PACIFIC WAY

フィジー国民統合への道
    −ランブカ元首相の展望−

(社)太平洋諸島地域研究所研究員 
山桝加奈子(やまます かなこ)


 前号に掲載したライセニア・ガラセ暫定政権首相に続いて、今号ではフィジー社会におけるカリスマ的指導者であり、その動向が注目されているランブカ (Sitiveni Rabuka) 元首相のインタビューをリヴュー誌( The Review 10・11月号.2000年)より紹介する。

 そもそも昨年5月のクーデター勃発は、ランブカ率いるフィジアン系政党SVTの入閣がチョードリー政権で実現しなかったことも要因の一つに数えられる。またランブカは1987年にインド系政権が誕生した際のクーデター首謀者であったため、今回のクーデターの関与を疑われたりもした。しかし一方で彼はまた、1997年憲法制定の立役者の一人であり、国民統合を目指し、人種別議席制をより平等な配分に改め、首相の人種要件を廃止し、逆説的ではあるが初のインド系政権を実現させた人物でもある。彼はフィジアンとしてフィジアンの権利や文化を尊重しつつ、かつフィジーを国際社会の一員として認められうるよう民主主義原理を根づかせようとしていると思われる。

 今回のインタヴューで、彼は政界への意欲を表明している。(ガラセ首相は否定的であったが。)彼は1997年憲法の意義を強調しつつも、97年憲法に復帰することは望んでおらず、暫定政権の新憲法制定作業に積極的に協力することが民主的手続きに適うものであると述べる。暫定政権に対しては民主的ルールによる運営、新憲法制定を要求しており、クーデターを起こしたスペイトと繋がる人物の起用は国際的正当性を欠くと憲法調査委員の人選について暫定政権を厳しく批判している。また報酬目当てではなく公務に奉仕する精神の持ち主を起用すべきだとも主張している。

 興味深いのは、ランブカが、フィジアンの利益のみに偏る政治を否定し、民主的手続きを尊重し、(首相の人種要件を廃止した)1997年憲法の理念を肯定する一方、国家が成熟し国民が民主主義の理念を理解するまでは、フィジアンの首相が必要であると述べていることである。この一見矛盾して見える発言に、政権を安定させ国家統合の実現を目指す過渡期にあっては、きわめてデリケートな価値判断と行動が必要であることが浮き彫りにされている。非西洋社会が民主主義を定着させるために必要な非民主主義的要素・非西洋的要素と言えるかもしれない。

Q1.5月19日以降の経過をどう考えていますか?

A.調査委員会はどのくらい報酬を得るのかの公表は別として、積極的に活動している。国民は報酬目当てではなく公務に奉仕する精神を持った人物を望んでいる。大酋長会議(Great Council of Chiefs)や政府に指名されたメンバーをみると、何人かはジョージ・スペイトやその一派と関係のあった人物であり、彼らの誠意や客観性には疑いを抱かざるをえない。人は付き合っている仲間で判断されるのだ。国民はラツー・イノケ・クヴァボラ(Ratu Inoke Kububola)とラツー・ツァキタウ・ゾカナウト(Ratu Tu'akitau Cokanauto)が政権につくのを見たら、憲法の行く末を案じるであろう。そして調査委員会にはラクイタ・ヴァカランブレ(Rakuita Vakalabure)、アディ・リティア・ザコンバウ (Adi Litia Cakobau)、ベレナド・ヴニボンボ(Berenado Vunibobo)のように、クーデター後あからさまにスペイトと付き合っている者がいる。われわれが政治につく人物を賢く選択することが物事を簡単にするのだ。

Q2.それらの人選問題は当然予測されてましたか?

A.彼らはまんまと強いロビーグループを獲得した。あなたがたは複数政党制ゆえにそのような人選を正当化できる。しかし、民主的に選ばれた政府を非憲法的に転覆させた行為に関わっていない多様な政党の代表者ちを見つけることもできるのだ。

Q3.この暫定政権は次の選挙によって確実なものとなると思いますか?


A.そのように見える。不幸なことにこれは内閣(閣僚)のことではない。議会審議や選挙民の不在は暫定政権にとって大きなことである。ゆえに彼らは低い報酬であるべきであり、議席の割り当てを含むべきでない。もし彼らが自分たちの本来の仕事をやめてこの仕事を引き受けたことを中途半端だと感じたなら断ることができる。国民統合政府を支配することは重圧である。私は最近キャンベラでのセミナーで首相のない(指名もしくは選出された首相は可)大統領制内閣を作ることができると示唆した。しかし私の意見は求められていない。

Q4.フィジアンの政治状況はどのようになると思われますか?

A.GCC(大酋長会議)が後援するフィジアン政党があり、それはSVTである。しかしGCCの一部はわれわれSVTを認めないであろうし、SVTの一部もGCCを認めないだろう。SVTは先の選挙でまったくGCCの支援を受けられなかった。われわれはラツー・マラ一派と共に別の政党を作り、ラツー・ジョセファ・イロイロ(Ratu Josefa Iloilo)はもうひとつの政党を作った。しかしSVTもしくはGCCのどちらかが関係を絶つと決めない限り、一つのグループである。フィジアンの統一に関しては多くの障害がある。GCCのフィジアン統一小委員会はラツー・エペリ・カナイマウイ(Ratu Eperi Kanaimawi)が代表であるが、彼もまたスペイトと結ばれている。採るべき道は、われわれはなぜ統合していないのかを考察し、あくまで希望を捨てずに統合を目指すことである。

Q5.あなたは、現代社会でフィジアン統合を追い求めることはとても困難で、理解しにくいのももっともである、そしてフィジアンの分裂は新憲法のもとでも、再びインド系首相を生む結果になると言っておられましたが? 

A.私は国民が政治的に成熟し民主主義の理念を理解するようになるまでは、たとえ民族主義者の烙印を押されてもフィジアンの首相規定を持つ憲法に賛成するだろう。私たちの国民がまだ(西欧流民主主義の)用意ができていないのに、なぜ国際社会と同じようにしようとしなければならないのか?

Q6.しかしフィジアンの首相を持つことで充分でしょうか?ツペニ・バンバ博士(Dr Tupeni Baba)が首相になっていたらクーデターは避けられたしょうか?

A.国民統合、複数政党政府、真の協力関係そして真の権力共有の理念を持った首相を持つ方向に進むべきである。それはまたリーダーの資質にかかっている。われわれはチョードリーに強い個性を感じたが、不幸にも彼の強さはフィジアン社会からは利益になると見なされなかった。彼のインド系国民のための努力は、フィジアンの利益を損なうものだとフィジアンには受け取られた。私はチョードリーと彼の政権が故意にフィジアンの利益を犠牲にしてインド系の利益を推進したとは思わない。多くのフィジアンは(チョードリーへの)きわめて不十分な評価をしながらスペイトを信奉している。

Q7.ひどい政治闘争に明け暮れている人々のことよりもむしろ地方のフィジアンの生活水準をあげようとするのが本当に良い政治と言えるのではないでしょうか?

A.そのとおりだ。しかしこの国は偽善者で満ちている。妻に対して誠実かどうかと尋ねられたときと同じである。われわれの国は国家としては未熟である。われわれは良い統治を受けねばならない。良い統治は子供たちに機会の均等を確かなものとする。すべての子供たちは、これまで大臣や酋長の子弟が優先されたために得られなかった奨学金を受けるチャンスが得られるようになるだろう。それらがわれわれの社会機構の実態である。しかし私たちは私たちの社会の不変の特徴であるかのように見なしてきた現実に焦点を合わせ、私たちが発展することを認められるべきである。

Q8.それでは私たちがなすべきことは何でしょうか?そしてフィジーには良い統治をする指導者がいるのでしょうか?

A.私たちは統率力がある。国民は自分たちの主義を明らかにし支持する覚悟をすべきである。レディと私はかつて立ち上がったと誇りを持って言える。多民族が一つに団結することを信じている人々もいる。そしてヒンドゥ教やイスラム教者と共に働く際、私は私のキリスト教の信条を曲げる必要はない。私の神を広めるには、異教徒との交流が最良の道である。

Q9.すべてのトラブルの原因はあなたであると言う人がいますが?

A.毎日、そのような言葉を新聞で見ている。国民には言論の自由があり、私や私の拠って立つ主義に反対する自由もある。私はそれらの言葉には動かされない。そのように言う人は私の党に投票しなかった62%の中にいるだろう。不幸にも私の同盟者はいまや憲法の廃棄を主張している。クヴァボラ、ジム・ア・コイ(Jim Ah Koy)、ベレナド・ヴニボンボ(Berenado Vunibobo)らは私の政府の柱だった。(今そうするのは)彼らの弱さの現れである。私がリーダーだった時に立ち向かってきたことはない。もし(当時)彼らが私にぶつかってきていたら、私たちは選挙で勝利していただろう。

Q10.フィジアン首相の必要性は別として、1997年憲法は相当の部分が残されるべきだと思いますか? 

A.大部分残すべきである。しかし不安定は避けなければならない。今回のクーデターとその後の騒ぎで、経済的回復には20年かかるであろうし、政治的には回復し成長するのかどうかも分からない。10億ドルの損失で、1991年に引き戻されたかのようだ。新しい世代に、自分たちの国は統一された国家だと呼べる価値を教えるのは私たちである。

Q11.憲法の見直し作業の過程は茶番であり、インド系の政治的権利を弱めるような無益な行為は国際社会にとうてい受け入れられないだろう。フィジアンはこのことを知るだけでなく、1997年の宣言によりインド系の権利は確立されたことを教育されるべきであると示唆されてきましたが? 

A.「1997年憲法に戻ろう」と言うには遅すぎる。私たちは新憲法のために暫定内閣に協力しなければならない。たとえその憲法が99.9%1997年憲法の条項で、0.01%だけがちがっているものだとしてもだ。そして1997年憲法を良いと信じている者は降服すべきである。不幸なことにあまりに多くの国民がほんの少しの者に迷わされている。フィジアンの大部分はスペイトに加担などしなかったが、少数者の狼藉をとめられなかった。選挙で選ばれた政府は、選挙によらない政府に追い出され、取って代わられたのだから、スペイトのクーデターはある意味では成功したのだ。

Q12. あなたのこれからの政治的役割はどこにあると考えますか?
 

A.私は(政界に)戻るつもりだ。私は私を97年憲法へと駆り立てた情熱を失ってはいない。私は政治の場に戻り、97年憲法は間違ってはいなかったと言う必要がある。私は当選する用意はできており、再び国を指導する候補者だと言うことができる。

Q13.あなたのチャンスはどのくらいあると? 

A.私は協力するだけだ。私はまだSVTの一員であり、党と、党が作られた目的を信じている。党員はスペイトに会うべきではなかった。なぜなら私たちは政府と憲法をサポートすべきだと憲法に明確に規定されているから、と私がずっと言い続けてきた理由はそこにある。だから私はチョードリー政権の人々が人質にとられていたときにSVTが試みたいくつかの点を支持できないのだ。

Q14.あなたへのワシントン大使の指名はどういうことですか? 

A.暫定政権ができてすぐ、私が必要な時はいつでも協力すると彼らに伝えた。そのあとワシントンに行く気はあるかどうか尋ねられ、1週間考えた末に、私は大使の任務を適切にはたすことができないだろうと断った。私は妻と良い関係になく、妻は大使夫人としての役割を果たせるかどうか難しいし、私が大酋長会議議長であることも考慮した。

Q15.あなたをワシントン大使にするのはあなたをフィジアン政治から遠ざけようとする策略だと思いますか? 

A.もしそれが政府の考えならそれでもいいが、私は行動を起こしたのだ。

Q16.軍隊の状況をどう判断しますか?軍は司令官のもと統一されていますか?そしてあなたの役割は? 

A. 私はなにもしないだろう。ただときおり軍の頭脳であるカシ中佐(Colonel Kaci) に憲法についての見解を求められるだろうが、国民が司令官を支援するように動いたりはしていない。彼は上官将校の信頼を得ている。彼の5年の任期をとおして軍内の友情と忠誠心を確保するだろう。忠誠心に個人的な違いがあっても、それは司令官が責任を果たせないほどのものではない。

Q17.スペイト派と繋がりのある軍将校がムア前陸軍大臣に会ったという話があります。ご存知ですか? 


A.知らない。ムアはクリスチャン民主同盟(CDP)を通じて急進的民族主義者であるバカラウ(Bukarau)のような人物と話し合いを持ったかもしれない。教会派に惹かれる人々もいる。彼らはムアが関わっているスヴァ周辺のメソジスト教会の聖歌隊に興味をもっている。そうした話しはどこでもあったものだ。その一部は個人的・職業的な嫉妬によるものだった。もっともそれらの感情が分裂や暴動の原因になるほど深いものかどうかは問題であるが。

Q18.軍は不変であり、スペイトとかれの一派は反逆罪で告訴されると思いますか? 

A.確信している。いざという時には軍は一致団結して立ち上がるだろう。平穏で、みんなが自分の目的と課題を持っているときは、何かがそのことに気づかせるまではさまよいがちなものである。

Q19.軍と警察は差し迫っていた政権乗っ取り(クーデター)を知っていたと指摘されていますが、なぜ防止策をとらなかったのでしょうか。

A.私にはその確証はない。まず彼らが知っていたということを立証すべきである。そしてどうして適切な処置を行わなかったかを調査すべきだ。

Q20.かなり多くの人が何が起こるか話していたようです。あなたは人々が不幸で、なにかが進行中だということを気付くべきだったのでは?

A.スペイトは私が考えていたような人物ではなかった。彼が野心的な人間であることは知っていたが、それはビジネスにおいてで、政治的にではないと思っていた。最初のクーデターが起きた1987年の5月14日にもたくさんの話があった。政府は知っていたかどうか、専門的部門は知っていたか、あるいはその疑いを抱いていたのではないか、もしそうなら政府はそのことを告げられていたのか、そうだとしたらどう対処したか、などみんな今回と同じだ。

Q21.イシキア・サヴア(Isikia Savua) 警察局長の役割をどう見ますか?


A.残念だが彼にとっての調査は、公表されないので、サヴァの疑惑は晴れない。もし彼が潔白だとされ局長として返り咲いたら、不正があったと言われるだろう。

Q22.4人のギャングはクーデターに巻き込まれたのだ、そして彼らは一人の政治家のことについて話していたと軍は述べている。初めは、あなたがその政治家ではないかとの推測があった。彼らが話していた人物に心当たりは?


A.ない。私に分かるのは、私は関係ないということだけである。私は彼らに、政権を倒すために全力をつくせ、ただし憲法の枠内で、と忠告した。多数決で、投票で追い出せと。

Q23.将来、軍自体がより大きな影響を政治に与えるようになるとは考えませんか? 

A.軍は現在の役割のままであるべきである。軍は事態が不安定になったり、さらに多くの生命が失われるような時の最後の手段になった。過去に多くの人々が軍隊などいらないと言っていたが、それはフィジーが軍事的脅威にさらされることがないからである。もし信頼できる軍隊がなかったらどうなるか想像してみなさい。ソロモンでは武装した警察ではなく信頼できる軍隊が危機を防止してきた。軍隊は法と秩序の回復を助け、その後(通常の)保証人としての立場にもどってきたものだ。「もしなにもかもが失敗に終わるとしても、軍は法と秩序の回復のためやって来るだろう」ということだ。