けを現金による供与に転換して、サトウキビ農業者の福祉救済援助にしたが、1997年の干ばつとそれに引き続く洪水の被害を受けたサトウキビ農業者ではない人々には何も与えられず、そのほとんどがフィジアンであった。
 (c)土地使用委員会(Land Use Commision)に固執し、大酋長会議の見解には敏感でなかった。
 (d)大統領がNLTBとNLCの助言に基づいて行動するとした原住民土地信託法(Native Land Trust Act)の規定を緩和する効果を持つ憲法改正案は、国有地をフィジアンの必要性を満たすために留保している。提案されている改正は、もし実現すれば、原住民土地法によって大統領の処理に委ねられる問題さえも大統領が内閣の助言に従って行動しなければならなくなることを意味する。

C. 新憲法の必要性
 結局フィジアンにとってはっきりとした結論は、我々はフィジアンのためによりよい憲法的保護を与えるような新しい憲法が必要であるということである。1997年憲法が示したことは、フィジアンが議会と政府で多数を占めているにもかかわらず、フィジアンが多くの政党に分裂しすぎていたため、政府の政策にほとんど影響を与えなかったということである。なかでも最も重要なことは、フィジアンが政府の首長という鍵となる重要な地位をコントロールしなかったということである。大統領、すなわち国家元首の地位は重要ではあるが、しかしそれはほとんど儀礼的なものであり、憲法の下で大統領は内閣の助言によって行動するのがふつうである。首相すなわち政府の首長のポストが重要である。それは、首相がヴィジョンと諸政策の方向を提示し、そして政府を動かすからである。もしフィジアンがフィジーにおける自らの安全のために憲法的及び政治的枠組みを強化しようとするなら、彼らは二つの鍵となる重要なポジションである首相すなわち政府の首長と大統領すなわち国家元首の地位に対する彼らのコントロールを容易にするような憲法をもつべきである。彼らがこの二つのポジションをコントロールするとき、初めてフィジーにおける経済的及び社会的生活のなかでの平等かつ公平な参加のための諸政策を通じて、その総体的な安全を強化することができる。
 
3.危機の原因と克服
 9月17日にガラセ首相は、「フィジーの政治危機の解決のために」(RESOLVING THE POLITICAL CRISIS IN FIJI)というプレスリリースを発表し、フィジーの置かれている危機の発生原因を分析し、今後暫定政府がとるべき政策の基本方針を明示した(PRESS RELEASES, 17th September 2000)。以下にその全容を紹介する。
 
A. 現在の危機の原因
 ガラセ首相は、現下の政治的危機は次の3つの事件から生まれたものであると認定する。
 (1)2000年5月19日のクーデタ。
  チョードリー首相率いる民主的に形成された連立政府が力によりその職を追われ、閣僚と国会議員が56日間にわたって議事堂内に監禁された。
 (2)2000年5月29日のフィジー国防軍による1997年憲法の廃止。
フィジー国防軍は市民の安全及び国家の安全と統合を守る必要から行動した。法と秩序が破壊され、大統領と家族に直接の危険が及んだ。そのため、フィジー警察の要請を受けて、フィジー国防軍は国を直接コントロールすることを決定し、マラ大統領の辞任を求めた。そして一部地域に戒厳令を布告し1997年憲法を破棄した。
 (3)首都スヴァを初めとするいくつかの地域で発生した大衆による財産の略奪と破壊。
  被害地域では住居の安全が脅かされ、避難キャンプに移転を余儀なくされた家族もあった。犯行を行ったのは殆どがフィジアンで、犠牲となったのはインド人であったため、事件は人種間の関係に重大なダメージを与えた。
  その結果、7000人を超える人々が職を失い、公務員給与は12.5%削減されるなどの経済的な影響もでたが、9月の時点では投資家も戻りはじめ、主要産業の一つである観光業も回復の兆しを見せ、雇用も回復しはじめている。そのような状況下にあって、目下の未解決の問題は政治的・憲法的危機の解決である。この問題の複雑さは、主要な2大人種である原住民フィジアンとインド人のコミュニティーが、現在、文字通りお互いに闘っているという事実から発生している。

B. 危機解決の選択肢
 この解決のために暫定政府が政府外の政治指導者や政党の提言を加味して提示している主要な選択肢は、以下の通りである。
 (選択肢1)チョードリー自身が推進しているもので、1997年憲法と人民連立政府(People's Coalition Government)を復帰させるというもの。
 (選択肢2)ツペニ・バンバ(Dr Tupeni Baba)博士と人民連立(Peaple's Coalition)のフィジアンからのもの。1997年憲法の下で復帰した議会のなかの政党で国民統合政府(Government of National Unity)を作るというもの。
 (選択肢3)フィリップ・ボレ(Filipe Bole)によって進められているもので、インド人コミュニティーのメンバーのなかからもいくらかの支持が得られるものと理解されている。これは憲法委員会が1997年憲法を基礎として改正を行うことに賛成するもので、1997年憲法のそのままの形での回復には賛成しない。改正1997年憲法は新憲法となり、そしてこの新憲法はフィジアンが政府首長と国家元首という指導者の地位を占めるという社会契約を伴う。この選択肢は主に手続き面に関するものである。新憲法は、1997年憲法の改正憲法の形を取るべきであって、それはちょうど1997年憲法が1990年憲法の改正憲法であったのと同様である。しかし、1990年憲法は新たに制定された憲法であって、1970年憲法の改正憲法ではなかった。
 (選択肢4)大酋長会議が賛成し暫定政府によって採用されたもので、1997年憲法の復活ではなく新憲法が制定されるべきだというもの。これは憲法委員会で着手されることになっていて、そこにはすべてのコミュニティーの代表が参加し、広く一般の人々からの提言を受け入れようというものである。憲法委員会は1997年憲法を主に参照しつつ新憲法を考える。暫定政府が設立する「国民の和解と統合の会議」(National Reconciliation and Unity Council)は、政府首長と国家元首レベルでのフィジアンのリーダーシップという考えを推し進め、そしてそれによって下位レベルでのすべてのコミュニティーによる権力の共有を援助できる。この考え方は、1997年憲法のコンパクトを基礎とした社会契約として具体化される。
 
C. 暫定政府の立場
 大統領自身、および大統領を通じてそして大酋長会議からその権威が由来している暫定政府の立場は次のようなものである。
 (1)フィジーにおける政治危機は、「対話と合意」(dialogue and consensus) によってフィジーの人々自らの手で解決できるものである。フィジーが 外国政府や海外機関から必要とするものは、支持や干渉ではなく、我々 の状況の複雑さについての理解であり、そしてフィジーの人々が2年間 の暫定政府の枠組みのなかで解決に向けて働くことを許す忍耐である。
 (2)5月19日のクーデタ以前の状況への復帰はプラグマティックな解 決ではない。1997年憲法、およびチョードリー首相率いる人民連立政府、 すなわち1997年憲法下の議会による国民統合政府の復活は、原住民フィ ジアンのなかに幅広く存在する不平不満の感情に再び火を付けるだろ う。
 (3)善意の使節や特別の外交団など、どんな形であれ外国からの干渉 がないことが実際の役に立つだろう。貿易制裁や強い制裁措置は、いた ずらに罪のない人や貧しい人々などを傷つけるだけである。それは インディアンコミュニティーに対するフィジアンの意見を硬化させるだ けである。というのも、とくに海外からのより多くのより強い制裁措置 を望んでいるのは主にインド人であるからである。これは憲法の改正に 助けとはならないだろう。そして60%以上を原住民が所有しインド人が 耕作する農地の借地権期限満了問題の解決にも役に立たないだろう。
 (4)中心的・核心的問題、すなわちその将来の政治的地位についてフィ ジアンコミュニティーのなかにある心配や不安といった感情に対処しな ければフィジーの政治危機の真の解決はないだろう。我々がこの問題を 処理しなければ、永続的な平和、調和、および安定がフィジーに訪れる ことはあり得ない。我々がこれを行わなければ新憲法はまた失敗に終わ るだろう。次のポイントは再び強調される。すなわち、原住民フィジアン は人口の52%を占め、年率1.8%で増加しているが、一方インド人人口 は43%に低下しなお減少傾向にある。それは海外移住と低出生率による ものであり、年間増加率は0.3%である。
 
D. 原住民の不安の原因
 原住民フィジアンのなかにある強い不安感の原因はこれである。1997年憲法は、「良き統治」(Good Governnance)の枠組みとして、すべての市民と集団に平等な基本的権利と自由を保障するものとして、そして慣習的土地所有、彼ら自身の分離された別の行政制度を維持し自ら決定する権利、並びに独自の文化・慣習・伝統といった観点から、原住民フィジアンとロトゥマンのコミュニティーの保護にとってもっとも完全な憲法であったかもしれない。しかし、フィジーの歴史上初めて非原住民フィジアンが首相になった。マヘンドラ・チョードリー首相は、1999年5月の人民連立政府の発足から数カ月たって、彼が6月の大酋長会議の演説で約束したのにもかかわらず、彼は原住民フィジアンが自らの利益に対して脅威を抱いてきた諸政策を導入した。そのことがフィジアンに対して、憲法的保護や保障は、フィジアンが首相すなわち政府首長という、政府方針を決め政府の行動を指揮する議院内閣制のなかでのキーポジションを占めない限り、現実的価値はないことをきわめてあからさまに示した。
 また、デモクラシーを見るとき、指導者の選出という民主過程のみを見るだけでは十分でなく、同様に重要なデモクラシーの試金石はそれが生み出すリーダーシップの質である。多人種・多文化社会フィジーの文脈のなかでは、公平で公正な民主過程を通じて選ばれる1人の指導者あるいは指導者達をもつだけでは十分ではなく、選出された1人の指導者又は指導者達は、民族・文化・宗教・性別・経済的社会的地位にかかわらず、あらゆる人々、すなわち個人・集団・コミュニティーに、配慮しなければならない。指導者というものは、社会のある部分の人々から、自分たちに対し差別的で自分たちの利益に無関心であると思われるようなら、それは真の指導者ではない。これはまさしくフィジーで起こったことである。
 原住民フィジアンコミュニティーの支配喪失の恐怖は、フィジアンがすでにフィジーの経済と社会の発展において他の人種より大きく遅れていることに気づいたときに一層激しくなった。そしてもし彼らがその土地の84%を保有するフィジーにおいて、政治的支配権をも喪失するならば、世界中でただ一つの原住民フィジアンコミュニティーとして彼らの未来を守るためには、土地にしがみつくこと以外に方法がないのである。チョードリーがその父祖の地であるインドで歓迎されたとしても、フィジアンにはただ一つの母なる土地でありかつ父なる土地があるだけであり、それがフィジーなのである。
 
E. 大酋長会議の役割
 目下、原住民フィジアンの間に広がっている不安と心配の感情を考慮するなら、フィジーにおける現在の危機状況解決へのもっとも現実的で賢明なアプローチは、大酋長会議とともに作業を進めることである。1874年の英国への割譲以来、英国政府はフィジーにおける高位の酋長が国民のために行動する権威を備えていることを承認してきた(割譲証書第7節)。これはまさしく暫定政府が行っていることで、それは大酋長会議と協議し、大酋長会議に導かれることである。この解決を進めるためには一歩ごとに原住民フィジアンコミュニティとともに進むことが決定的に重要である。この意味するところは、フィジアンとすべてのレベルで、すなわち、村及びチキナ評議会(Village and Tikina Councils)、地域評議会(Provincial Councils)、そして大酋長会議と協議することである。暫定政府が立憲民主制への復帰に2年間の時間枠を設けたのは、こうした協議と総選挙の準備に十分な時間を提供するためである。新憲法は2001年の8月までに公布され2002年の9月までに総選挙が実施される予定である。
 
F. ウエストミンスター型議会制の見直し
 アプローチが進められるなかで、憲法委員会が準備しているのは新たな憲法である。1997年憲法の再検討とその改正に限定しない理由の一つは、多人種・多文化社会という複雑さを備えたフィジーにとって適切な政府システムを、憲法委員会によく検討してもらいたいからである。1970年憲法、1990年憲法、そして1997年憲法の3つの憲法はすべてウエストミンスター型が理想的であるということを前提にしていた。我々はそれをイギリス植民地の遺産として受け継いできたが、我々が問わなければならない問題は、それがフィジーにとって本当に理想的であるかということである。「合意」(consensus)よりも「多数」(majority)による議会決定システムは分裂を招くものであり、フィジーにおいてこれは人種的な意味をもつ。さらに、人種すなわち民族を基礎にした感情や偏りはきわめて強く根深いもので、人々は人種を基礎に投票し、たとえ下院議員が1人1票の共通名簿(common roll)を基礎にして投票されたとしても、選挙区に行けば依然として自分の属する民族や文化コミュニティーに票が集中する傾向をもつだろう。これがフィジーにおける宗教の違いと混ざり合っている。フィジアンはほとんどがキリスト教徒であり、インド人はほとんどがヒンズー教徒とイスラム教徒である。また、互いの文化を評価する点に欠けていて、誰もが英語で意思の伝達を行うが、互いの言語を話したり、互いの文化を理解したりすることはほとんどない。我々の社会構造と価値にも相違がある。インド人は、個人として権利の平等と権利の不可侵性を重視する。フィジアンは階層的社会構造をもち、民主的背景においては個人の権利に価値を置くが、しかし伝統的フィジアン社会においては、階層社会のなかでの自分の位置を自覚しそれを受け入れている。数値的・水平的な権利や特権の平等、または物質的な富の獲得と蓄積。こうしたものよりも、忠誠(loyalty)、従順(obedience)、相互扶助と共有(mutual care and sharing)、精神的な幸福(spiritual wellbeing)。それがフィジアンがもっとも大切にする価値である。
 
G. 新憲法のポイント
 新しい憲法が制定憲法の形をとるか、それとも1997年憲法の改正という形をとるかは、憲法委員会自身の勧告に委ねられている。しかし次の3つの決定的な点がある。
 (1)1997年憲法で定められた個人及び集団の平等な権利及び自由は、維持される。それゆえ、誰かがあるいはどれかの集団が市民権を剥奪される、つまり第二等あるいは第三等市民にされるという噂に現実的根拠はない。それは嘘であり、政治宣伝である。
 (2)原住民フィジアンコミュニティーの関心を表明する方法がなければならない。そのための理想的な方法は、フィジーにおける諸コミュニティー間の自発的な合意又は社会契約を通じて、フィジアンは国家元首と政府首長の地位を占めること、そして権力の共有はこの下におけるものであると認めることである。実際、1997年憲法の「コンパクト(協定)」の章は、このための大枠をすでに提供している。
 (3)我々は原住民フィジアンが他のコミュニティーに比べ、商業、工業、専門職、教育等への参加や成功度において遅れているという事実も表明する必要がある。フィジーでは税金の70%以上をインド人が支払っているが、これは彼らの80%以上が商業などの職業に従事し、定収入を得ているからである。1993年の家計収入分配調査でもフィジーではフィジアン家庭がもっとも貧しく、平均してもっとも低い週給水準にある。1997年憲法は、複数政党内閣によって政治権力共有の細部にまで踏み込んだが、経済的社会的発展の機会の公平については、一般的に利益へのアクセスの平等と公平な配分が規定されているだけである。しかし「社会正義」(Social Justice)の章は、その意図を広く一般的に表現している。これが暫定政府が憲法実践とフィジアンとロトゥマンの発展のための青写真に同等の重要性を与えている理由である。しかし、積極的支援と福祉援助は、すべてのコミュニティーのなかの貧窮した人や不利な状態に置かれた人にとっても利用可能であることもまた、強調されている。

H. フィジアンの要求の歴史的基礎
 最後に、フィジアンの要求には歴史的基礎がある。1874年10月10日の割譲以来の96年にわたるイギリスの統治、および1970年10月10日の独立以来、原住民フィジアンとロトゥマンは、つねに政府というものは両原住民に対し特別な受託責任を負っていると期待してきた。このことは1932年の英国のインド人問題担当大臣によって明確に表明された。彼は、1932年の「フィジーにおけるインド人の地位に関する調査」のなかで書いている。マヘンドラ・チョードリー首相によって実施されたいくつかの土地関連政策は、フィジアンの利益の至高性についての長年の政策及び原住民フィジアンとロトゥマンに対する政府の受託責任に直接的に違背するようにフィジアンの目に映った。1997年憲法のコンパクトはフィジアンの利益の至高性を指導原理と規定した。チョードリー首相はこれに違反する行動を行った。これがフィジアンの多数がチョードリー政府の復帰に反対している理由である。そして、このためにフィジアンは国家元首たる大統領職だけでなく政府首長たる首相職のコントロールをも望んでいるのである。フィジアンが自らの政治的命運を十分にコントロールするためには、今や憲法による保護に頼るだけでは十分でないと気づいている。フィジーにおいて過半数の人口を占める多数者のコミュニティーとして、そしてフィジーにおける最大の土地所有者として、フィジアンは決定的に重要な地位である政府首長と国家元首を含む政府を支配しなければならない。その他のコミュニティーについては、フィジーに居住することをフィジアンは歓迎する。フィジーは彼らの故郷であり、彼らは平等な基本的権利と自由を保持し、享受し続けるだろう。
 
I. 土地問題
 原住民フィジアンはフィジーの土地の84%以上を所有しているが、その中のもっとも肥沃な耕地を他のコミュニティーのために借地として利用させてきた。借地人の多数、60%以上はインド人である。借地人はその土地から多大の利益を得てきた。たとえば、1975年から1999年の間に、欧州共同体とアフリカ・カリブ海・太平洋諸国との間のロメ協定の下で、協定による砂糖議定書によるフィジーからEUへの砂糖の輸出による利益総額は35億ドルに達した。およそこの半額が世界の自由砂糖市場価格より高いEU砂糖価格からの割り増し利益である。フィジーの砂糖産業において、この35億ドルのうちの30%が製糖業者であるフィジー製糖社に、残り70%が生産農家に行くが、その農家の75%以上がフィジアン所有地の借地人である。しかし、この思いがけない35億ドルの利益はフィジアンの土地所有者の手に直接渡る分は少しもない。これは、借地料がその土地のUCVの6%と決まっているからである。現実には、借地から土地所有者の手に入る収入は、小作農家がサトウキビの商業生産から手に入れる総収入の2〜3%に過ぎない。国際エコノミスト達は、これを世界で最も低い水準であると指摘してきた。それゆえ、もし、土地所有者のフィジアンと借地人の多数を占めるインド人を巻き込む農地の借地期限の満了という重大問題に、受け入れ可能な解決があるとすれば、借地契約の更新を円滑にするための借地方式の再検討が必要である。はっきりしていることは、フィジーの二大コミュニティーであるフィジアンとインド人のコミュニティーが憲法問題と土地問題の両方について円満な解決に向けて協力しなければならないということである。この二つは複雑に分かち難く結びついている。
 
4.憲法委員会の設置と今後の展望
 
A. 憲法委員会の設置と基本方針
 10月6日に「憲法委員会」(Constitution Commission)の第1回会合が開かれた。この委員会は、アセセラ・ラヴヴ教授(Professor Asesela Ravuvu)を委員長とする大統領任命の12名の委員からなる独立委員会で、新憲法について検討を行い2001年3月末までに政府に報告書を提出する。この報告を受けて、遅くとも同年6月までに政府は憲法草案を準備し、7月から11月にかけて大酋長会議をはじめとするフィジアンコミュニティーに順次諮問した後、12月のはじめには新憲法が公布されることになっている。
 第1回会合に出席したガラセ首相は、大統領、大酋長会議、および暫定政府を代表して演説を行い、そのなかで次のように憲法委員会に対し首相の希望を表明した。
 (1)各委員はそれぞれのコミュニティーを背景にしているが、委員としての活動は個人の能力において行い、全国民的な利益を指針として新しい憲法を考えること。新憲法は多人種・多文化社会を抱えたフィジーに適合したものを考えると同時に、原住民フィジアンとロトゥマンの利益と希望を考慮すること。
 (2)フィジーの全国民の意見を広く聴取すること。そのために一般国民の中に入って行き実際にその意見を聞き、人々の「共通意思」 (common will)を探り、それを憲法に反映させること。1997年憲法の誤りは、大酋長会議やいくつかのフィジアンの地域評議会が留保条件を表明したのにも関わらず、政府がそれを十分に考慮しなかったところにある。
 (3)現状の政治危機を解決する鍵は、原住民フィジアンとロトゥマンコミュニティーの関心事を注意深く見ることである。昨年5月の総選挙以来の経験が明らかにしたところは、憲法による原住民の利益保護は不十分であったということで、原住民は政府における政策のコントロールと政策の方向の決定を要求している。同時に、原住民の継承されてきた文化の不可侵性(sanctity)とその保護がフィジアンの関心事である。それぞれの民族は文化集団として平等であるが、それがバラバラのままでは「国民統合」(National Unity)が実現されるはずがない。それゆえ、あえていうと、フィジーは42万人以上の人口を占めるフィジアンとロトゥマンのただ一つの祖国なのだから、彼らの文化こそがこの国の「国民文化」(National Culture)とされなければならない。
 (4)どんな憲法であっても、国民のなかに経済的社会的発展の機会に巨大なギャップがあるところでは長期間にわたる平和、調和及び安定を保障することはできない。人口の多数を占め、フィジーの土地の大部分を所有しているフィジアンが教育、商業、専門職、収入、そして雇用機会において劣位に置かれている現状では、長期間にわたる社会的安定を確保することができない。こうした現状が幅広く考慮された新憲法を期待する。それには、1997年憲法にある「コンパクト」と「社会正義」の章がこのアプローチの基礎を提供している。その一方で、その他のコミュニティーも我々の多人種・多文化社会における平等かつ重要なメンバーであり、人種・文化・性別・経済的社会的地位にかかわらず、すべての市民の基本的権利と自由が維持され保障されなければならない。(MR LAISENIA QARASE PRIME MINISTER AND MINISTER FOR NATIONAL RECONCILIATION AND UNITY, ADDRESS AT THE FIRST MEETING OF THE CONSTITUTION COMMISSION, Office of the Constitution Commission, Parliament Friday,  6th October, PRESS RELEASES )
 このように、ガラセ首相は暫定政府における首相としての個人の見解であると断りつつ、憲法委員会の今後の作業への希望を表明するとともに、委員各自が個人的な考慮を犠牲にして、国家とすべての国民のためにより広い利益を考慮することを求めて、演説を締めくくっている。今後しばらくの間は、憲法委員会が中心になって幅広く国民の意見、特に原住民フィジアンの希望を聞きながら、新憲法の在り方が検討されることになる。現実の政治・社会情勢の動向が新憲法の制定に向けてのタイムスケジュールに影響をもたらす不安定要因をはらんではいるが、フィジーの立憲民主制の回復に向けての基本方針は定まったといえよう。
 では、その基本方針とは何か。本稿に紹介した政府文書に繰り返しふれられているところから判断して、その要点は次のように考えることができるだろう。
 (1)新たに作られる憲法は、1997年憲法の改正憲法ではなく、新憲法の制定であること。これは、同じくクーデタ後に作られた1990年憲法の場合と同じで、1997年憲法がクーデタによって破棄されたことからくるものであると考えられる。すなわち、主として法的連続性に配慮したものであって、必ずしも憲法の基本原理や内容の大幅な変更を予告したものであるとは断定できないように思われる。なぜなら、後に述べるように、主たる変更点は選挙制度の問題に集約されざるを得ないのではないかと推測されるからである。
 (2)新憲法は、原住民フィジアン・ロトゥマンの利益・希望に十分配慮したものであることが基本原則。そのことから次の諸点への考慮が要請される。
  @大統領及び首相の地位は原住民に限られるとすること。
  A原住民の土地所有権が将来にわたって完全に保障されること。
  B経済的・社会的に劣位にある原住民に対し、さまざまな優遇措置が実施されること。
  C原住民以外にも、基本的権利・自由は保障されること。
  D選挙制度の見直し。
  E議会制度の見直し。
 以上の点を総合的に勘案すると、結局のところ選挙制度の変更だけで、それ以外の目的がすべて達成できるのではないかと考えられ、そしてそうすることがフィジーにとって、対内的にも対外的にも最善の選択であるように思われる。その理由を以下に説明したい。
 
B. 新憲法の焦点:選挙制度改革
 憲法委員会が指摘するような点が問題になるのは、首相の地位がフィジアン以外によって占められることによる、フィジアンの土地喪失、すなわち祖国喪失という根源的な不安があるからである。すなわち、フィジアン以外、つまりインド人が首相になることで、フィジアンの伝統的土地所有を揺るがすような政策(=法改正)が行われるのではないかという不安がつきまとうのである。チョードリー政権が行った借地期限切れ農地のインド人離農者に対する手厚い補償や、原住民土地信託法の制約を緩和するような憲法改正案は、フィジアンのこの不安を現実のものとするのに十分であった。それゆえ、内閣において政策の方向を決定する首相ポストをフィジアンの手中にすることが、このような事態を回避するための絶対条件と考えられるようになった。
 1997年憲法は、複数政党内閣制を採用し、閣内には必ずフィジアンとインド人が入閣することになり、たとえ一党が過半数を制しても単独政権を形成する可能性は議席の90%以上を押さえない限り不可能となった。現にチョードリー内閣はフィジアン閣僚数がインド人閣僚数を上回ったが、やはり閣内においては首相のリーダーシップが決定的であることが分かった。そのため、憲法規定上、1990年憲法にあった首相の人種要件の復活が必要と考えられることになったのである。しかし、この方策は、フィジーの国際社会での評価を考えるとき、決定的にマイナスであるといわざるを得ない。1990年憲法が「人種差別憲法」と非難されたのは、まさしくこの点にあったと考えられるからである。もちろん、下院の絶対多数をフィジアン議席としたことも非難の対象であったが、下院の多数の支持を背景に大統領によって任命される首相がフィジアンに限られることの方が重要であった。1997年憲法が、フィジアンに有利な人種別議席を残しながらも「人種差別憲法」という批判がなくなり国際社会から歓迎されたことは、このことを証明しているといえよう。
 では、憲法で首相の人種要件を付さない限り、インド人首相の誕生を防ぐ手だてはないのだろうか? その答えは、ノーである。1999年5月の総選挙の時点でもそうであったが、人種別人口を見るとフィジアン人口がインド人人口を完全に上回っているのである。1997年憲法で首相の人種要件が削除されたのは、まさにこの人種別人口比から見て、インド人政権の可能性がなくなったと判断されたことが背景にあった。つまり、選挙制度が人種別人口比を反映するものであるとしたら、インド人首相の誕生があり得ないということだったのである。それにもかかわらず、現実にはインド人首相を誕生させる結果になったのは、1997年憲法の下で採用された選挙制度、すなわち小選挙区選択投票制(Alternative Vote System)の結果にほかならないのである。この選挙制度を採用したために、獲得票数と獲得議席数の比例的関係が破壊されたのである。これは小選挙区制という多数代表制を採用したことによる、当然予想された結果の一つではあったが、このような事態が現実化することはほとんどの人々の予想の外にあった。もちろん、インド人の政党が二つであったのに対し、フィジアンの政党は小党分立化していたことも影響してはいるが、フィジー労働党(FLP)が65.63%のインド人有権者の支持を得てインド人議席(19議席)を独占し、全有権者総数の32.2%の支持で全71議席中の37議席という過半数の議席を獲得したのは、選挙制度の効果以外の何ものでもなかったのである。つまり、選挙制度の影響が決定的であった。
 したがって、小選挙区制のような多数代表制の選挙制度の採用を避け、比例代表制的な選挙制度を採用すれば、フィジアンのなかで決定的な分裂が起きない限り、フィジアン51%に対し、インド人43%という現在の人口比を元に考えると、インド人首相の誕生という事態はまず回避できるはずなのである。結局、首相の人種要件の復活という国際的な非難が予想される方法ではなく、比例代表的な効果をもたらす選挙制度(=比例代表制または中選挙区制)によって、懸念されるような事態の再来を防止できると考えられるのである。このことが理解されるなら、議会制度の見直しといった問題も検討不要になり、フィジアンの伝統的土地所有権への不安も当面解消されると予想される。
 なお、経済的・社会的に劣位にある原住民への優遇措置の実施と、原住民以外にも、基本的権利・自由は保障されること、という点はすでに1997年憲法で保障された事項であり、新憲法の問題とはならないはずである。これは、今後どのように具体化していくかという政治・行政レベルの課題でしかない。
 今後の憲法問題の展開をあえて予想すれば、新憲法問題は選挙制度問題であり、最終的にはこの点に議論が収束していくはずである。またそうならずに首相の人種要件等の「人種差別」的条項が新憲法に盛り込まれることになった場合、フィジーはまた1990年憲法下と同様の国際的非難にさらされることになろう。筆者はフィジーの特殊事情を理解する日本人の一人であると自負する者ではあるが、このような選択は決してフィジーにとって得策とはならないと考える。新憲法問題は下院議員選挙への比例代表制的選挙制度の導入に尽きると、最後にもう一度、強調しておきたい。
 
(参考文献)
 1997年憲法下で採用された選挙制度とそれに基づく1999年5月の選挙結果については、東 裕「フィジー諸島共和国の新選挙制度とその思想」及び小川和美「フィジー新政権成立の分析」(いずれも本誌「パシフィックウェイ」通巻112号, pp.26-36, pp.37-52)参照。その他、1997年憲法に関する事項については、次の拙稿参照。
 @「フィジーの憲法改正動向について−憲法再検討委員会報告を中心に」、「ミクロネシア」通巻102号、(社)日本ミクロネシア協会、1997年。
 A「フィジー新憲法」(1997年)の若干の特徴について」、「同」通巻104号、同、1997年。
 B「フィジー新憲法の成立と構造」、「同」通巻105号、同、1997年。
 C「国民国家形成と憲法−フィジー諸島共和国の場合」、憲法政治学研究会  編近代憲法への問いかけ−憲法学の周縁世界、成蹊堂、1999年、所収。
 D「フィジー諸島共和国憲法(1997年)における人権と原住民の権利」、苫小牧駒澤大学紀要第2号、1999年。
 E 「フィジーの国民統合と複数政党内閣制 」、憲法研究(憲法学会)第32号、2000年。
 F「フィジーの選挙制度と最近の政治動向」、カミセセ・マラ著パシフィック・ウェイ−フィジー大統領回顧録(小林泉、東 裕、都丸潤子訳)、慶應義塾大学出版会、2000年、所収。