PACIFIC WAY

−ああ、楽園のはずが

     ポナペ・ホテル憤戦記
      −第6回−第2章 ここはポナペ(その3)   

茂田達郎 (しげた たつろう)


第2章 ここはポナペ(その3) 
ポナペアン・メイド
 
「メイドの連中、ベッドに寝っころがってダベってたよ」
 ゲストルームを見回りに行った健が憮然とした面持ちを顕わにオフィスに戻ってきた。
 スノーランドの客室はすべてツイン仕様。ほどよい硬さのフルサイズ・ベッドがふたつ、ナイト・テーブルを挟んでセットされている。そこにロリータとローゼンタが寝そべって談笑していたという。短躯のロリータに対しローゼンタは大柄。しかし、両人ともに三十路を迎え、肥満度に磨きがかかって疑いようのないヘビー級。きっとベッドが小さく見えるほどその様は圧巻だったに違いない。健の驚愕ぶりと彼女らの狼狽ぶりを想像すると、可笑しさが先に立った。
 それにしても、オープンしてまだ半月と経ってない。たるむにしても早すぎる。
「先が思いやられるな」
「だから、掃除をするときは必ずドアを開けておくようにって言っておいた」
「外から目が届くようにして、さぼるのを防ごうという作戦か」
「うん。気休めかもしれないけど多少は効果あると思うんだ」
 ドアを開けておくとヤモリやトカゲ、ゴキブリなどが侵入しやすくなる。日本人旅行客、ことに女性客にこの手の虫は禁物だが、ほかにうまい案も浮かばない。しばらくは様子をみるしかないのか。

 スノーランドはわずか8室のプチ・ホテル。常識的に考えて、ひとり4室ずつの受け持ちならば、決してきつい仕事ではない。「火・木・土」組と「水・金・日」組のふた組に分け、月曜日だけ全員出勤にすれば、全員が週4日働けるメイドの定員枠4名というのは至極順当な線と思われた。しかし、採用したスタッフのうちホテルで働いた経験者は2名だけ。それもフロントと賄い要員で、メイドに経験者はいなかった。当然のことながら私は健と相談して、オープン数日前からメイドを出勤させ、事前トレーニングを行った。ベッドメーキングを初めとして、家具備品や洗面台、バス、トイレットなどの清掃、道具の扱い方と併せてクリーニング・ポイントを具体的に示し、実際にやらせてみる。これを繰り返した。ゲストの携行品については特に徹底的に指導した。明らかに捨てたとわかる物以外は絶対に手を触れないこと。散らばっている物があっても1カ所にまとめておくだけに止め、自分の判断で処理しないこと。くどいほどに言って聞かせた。それでも不安が拭えなかった。オープン早々の失態は悪いイメージの定着を意味する。最初が肝心だった。結局、慣れるまでの間しばらくは、大事をとってふたりでチームを組んで仕事にあたらせることにした。ベッドメーキングもふたりでやれば簡単に、しかもきれいに仕上がる。互いに協力し合い、刺激し合い、さらには監視もし合えるだろうと読んだのだ。
 それが逆目に出た感じだった。同じ協力するにしても「仕事」にでなく「さぼる」ことに向けるとは――。
 
 ゲスト棟は4室続きが2棟、180度海を見渡す緩やかな西斜面に沿って建てられ、その背後、北辺に接してオフィス棟、さらに少し間をおいて岩男さんのレストラン棟がある。オフィス棟のフロントからは、ドアと窓のガラス越しにすべての客室の出入りがチェックできた。スタッフが入室するときは必ず履き物を脱ぐ決まりなので、ドアの外の履き物を見れば状況がわかる。履き物があってドアが開いていれば清掃中、なくてドアが閉まっていればまだ終わっていないか、既に終わったか。履き物があってドアが閉まっているときは要注意である。これを手がかりにすればメイドたちの動向が大体つかめた。いや、わかると思って、それとなく目を光らせることにした。
 そんなある朝のことだった。オフィスの裏側にある洗濯場の方から素っ頓狂な叫び声が響き渡った。何事かと飛び出すと、フロント・スタッフのセーリンとマネジャーのピーターが向かい合って何やら声高に話し合っている。セーリンの手には日本で誂(あつら)えたスタッフ・ポロシャツがぶら下がっている。ミクロネシアの海と空を象徴した鮮やかなブルー、胸元にはトレード・マークのヤシの木とロゴを白い刺繍であしらった特注品で、結構な値段がした代物だ。それがほとんど色を失い、ところどころ無惨に剥げ落ちて不規則なまだら模様を呈している。
「どうしたんだ。それ?」
「私のなんですけどね。クロラックス(漂白剤)の入れすぎですよ。まいったなー」
 高校卒業後、日本で4年働いた経験を持つピーターが発する日本語の「まいったなー」には感慨が込もっていた。
「そうそう、ボスのもあるみたいですよ」
 ピーターが洗濯機を顎ですくうようにして指し示す。中を覗くと、シーツやピロ・ケースに混じってもう一着まだらに剥げ落ちたシャツと、その端からズボンの裾らしきものが目に映った。いやな予感がした。あわてて引っぱり出す。やはり、そうだった。迷彩服さながらに変わり果てた私のお気に入りのジーパンだ。今度は私が「まいったなー」と唸る番だった。
 まだ女学生の面立ちが拭えないセーリンの瞳が今にも泣き出しそうに私に向けられている。今朝、彼女に暇をみて洗濯してくれるよう頼んでおいたのだが、だれかが気を利かせて洗濯機にかけてしまったらしい。シーツなどが混在しているのをみると、メイドであることは間違いないようだった。
 迂闊だった。色物と白布を一緒に洗濯してはいけないぐらいのことは、男の私だって知っている。ましてや色物を洗濯するときに漂白剤を使うとは、何をか言わんやである。いわば「常識」だ。だが、それとともに別の思考が頭をかすめた。
 ――ここはポナペ。日本人の常識は通用しない。大体、洗濯機のない家がほとんどだ。大多数のポナペ人は、いまだ洗濯や入浴は川で、炊事は天水を利用している。ポナペでもローカルに居住しているメイドたちが、漂白剤の使用法を知っていると思う方が間違いではないか。そうした予測が働いたからこそ私もピーター同様、セーリンに洗濯を頼んだのではなかったのか――
 ここにも大事な見落としがあったことに気づいた。さらに思い当たる節があった。ピーターとセーリンを促してロッカーの洗濯物を片っ端から調べていく。ねらいはバスタオルとフェースタオル、バスマットだ。いずれも明るいブルー地に、マークとロゴが白く浮き出ている。これも日本で仕立てた特注品だった。幸い、脱色が認められるものはわずかだった。撥(は)ねておいて事務所用として使うことにした。
「これがもしゲストの物だったら」
 想像しただけでおぞましくなった。
「掃除が終わったら洗濯の仕方についてレクチャーしなきゃ」
 そう思いつつ私はゲスト・ルームに向かった。いつもなら用事があるときは健がメイドのいる部屋に電話をかけるのだが、あいにくその日は早朝からコロニアに出かけていて留守だった。つたない英語力、そしてポナペ語もまだ満足にできなかった私には、意志疎通にフェイス・トゥー・フェイスが不可欠だったのだ。
 ゲスト・ルームB1の出入り口にはビーチサンダルが2足脱ぎ捨てられていた。1足の片方は踵の部分が抜け落ちて下の土間コンクリートが覗き見える。
「よくもまあ、ここまで履き込んだものだな。履き物の役をなさんだろうに」     

 半ば呆れ、半ば驚きながらゲスト・ルームに入って我が目を疑った。開け放たれたバルコニーに面したガラス戸の向こうに3つの人影がある。イスに腰掛けているふたりは背中を向けていて定かでないが、もうひとり手摺りに寄りかかって、こちらに顔を向けているのはロリータだ。次の瞬間、彼女の顔に緊張が走り、やや間があって背中を向けていたふたりがほとんど同時に振り向いた。メイドのもうひと組のチーム、エルシーラとローズラインだった。壁に隠れて見えなかったが、近づいてみるとローゼンタの姿もあった。ビーチサンダルは確かに2足しかなかった。あとのふたりはどこからどうやってきたのか、キツネにつままれた思いで訊ねた。が、俯いたままだれも答えようとしない。重ねて問うと、やっとロリータが面を上げ、重い口を開いた。
 エルシーラが誤って足の小指をどこかにぶつけ、生傷をこしらえてしまった。それでロリータらが、バルコニーから鉄柵を乗り越えて救援に駆けつけた。応急手当てのあと井戸端会議になった、ということのようだ。                
 この話を聞いたとき、私は初めどうしても納得がいかなかった。語学力が未熟なために間違って聞こえてしまうのであって、本当は逆ではないかと耳を疑った。バルコニーには高さ1メートルほどの鉄柵が設けられている。加えて隣室のバルコニーとの間には目隠しのコンクリート壁が立ちはだかっている。ロリータとローゼンタがその重量感あふれる体を、それもワンピース姿で鉄柵の外内へと運べるものだろうか。先入観もあった。伏線になったのは、踵の脱落したビーチサンダルだ。あれは相当の負荷が継続してかかった結果だ。で、てっきりロリータかローゼンタのものだと思い込んでしまったのだ。しかし、怪我をしたエルシーラにそんな芸当ができるとは、もっと考えにくかった。やはり、ロリータの言うことが正しいのだろうと判断せざるを得なかった。
「オフィスには常備薬がある。今後このようなことがあった場合は、必ずフロントに連絡するように。それからバルコニーは通路じゃないんだからドアから出入りするように」
 どうにかそれだけのことを伝え、オフィスに戻ってデスクに向かい腰を降ろす。思わず天を仰いで嘆息した。
 洗濯の話をするのをすっかり忘れてしまっていたことに気づいたのだ。
 
「スタッフの消えた日」
 
 この稿を執筆中に訃報がもたらされた。健の嫁(私にとっては義理の娘)エべリーンの父方の叔父で、セヌワという部落の長だった人物である。長年、地元のエレメンタリー・スクールの校長を務め、昨年、定年退職したばかりだ。夜半、具合が悪くなって家人が病院に担ぎ込んだが、早朝、息を引き取ったという。心臓発作らしい。糖尿病、脳溢血と並んでポナペで最も多い死因のひとつだ。
 私見だが、私はポナペ人の愛飲するシャカオと食生活にその原因があると思っている。シャカオについては以前も書いたことがあるが、主成分はアルカロイド。コショウ科の木の根を石で砕き、なめしたハイビスカスの樹皮にくるんで絞り出す。これをヤシの実の殻を両断した椀に受けて、回し飲む。冠婚葬祭、ことにナンマルキ(酋長)が同席する場では伝統儀式に不可欠な「神聖な飲み物」として、定められた作法、手順に従って厳粛に執り行われる。「魅惑の酒」などと紹介されることもあるが、アルコール分は全くない。
 シャカオはそもそも中部太平洋から南太平洋にかけてのポリネシア一帯で始まったものと言われる。ちなみにフィジーでは「カヴァ」と呼ばれている。どういうわけかミクロネシアで現在この風習が残っているのはポナペだけだ。
 ポナペにはあちこちに「シャカオ・バー」と呼ばれるヤシ葺きの小屋がある。黄昏時ともなると、どこからともなく三々五々、人が集まってきて夜更けとともに散っていく。400ccぐらいの容量があるだろうか。大きなプラスチックカップに並々と入って1杯2ドル(400円強)。これをスティック代わりの割り箸で攪拌(かくはん)しながら小さなコップに移して、ひと口ずつ間隔をおいて飲む。口腔にふくんでしばらく味わった後、嚥下する。舌先から痺れた感覚が広がるが、これといって味はない。強いて言えば植物特有の青臭さがある。
 アルカロイドは、もともと植物体中に存在する有毒で特殊な薬理作用を有する植物塩基として知られている。鎮痛、鎮静作用のあるモルヒネやキニーネの類だ。
 飲むほどに人々は意識朦朧となる。口数が減り、静寂が支配していく。やがて、あたりが夜の帳に覆い尽くされるころともなると、虚ろな目をじっと一点に集中させる者、座したまま首を折り、動かない者も出てくる。ヤシの葉擦れや遠く環礁に砕ける波のさざめき、甘い花の香りを届けがてら頬をなでて通り過ぎてゆく風……事象に心を揺らすのは傍観者であって、彼らではない。虚無に埋没する人々を包んでゆっくりとポナペの夜は更けていくのである。
 エべリーンの叔父もシャカオが好きだった。昨年の暮れ、エべリーンのすぐ上の姉リーンが脳溢血で倒れ、わずか34歳で急逝したその葬儀の席で、体調が優れないと言いながらもシャカオを口にしていた。総じてシャカオを飲むときは食べ物をほとんど口にしない。シャカオがまずくなるとの理由からだ。この点、日本人の「飲んべえ」と共通したところがある。彼はポナペ人にあっては珍しくスリムな体型をしていた。多分50kgそこそこだったのではないだろうか。不規則な食生活が体力の衰えを早めたのかもしれない。
 
 ポナペの人々が通常食するのは、パンの実、タロイモ、ヤムイモなど、澱粉、炭水化物系の物が多い。最近でこそアメリカやオーストラリアから安価な輸入米が入るようになり、ライスが主食になった感があるが、それでも地元で採れるこれら食物はおかず代わりに食されている。「ウーム」と呼ばれる石焼きのほか、ココナツミルクで煮たり、フライにしたりする。バナナも種類によってだが、ボイルしたり潰してココナツミルクで和えたり、油で炒めたりする。魚介類は、リーフ・フィッシュを丸ごとフライにするか、賽の目に包丁を入れてレモンと醤油で味付けするポナペ風刺身。カツオやマグロなどの大型魚も輪切りや角切りして同様の調理をする。あるいはココナッツミルクとか醤油を使ってスープにする。肉類は圧倒的に安価なチキンの料理が多い。どこの家でもブタやニワトリを飼っているが、ブタは「カマテップ」と呼ばれる冠婚葬祭行事に欠かせない貴重品。普段、食されることは滅多にない。
 一見してわかることは、野菜の摂取量が極めて少ないことである。ポナペで収穫される野菜は、キュウリ、ナス、オクラ、ピーマン、インゲン、トウガン、ニラ、チンゲンサイ、クンシンサイといった程度。それも市場にいつも出回っているわけではなく、量も限られている。ほかに、ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、キャベツ、レタス、セロリ、ブロッコリー、ハクサイ、トマト,ダイコンなどが入手可能だが、輸入品のため価格が高く、一般のポナペ人には手が届きにくい。もともと野菜を食する習慣がないうえにこんな状況だから、野菜離れにますます拍車がかかってしまうのだろう。
 それにひきかえ、脂分の多い物は好んで口にする。ブタの脂肪をカリカリに炒めて醤油をかけ、それをおかずに一食済ませてしまうほどだ。食べる量も半端ではない。日本人の1.5倍はゆうに腹の中に収めてしまう。それが証拠には、ポナペのレストランでは大抵の日本人が食べきれずに残してしまう。
 こうした食生活を続けていれば、肥満体質を助長するのも当然のことのように思われる。コレステロールも貯まるだろう。その一方で神経機能を麻痺させるシャカオに浸る。身体機能とりわけ循環器や臓器に与える影響がいかに甚大か、想像に難くない。
 そんなわけで、ポナペの人々の寿命は概して短い。統計がないので正確なところは不明だが、50歳から60歳の間と推定される。死亡率も高い。まだまだ医療水準が低いため、日本だったらどうってことない病気や怪我も、ここでは死と隣り合わせになる。「病院に行くと殺される」と言って、草木を使った昔ながらのローカル・メディスンやマジックに頼った挙げ句、症状を悪化させるケースも少なくない。
 死者が出ると、ラジオから葬送曲、次いで訃報が流される。今でこそ島中に電気、電話が行き渡り、そうした手段が可能になっているが、スノーランドが開業した10年前は電話はおろか電気さえもあまり普及していなかった。しかも、頻繁に停電した。舗装はコロニア・タウンからパリキルの連邦政府周辺のみ。車もわずかだった。にもかかわらず、情報が伝わるのは早かった。朝、どこかで起きた異変は、その日のうちに島中の人が知るところとなった。畏敬をこめて我々はこれを「ココナツ・ニュース」と称していた。
 
 トレード・ウィンズ(貿易風)が山を越えて緑の香りを運び始めた11月早々のことだった。起き抜けに岩男さんが飛び込んできた。
「ボス、従業員がひとりしか来ないんですよ。どうしましょう?」
 よっぽど焦っているのだろう。額から汗が滴り、息が弾んでいる。それもそのはず、前夜、深夜便でダイバーの団体が到着し、ホテルは満室に近かった。ホテル・ゲストだけでも10数名が7時ごろから一斉に朝食を取る。ダイビング船の出航時間は9時と決まっているので、8時半にはホテルを出発しなければならなかった。
「連絡は?」
「それがないんです」
「わかった。メイドが来たら助っ人に行かせる。それまで踏ん張ってて」
とは言ったものの、こちらのスタッフが出勤するのは7時半から8時にかけて。間に合うだろうか。ホテル・スタッフが少しでも早く出勤してくれることと、ゲストが寝坊してくれるのを祈るしかない。焦燥感が募った。悪いことは重なるもので、そんなときにいきなり電源が落ちた。停電だ。慌てて発電室に走り、起動する。フロントに戻ったが、スタッフはまだ来ていない。時計の針は既に7時半を指している。ほどなくしてゲスト・ルームのドアが開いた。若い男性客が次々と仲間のいる部屋のドアをノックして回っている。
 事務所が空になるのを承知でレストランに駆け込んだ。従業員の姿はなく、ローカルのお客さんが数人、所在なげに座っている。挨拶もそこそこに厨房を覗くと、岩男さんがひとりのウェイトレスを助手に、文字通り汗だくの奮闘中だった。声を掛けるまでもない。取って返し、健を叩き起こして事情を話し、レストランの救援を頼んだ。健と私は交代で早番と遅番を務めることに決めていて、その朝、健は遅番だったのだが、非常時だ。躊躇はしていられなかった。
 8時ちょうどにピーターと、途中からいつも同乗してくるセリーンがやってきた。
「ピーター、待ってたよ」
 車に駆け寄り、運転席のドアが開くのももどかしく声をかける。
「カセレーリア・マイン」
 人の気も知らず、ピーターはのどかなものだ。ゆっくりと降りてきて、いつもの挨拶をする。それがポナペ人のたしなみであると言わんばかりに落ち着いている。普段はこのノリが肩を軽くしてくれるのだが、今朝は苛立ちになった。
「ああ、カセレーリア。ピーター、あのな、レストランのウェイトレスたちがまだ来てないんだよ。それにうちのメイドなんかも」
「そうですか。マタウ(オルペット)からは電話なかったんですか」
「ないけど、それが何か…」
「いや、きのうウネでメーラがあったらしいんです。イナム(オルペット夫人の呼称=夫のタイトルによって決まる)のペネーネ(親戚)らしいです」
 ウネはキチ村の最奥に近い部落。メーラとは死者とか葬式を意味する。でも、それがレストランのウエイトレスやうちのスタッフが来ないことと、どんな関係があるのか。ピーターの話はいっこうに見えない。
「ピーター、時間がないんだ。わかるように話してくれないか」
「いや、ですからね…… 」
 ピーターの話によると、スノーランドのスタッフの大多数はオルペット夫妻の縁につながる者だという。縁続きにある者は、必ずブタやヤムイモ、シャカオなどを届けるのが昔からの習わしで、男はその準備に、女は参列者に配る料理づくりにと、一家総出であたらなければならない。葬儀は日本の「通夜」に相当する「ポン(夜)・モンティ(座る)」を含めて4日間に渡って行われるのだという。
「えーっ、4日も。ということは明後日まで?」
「そういうことになりますか」
 平然と応じるピーターを前に呆然自失した。「どうしよう。なんとか対策を講じなければ」という思いと、「オルペットにしてやられた」という臍を噛む苦々しさが交錯する。
「ボス、とにかくバスを掃除しておきます。そろそろゲストの出発する時間ですから」
「そうだった。考えるのは後。今は目の前のことに集中しなきゃな」
 セリーンに事務所とロビーの掃除を頼み、私とピーターは大急ぎで洗車にかかる。車2台に分乗したゲストをダイブ・ショップの艀まで送って戻ってくる間に、オルペットをはじめメイドたちから電話があって、健が応対したという。レストランのスタッフからも岩男さんに連絡があったそうだ。田舎なので電話がなく、なかなか連絡できなかったことを詫び、今日埋葬するので明日は近親者を除いて出勤できるだろうと語っていたという。
「今日だけ乗り切ればなんとかなる」
 明日以降の見通しがついたことで、ひとまず愁眉は開けた。しかし、今後もあるだろうことを考えると暗澹とせざるを得ない。よそのホテルや商店はどうしているのだろうか。こんなことでビジネスが成り立つのだろうか。いないメイドに代わってゲスト・ルームを掃除しながら、ついつい思いはそちらに向いてしまう。ポナペの家庭はどこも大家族だ。
両親の兄弟姉妹が8人ずついたと仮定すると、叔父・叔母が14組28人。それぞれに、また子どもが8人ずついるとすると、従兄弟が112人。それに自分の兄弟姉妹が結婚していたら、そのつれ合いと親兄弟、さらには甥や姪……。近親者をざっと勘定しただけでも200人は超えてしまいそうだ。石を投げれば親戚に当たる、そんな感じだ。
「これはえらいことだぞ」
 鏡に自分の姿が写っている。ポナペ社会の現実に戸惑いを隠せない中年男がいた。 
(次号に続く)