PACIFIC WAY

       第三回島サミットが終わって

   小林 泉 (こばやし いずみ)


 去る5月16,17日の二日間、沖縄の名護市で「太平洋・島サミット」が開催された。この会議は、小泉首相がPIF加盟の16カ国・地域の首脳に呼びかけて実現したものだが(ナウル共和国が欠席)、今回は、97年の東京、00年の東京に次いで三回目である。

 前回の宮崎サミットは、開催直前の首相交代劇(病死した小渕首相に代わって、急遽森首相が登場した)やPIF側の議長が日系のナカムラ大統領(パラオ共和国)だったことなど、幾つかの偶然も重なって、マスコミにも様々に大きく取り上げられた。しかし、今回はイラク戦争やSARSなどの国際的事件の発生によって、沖縄の地元紙を除けば、マスコミ報道が極めて限られていたのは残念であった。この会議を日本で、また日本のイニシアチブで開催するのは、一つには、この機会に太平洋島嶼諸国への関心を高め、その実態を日本国民にも良く知ってもらいたいとの狙いがあったからだ。

 とはいえ、一般国民の関心は薄くとも、この会議が日本にとって極めて重要な外交イベントであったのは変わらぬ事実である。先進国の中で唯一、グループ形成をしていない日本にとって、太平洋島嶼国グループとの恒常的対話の機会は、国連外交を積み上げる際の基本活動にもなるからだ。たとえ極小国家群といえども、国連で12票にもなる親日的勢力だけに、不断の交流や相互理解を築きあげる場の設定はとりわけ大事なのである。

 これら島嶼諸国に関する一般的理解は、今でも楽園、観光地といったイメージが先行している。だが、これら認識は多くの誤解に基づいている。ハワイ、グアム、タヒチなどの有名観光地はいずれも米領か仏領であって、独立国で観光産業が根付いているのはフィジーやパラオなどの限られた国に過ぎない。実際には楽園どころではなく、環境問題、民族紛争、経済的困窮、人材育成等々、小さな途上国ゆえの問題が山積しているのである。この度の会議では、小泉首相とフィジーのガラセ首相が共同議長となり、これら問題解決に向けた幾つかの行動計画が採択された。今後は、これらの行動計画を着実に実行していくことが重要となる。

 また、この度の会議が日本の亜熱帯島嶼である沖縄で開催されたことは、二つの観点から意義深い。一つは、沖縄の経験や苦悩がPIF諸国と共有できることだ。前回の島サミット後、琉球大学に太平洋島嶼研究センターを設置したり、「太平洋学長会議」を開催したもの、沖縄を島嶼国協力への発信基地にしようとする試みの一環であった。二つには、国際協力といえども中央と地方との有機的連携が必要であること。特徴ある地方がその役割を果たすのが、これからの地方分権に求められるあるべき姿であって、この度も島嶼首脳が沖縄に感じた親しみは、日本と島々の距離を一気に縮めるに効果があった。これも、宮崎サミットから今回会議までの2年間に実施してきた「太平洋OBサミット」(大阪)、「ミクロネシアの伝統文化」(金沢)などのシンポジウム(本研究所主催・外務省共催)や外務省による「知的対話ミッション」の派遣などの諸活動が導き出した結果だったと言えるだろう。

 しかし、三回目の島サミットが終わった今、これからはもう、連帯や協力のかけ声や話し合いだけではすまない。まず、共につくった行動計画を一つずつ実行し、目に見える協力関係の実態を築いていかなければならない時期である。地道ではあっても、こうした活動を一つひとつ積み上げていくことが、揺るぎない信頼関係の構築につながることになるからである。