PACIFIC WAY
パラオ共和国における日本ODAの効果と影響
−小規模漁業開発計画導入後の住民の視点より−
 
ハワイ大学大学院政治学研究科博士課程
三田 貴

1. はじめに
 
 パラオ共和国は一世紀以上にわたる植民地支配を経験してきたが、政治的自立を達成した今日でも、開発の波にさらされグローバル経済に取りこまれるなど、外国との関わりあいはさらに複雑なものとなっている。アメリカとの「自由連合」という形で独立した1994年以降のパラオでは、国家の運営や経済開発のための資金を、アメリカやその他の外国に依存している状態である。パラオ政府も、経済的自立を国の最重要課題に位置付けてはいるが、太平洋の小規模島嶼国にとって、その達成は簡単なことではない。小規模島嶼国の経済自立が困難である理由としては、自国の市場自体が小さいこと、広大な海に島が点在していて世界の主要な市場から距離が離れていること、資源が狭小であること、熟練労働力やインフラストラクチャーが限られていること、外部からの影響に脆弱であることなどが挙げられている(赤沢ほか 1996; Knapman 1994: 328)。
 こうした、開発上の制約がある中で、日本の政府開発援助(ODA)は、パラオにとってはアメリカ政府の財政援助に次ぐ開発資金源である(Palau 1994: 59)。パラオ政府の公式な経済開発計画書によると、パラオ政府は「日本と親密な関係を継続させ、パラオのインフラ整備と生産部門への公共投資を増大させるために、より大きな経済的援助を求めていく」としている(Palau 1994: 59)。実際に、パラオに自治政府が樹立された1981年以来、日本はパラオへの援助を継続的に実施してきている。その分野は多岐にわたり、パラオの国家建設のための重要な役割の一端を担ってきた。
 本研究では、日本の行った援助が、援助を受ける側にどのような効果や影響を与えるかについて議論することを通し、パラオが直面する開発や近代化に関する問題について考察する(注1)。本調査の目的は、個別の事例を詳細に観察することによって開発によるコミュニティの変化を見定め、よりよい援助が実施されるための教訓を導き出すことである。そのために、パラオ国内の二ヶ所のコミュニティにおける小規模な漁業開発(漁業協同組合の施設拡充プロジェクト)を事例として取り上げ、現地で聞き取り調査を行った。

2. パラオにおける日本のODAと調査対象プロジェクト
 
パラオにおける日本のODA
 日本政府は無償資金協力を中心とした援助プロジェクトを1981年に開始した。1999年までのパラオへの援助額の累積は107.88億円で、うち95.58億円が無償資金協力、12.30億円が技術協力であった(注2)
 これまでに実施された無償資金協力の主要な分野は、漁村開発、 送電線開発、道路整備、給水改善、電力供給改善、農業振興、橋梁建設などである(外務省 1999)。技術協力としては研修員の受け入れや調査団派遣、機材供与のほかに、1997年度からは海外青年協力隊員の派遣も実施されており、1999年の調査実施時で20余人の協力隊員がパラオの社会・経済開発に取り組んでいる。また1999年度からは草の根無償援助も開始された。日本によるパラオへの援助は漁業開発関連の計画が最も多く、1981年から99年までに実施した18の無償資金協力案件のうち、8つを占めた(注3)(外務省 1997; 1999)。本研究では、そのなかでも1990年代半ばにペリリュー州およびアルモノグイ州において実施された漁業部門の開発プロジェクトを事例として取り上げる。
 
パラオにおける小規模漁業
 パラオの海洋生物資源は、「豊かであると同時に多様性にも富み、歴史的にもパラオ住民にとって最も重要な食糧資源の一つ」であった(Otobed and Maiava 1994: 23)。パラオは豊かな珊瑚礁に囲まれ、そこには1357種あまりの魚類が生息する(Otobed and Maiava 1994: 23)。魚は、長年パラオの主食であり、珊瑚礁域で行う漁は、パラオ人にとって基本的な生業活動であった。H. G. Barnettは、「パラオ人にとってタロと魚は、アメリカ人にとってのパンと肉のようなものだ」と表現する(Barnett 1960: 25)。Barnettによると、パラオで一般的な漁法は、長い柄のモリやヤスを使ったものである(Barnett 1960: 28)。またMaura M. Gordonによると、魚を捕ることは伝統的にコミュニティーの共同作業であり、とくにケソケスという、網を浅瀬に張って行う漁をするときは村全体が協力して魚を捕った(Gordon 199?: 11)。今日における典型的な漁法は、船外機付きのボートを使った手釣り(底釣り)、素潜りのヤス、投網、刺網などである(海外漁業協力財団 1999: 23)。多くの漁民は、漁獲物を地元や首都・コロールのパラオ漁業協同組合連合会(パラオ漁連)や鮮魚販売店で買い上げてもらうが、なかには直接コロールのレストランやホテルに買い取ってもらう人もいる。販売を目的にしない場合は、自家消費をするか、親戚や近所に配る。海外漁業協力財団の推定によると、政府の漁獲統計で把握されていない、直接販売や自家消費に回される漁獲は、漁協や販売店を経由する漁獲の3〜4倍あるとされている(注4)(海外漁業協力財団 1999: 22)。多くのパラオ人は魚を自家消費のために捕るが、同時に、魚は貴重な現金収入源としても位置付けられる。このように、海に囲まれた島嶼国・パラオにとっての漁業とは、自給自足の手段としても商業的活動の手段としても重要である。

対象プロジェクトの選定
 本研究の対象事例として、「ペリリュー州小規模漁業開発計画」(93年度)と「水産物流改善計画」(94年度)を選定した。その理由は、小規模漁業開発のプロジェクトは地元住民の生活に密着しているため、調査者にとって観察が比較的容易であることと、当該プロジェクトは援助実施時期から数年の年月が経過しており、地元住民や関係者にとって、援助実施以前の状況と比較することが可能であったためである。また、ペリリュー州およびアルモノグイ州は、パラオ国内でも有数の漁業活動の盛んな地域であるため、他州に比べて漁業開発プロジェクトへの住民の関心が高いことが予想された。そのため、パラオにおけるODAプロジェクトの選定にあたっては、これら2州で実施された漁業関連の援助案件を事例として取り上げた。
 
ペリリュー州
 本研究で扱う第一の援助案件は、「ペリリュー州小規模漁業開発計画」(1993年度、1.10億円)である。ペリリュー州は、首都・コロールから南西に約40キロメートルほどのところにあり、人口は575人である(Palau 1997)。ペリリュー州は漁場に恵まれているが、人口が少ないため、漁民が漁獲物の換金を州内の市場だけに依存することはできない。そのため、漁民は片道一時間をかけて、漁獲物を首都・コロールまで運搬していた。当該案件の「基本設計調査報告書」によると、この計画は、同州に漁業協同組合の管理事務所や製氷機、漁獲物運搬船、船外機、クレーン付きトラック、漁具資材等を援助するものである(水産エンジニアリング 1994)。これらの物資や施設の建設により、同州の漁業活動の活性化と、漁獲物の流通の向上を図ることが目的とされている(水産エンジニアリング 1994)。計画が実施されると、ペリリュー州の漁民は漁協で製造された氷を購入した後に出漁し、漁が終わると水揚げはコロールでなく、地元ペリリュー州の漁協で行うことができるようになる。そうなると、漁民は、コロールに漁獲物を運搬するための時間的負担と、ボートの燃料代という出費から解放されることになる。水揚げされた漁獲物は地元の漁協で一時的に保管され、漁獲物運搬船を使用して漁協がまとめてコロールに出荷することが可能となる。ペリリュー州の漁業協同組合は1994年より運営を開始した。
 
アルモノグイ州
 二つ目の事例「パラオ共和国水産物流改善計画」(1994年度、2.23億円)は、アルモノグイ州の漁業協同組合の施設を拡充するとともに、コロール州にあるパラオ漁業協同組合連合会(パラオ漁連)に加工・販売施設を設置するものである。アルモノグイ州は、バベルダオブ島西岸に位置し、人口281人の州である(Palau 1997)。援助プロジェクトではアルモノグイ州に製氷機、漁獲物運搬船、漁獲物運搬用トラック、船外機、クーラーボックスなどを導入・設置し、同時にコロールのパラオ漁連に、新しく鮮魚を扱う施設を建設するものであった。計画では、アルモノグイ州漁協の施設拡充により、同漁協をバベルダオブ島北部4州の集荷拠点にし、ここから集約的にコロールに出荷することにより、効率的に漁獲物を運搬することができるようになる。したがって、それまで州の漁協や漁民が個別に首都に出荷していた非効率性を是正する効果が期待される。新しい施設の共用は、1996年に開始された。
 
3. 援助プロジェクトの地域コミュニティへの効果と影響
 
 これら二箇所で実施された援助プロジェクトによる援助実施地における社会の変化を理解するために、ペリリュー州およびアルモノグイ州の漁業関係者や一般住民から聞き取り調査を行った。調査は1999年6月および7月に実施した。調査対象者は、それぞれの調査地の漁業協同組合関係者および漁民を中心とした一般住民で、その選定はコミュニティ内の人脈に頼った(注5)。本調査では、援助プロジェクトが地域コミュニティにどのような変化を与えたかを明らかにするために、聞き取り調査をした。インタビューは、あらかじめ決められた質問項目に基づいた自由回答形式で行った。あわせて、援助実施地を観察した。
 インタビューでは、次のことに関して質問を行った。1)日本による援助プロジェクトは、受け入れコミュニティに恩恵を与えたか。2)援助は、援助実施地にどのような効果や影響を与えたか。3)援助プロジェクト実施後にどのような社会の変化が見られたか。4)またその変化は住民にとって望ましいことであったか(注6)。以下に、聞き取り調査で得た住民の意見をもとに、援助後の変化について記述し、分析する。
 
漁業活動の効率化
 プロジェクト導入後に多くの漁民や住民が認知した変化は、製氷機の導入によって、漁業活動が便利になり、同時に、漁獲物を首都の市場へ出荷させる際の利便性が向上したことである。パラオのような熱帯地方では、氷を使用しないと漁獲物の鮮度は数時間しか保てないため、氷はこの地方での効率的な商業的漁業活動にはなくてはならない。以前は、アルモノグイ州では、既存の製氷機ではフレーク状の細かい氷しか製造できなかったため、魚を長時間の保冷することには適さなかった。そのため、漁民の中にはコロールで氷を買ってから漁をする者もいた。またペリリュー州の岸壁には州政府の運営する製氷機があったが、ペリリューは夜間12時間のみの給電であったため、以前は、氷は不足していた。両州とも、新しい製氷機の導入以降は、漁民は地元の漁協で氷を購入して、それをクーラーボックスに入れて出漁し、捕れた魚を保冷したまま長時間漁を続けることができるようになったという。またそれまではコロールに出荷していたが、漁民は、漁が終わるとコロールではなく地元に帰港し、そこで水揚げができるようになった。被調査者の誰しもが、こうした合理的な出漁や水揚げが可能になったことを高く評価している。

生活上の変化
 あるペリリュー州の漁民は、地元に漁協システムが導入されたことで、捕った魚を売ることが容易になったため、現金収入が増加し、それまで購入できなかった自転車や冷蔵庫、ビデオデッキなどが買えるようになったと指摘した。また同州では、漁協に勤務する人材を地元から雇用したため、雇用効果も認められた。漁協システムの導入は、漁民の収入を増やし、新しい雇用の機会を与えたことになる。
 また漁民だけでなく、一般の住民にとっても生活上の利便性が向上した。ペリリュー州では、1998年までは一日に12時間しか給電されていなかったため、新しく導入された発電機付きの製氷機で作られた氷は、一般住民が食料を貯蔵するためにも利用できるようになったという。現在でも、冷蔵庫を買うことのできない住民にとっては、製氷機の氷は、家庭での食料の貯蔵に役立っているという。また、パラオでは伝統的慣習に則って、冠婚葬祭などでは親戚などを大勢集合させて食事を振る舞う。そうした時には魚の需要が特に増えるため、例えばアルモノグイ州の漁協には他州の住民も魚を購入しにくることがある。その際、魚を氷詰にして遠方の州まで運べるようになった。このように、ペリリュー州およびアルモノグイ州では、日本のODAによる小規模漁業開発プロジェクトによって漁業活動や生活上の利便性が向上し、漁民の所得の向上にも貢献したことが示された。
 
漁獲高の変化
 援助プロジェクトにより、漁民の利便性が向上し、収入も増えたとの証言を得た。では、ペリリュー州とアルモノグイ州の実際の漁獲高はどのように変化しただろうか。パラオにおける小規模沿岸漁業統計をとりまとめているのは資源開発省の海洋資源局である。海洋資源局は、各地の漁民が、主な漁協や鮮魚販売店に水揚げした漁獲を、漁業者の出身州別に記録してデータベース化している。統計に含まれるのは、パラオ漁業協同組合連合会(パラオ漁連)、ペリリュー漁協、アルモノグイ漁協、PMCI(コロールの民間販売所)への水揚げである。コロールのその他の小規模販売店(ペリリュー・クラブ、ハッピー・ランディングなど)に出荷された分や、レストラン等への直接販売分、ならびに現金を介在しない自家消費分は統計には含まれていない。理論的には、この漁獲統計をみることによって、ある程度の州別漁獲高の変化がわかるはずであるが、1996年9月以降の統計にはパラオ最大規模のパラオ漁連への水揚げ分が含まれていないため、そのままこのデータを利用しても正確な州別漁獲高を知ることはできない。そこで、パラオ漁連から、パラオ漁連で水揚げされた分だけのデータを直接入手したが、これは州ごとに分かれた記録でなく、総量のみであったため、やはり州別の完全な漁獲データを再構築することはできなかった。
 しかしながら、利用可能な範囲でのデータ推移から推測すると、1996年以降はパラオ漁連に水揚げした分がデータに含まれていないにも関わらず、ペリリューおよびアルモノグイ両州の漁獲高は増加している(注7。このデータと、被調査者からの証言をあわせて考慮すると、実際の漁獲高は増加したと推定される。しかし、このことと援助の効用を直接的に結びつけることは多少問題があるかもしれない。例えば、援助によって漁業が効率的になり漁獲が増加したのか、それとも各漁協が正確に漁獲を記録するようになったことが漁獲高統計に反映されているのかを判断することは難しい。アルモノグイ州の漁協関係者や漁民によると、「1995年に漁獲高が増えた理由は、援助が来るのだからより多くの魚を捕ることを漁民に奨励した結果で、96年の増加は援助の効果だ」という(注8。また97年の漁獲高の減少は州関係のプロジェクトに住民の労働力を使ったために漁に出られない人が多かったこと、98年の増加はフィリピン人漁師によって操業された2隻の漁船が漁獲高増加に貢献したこと、また、99年はパラオ漁連が漁獲物を買い取らなくなったので、出荷量は減少するであろうことが指摘された(注9)
 
縮小する市場と漁獲の余剰
 1999年4月頃より、パラオの小規模沿岸漁業の流通市場に大きな変化がみられた。被調査者によると、パラオ漁連は、特定の魚種を除いては、一度に大量(500ポンド以上)の漁獲物を漁民や地方の漁協から買い取ることをしなくなった。また魚の種類により、買い取るものと買い取らないものとを選別するようにもなった。パラオ漁連はパラオ最大級の漁業市場であるため、ここが漁獲物を買い取らない場合、漁民が大量に魚を捕っても、それを現金化するための場所が限られてしまうことを意味する。被調査者の多くは、援助プロジェクトによる地元の施設拡充には好意的な態度を示していた一方で、漁業開発の一番の問題として、こうした不完全な流通システムの問題を指摘する。
 パラオ漁連への水揚げができないことへの対応策として、ペリリューとアルモノグイの漁協は、コロールの民間鮮魚販売店に直接出荷するようになった。また、パラオ漁連で問題なく買い取ってくれる種類以外の魚については、州漁協での水揚げの段階で買取単価の差別化を図ったり、水揚げ時に魚種の選別をし、買い取る魚と買い取らない魚に振り分ける姿が見られるようになった。魚を効率よく捕るための援助プロジェクトではあったが、流通上の問題が立ちはだかり、州漁協関係者としても、漁民に対して出漁を促すことができないジレンマに陥っているという。
 市場が閉塞状態に陥った背景には、一つには、1993年にリーフ魚の輸出規制が強化され、それまであった輸出分の需要が減ったという問題がある。さらに、都市部での鮮魚の売れ行きがかんばしくないという国内の水産需要の限界も指摘できる。こうした水産物の需要の問題は、援助によって効率的に漁ができるようになり漁獲物の供給量が増えたとしても、鮮魚市場そのものが活性化しない限り、パラオ全体の小規模沿岸漁業の発展には限界があることを意味する。
 水産市場の規模の問題は、コロール住民の食生活の変化とも関係があるだろう。コロールには大型スーパーマーケットが複数あり、住民は、安価な輸入食品も利用することができるようになってきている。現代のパラオの人々は、主食には、伝統的なタロやタピオカだけでなく米も利用する。同じくタンパク源は、鮮魚から、輸入された肉製品へと移行している。例えば鮮魚に比べて鶏肉は重量単価が安く、調理のための準備も容易なことから、パラオの多くの家庭で利用されている(注10)。近年、コロールでは賃金労働に従事する人が増えており、これは女性も例外ではない。家を空け、政府機関や企業へ働きに出ている人にとって、日中の時間帯に海岸沿いの鮮魚販売店へ足を運び、自分で鮮魚をさばいて調理するより、パック詰めの加工済製品を仕事帰りに購入した方がはるかに便利だという。また、年配者の中には、鮮魚がほしくても自力で鮮魚販売店に買いに行くことが難しく、加工品に頼らざるを得ないという例も報告されている(武藤ほか1997: 251)。
 こうした輸入製品の増加は、経済のグローバル化に伴ってますます勢いを増し、コロールの人々の生活もそれに順応しながら変化することだろう。経済のグローバル化が進むこと自体は、パラオにおいても製品やサービスの選択の幅を広げるといったメリットがあるが、その一方で、水産物の消費動向から見てとれるように、地場産業の発展を妨げるといった反作用も生じている。
 
漁業技術の近代化と水産資源の減少
 市場の閉塞性の問題のほかに、多くの漁民が近年の傾向として指摘したことは、海洋資源(魚)の減少・枯渇への懸念である。熱帯地方の海の環境は、生物の種類は多いが、それぞれの個体数は少ないという特徴がある(秋道1995: 13)。そのため、限られた種類の魚を市場が求めている現状に適合するために、漁民が選別的な漁をすることは、特定種の資源が減少する危険性がある。
 地元漁民は、近代的な漁法の普及によって魚が減少したと指摘している。この問題は、Johannesが論じているように(Johannes 1981: 68)、援助が実施されるよりはるか以前から指摘されている。また、援助プロジェクトによって収入が増えたことにより、それまで購入できなかったナイロン製の刺し網(ギルネット)を購入できるようになり、それが魚を捕りすぎる問題と関係があることも、被調査者は認識している。漁民によると、以前は綿製もしくは椰子の繊維で作った網を使用していたため、小さな魚(稚魚など)は網から脱出することが可能であったが、近年のナイロン製の刺し網は、法律で網目の大きさに制限が加えられているが、それでもなお無差別的に魚を捕ってしまい、魚資源の減少の一因になっているという(注11)。漁業資源の減少を危惧する被調査者によると、特にここ5年から10年にかけて、魚が著しく減少しているという。
 ペリリュー州やアルモノグイ州など、自給自足的な生活を営んでいる地域においても、今日ではボートの燃料費や食糧費などのために、誰しもが現金を必要としている。そのため、それらの地域で生活する者にとって、政府や民間企業に雇われていない限り、魚を捕ることが現金収入を得る最良の手段であるといえる。したがって、より効率的な漁具や漁法を導入することは、漁民にとって合理的な選択であり、現代社会での生活を保障するために必要なことである。
 自らがナイロン製刺し網を使用して漁を行うペリリュー州の漁民は、次のように語る。「漁業援助プロジェクトがやってきたことで、援助の予備調査の時に言われたとおり、私たちの生活はよくなりました。200ドルする刺し網も買うことができるようになりました。しかし魚がいなくなったらどうするのでしょう?ここには保全の観念を持った人はいません。50年後はどうなるのでしょう。グアムのように開発され、乱獲が進むのでしょうか」(注12)。この被調査者らが示すように、援助プロジェクトは、新しい技術の導入と効率化によって直接的にも間接的にも漁民の収入を上げ、より豊かな生活へと導くことに成功しているが、漁業が効率的になってきた今、資源の減少・枯渇が懸念される。パラオのリーフ魚の具体的な資源量の推測は難しいが、Otobed & Maiavaによると魚の資源量は減少していて、なかでもハタ、アイゴ、ブダイ、ベラは特に減っているという (Otobed and Maiava 1994: 28)。また、トローリング、水中銃、ギルネット(刺し網)、投網、スキューバダイビングなどの近代的漁具・漁法の導入により、漁業は「破滅的」になってきているという(Otobed and Maiava 1994: 28)。パラオの海洋資源は、島嶼国ならではの狭小な基盤に依存しているため、海洋資源の利用を含む開発を行う場合、資源を持続的に利用できるような漁のあり方を考慮する必要があるといえる。
 
4. おわりに: 近代化と開発の意味
 
 本研究は、パラオにおける日本のODAの影響について、援助を受ける側の視点を通じ、その効果と影響を明らかにする試みであった。日本による開発援助プロジェクトは、村落の近代化を進め、援助実施地における漁業の生産性を高めた。パラオにおける珊瑚礁域の漁業は、それまでの自給自足的な漁撈活動から派生し、現代の生活様式に合った商業的活動へと変遷してきたが、その産業化や効率化の一端を日本の開発援助プロジェクトが担った。そして、小規模なコミュニティに基盤をおいた開発により、参加する住民自身が受益者となりうることが明らかになった。しかしその一方で、国内における水産物の生産と競合しうる安価な輸入製品が氾濫し、都市部における労働形態の変化とあいまって、食生活に変化を招いた。このことが、鮮魚市場に限界を生じさせ、援助によって効率化が図られたにもかかわらず、小規模沿岸漁業の将来に行き詰まりを見せる原因ともなった(注13)
 パラオも否応なしにグローバル経済に取り込まれつつあるが、安価な輸入品との競争になった場合、弱小国には資本力や労働力、技術力において勝ち目はほとんど無い。仮に自由にリーフ魚の輸出を促進したとしても、稀少なパラオの水産資源を切り売りするのみであれば、資源の枯渇へと向かうだろう。こうした自国の近代化と経済のグローバル化の狭間で生じたパラドックスに悩まされるなかで、将来のパラオの「国づくり」のためには、産業をどのような形で発展させていくかを考えなければいけないだろう。例えば、沿岸漁業を、小規模ではあるが持続可能なレベルを維持しながらも住民が自立した生活を営むための一助として位置付けるのか、それとも輸出志向型の沖合漁業を事業化し、グローバル経済の中で競争を可能なものとして位置付けるのか、もしくは養殖などの「つくり育てる漁業」を通して産業化を進めていくのか。こうした問題は、パラオの人々の、ライフスタイルの選択の問題でもあろう。
 日本はODAを通して、新しい施設や道具の導入の支援だけでなく、それらを運営したときに生じる新しい問題への対処法を普及させるなど、ソフト面での支援を充実させていくことも必要だろう。魚を捕ることに関してパラオの人々が伝統的に受け継いできた土着の知識は、外部から急速に流入する新しい技術や産業化の流れに必ずしも対応できているわけではない。そこで、新しい技術に見合った持続可能な漁業の方法や、流通を含む漁業経営についての知識や方法を学習・普及させるために、援助実施地のコミュニティーを支援をすることも、日本が、援助国として役割を果たせる分野ではないだろうか。パラオにとって、援助それ自体は外部に依存したものであるが、そこにコミュニティの人々が自ら参画して独自の産業の発展に結びつけるのであれば、これからのパラオの「国づくり」にとって有意義であろう(注14)

参考文献( 注15)
 
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(1) 本稿は、筆者が2001年5月にハワイ大学大学院太平洋諸島地域研究科修士論文として提出したものの抄訳である。なお本稿では上記論文で扱った、援助と開発の理論的視座、パラオと日本の歴史的関係および現代の関係、日本の政府開発援助の仕組み、聞き取り調査における 被調査者の発言の全文などの内容については割愛し、筆者による独自の調査結果の部分の報告を中心とした。詳しくはMita (2001)を参照のこと。

(2) 近年のパラオへの援助実績は、1994年は6.91億円、1995年は3.78億円、1996年は14.74億円、1997年は5.19億円、1998年は9.79億円、1999年は9.49億円であった。

(3) パラオへの漁業開発関連の援助は、以下のとおりである。1)小規模漁業振興計画、81年度3.20億円、2)漁村開発計画、87〜89年度、三年度合計10.84億円、3)小規模沿岸漁業開発計画、92年度、0.96億円、4)ペリリュー州小規模漁業開発計画、93年度、1.10億円、5)水産物流改善計画、94年度、2.23億円、6)北部地域小規模漁業進行計画、95年度、1.88億円、7)北部漁村施設整備計画、96年度、3.03億円、8)ペリリュー州漁村開発計画、98年度、3.68億円。

(4) 今日の都市化したコロールでは、魚は親戚や近所に無償で配布される機会は減少している。コロール在住のある年配の女性によると、魚の分配はコロールではもはや過去の話になったという。

(5) 調査対象者は、それぞれの地区の漁業協同組合の職員、州政府役人、および漁民を含む一般住民の中から10名程度を選んだ。漁民については、州内で頻繁に漁に出る住民の情報を収集し、それをもとに訪ね歩き、聞き取り調査を行った。

(6) 聞き取り調査における質問項目は以下のとおりである。1. あなたはプロジェクトとどのような関係があるか。2. あなた自身が施設を利用したことがあるか。どのように利用したか。どれくらいの頻度で利用したか。3. 新しい施設の導入をどう思うか。4. 施設の導入以来、コミュニティに変化は見られたか。施設の導入前とくらべてどうか。便利になったことや、不便になったことはあるか。5. 漁民にとって利益となることがあるか。漁民以外の住民にとってはどうか。6. このプロジェクトが実施されて以降、好ましくない影響はあるか。改善するべき問題はあるか。7. 州や国の開発に日本が関与することをどう考えるか。なお聞き取り調査の全文はMita (2001) 126-134を参照のこと

(7) ペリリュー州の漁民による水揚げ高は、1990年5.7万ポンド、91年2.0、92年0.9、93年5.0、94年3.4、95年4.3、96年8.0、97年7.3、98年5.7であった。アルモノグイ州は、1990年5.1万ポンド、91年9.1、92年7.3、93年6.3、94年5.0、95年13.9、96年15.7、97年8.3、98年18.1であった。なお、各州の水揚げ高の詳細についてはMita (2001)を参照のこと。

(8) Mita (2001), p.96。

(9) Mita (2001), p.96。

(10) 一例として、コロールの鮮魚販売店では、テングハギやブダイ、ハタは1ポンドあたり1.95ドルであったが、スーパーマーケットで鶏肉は1ポンドあたり99セントから販売されている。

(11)パラオでは、漁に使用できる網の目は縦の長さが3インチまでと規制されている。

(12)Mita (2001), p.127-128。

(13)この他にも、パラオ漁連が以前より魚を買い取らなくなった背景には、以前は盛んであったグアム・サイパンへのリーフ魚の輸出が制限されたことも要因の一つと考えられる。

(14)アルモノグイ州の漁協関係者の証言によると、彼ら自らが水産物を加工・販売することに対しても意欲的である。

(15)研究テーマに関する完全な参考文献については、Mita (2001)の文献リストを参照のこと。