PACIFIC WAY
    
    パラオの新首都、完成間近  
 

小 林 泉( こばやし いずみ )


 
 鬱蒼とした原生林が覆うパラオ本島(バベルダオブ)の中央部を進むと、突如として、ワシントンDCにあるアメリカ議会を模したビル群が出現する。本号で上原氏が写真紹介しているように、ジャングルを切り開いて建設中の新首都マルキョクの様子だ。

  マルキョク地区は、コロールを本拠にする南の大酋長アイバドール家に対抗する北の大酋長ア・ルクライ家の本拠地である。ココヤシが林立する白砂のビーチの背後には鬱蒼とした原生林を抱く丘陵が迫り、崖口からは幾つかの細い清流が流れ出て海に差し込んでいる。静かで、いかにも南洋らしい佇まいを漂わせているこの地は、かつては由緒正しいパラオの中心的な場所であった。私が好んで訪れる村の一つでもある。

  だがここに限らず、パラオの村は何処も過疎の状態といってよく、人影はまばらになっていた。昔ながらの自給自足的な生活を放棄し、アメリカから流入する援助金を基盤にした現金生活にシフトしようと思えば、仕事を探すにも教育を受けるにも、村の生活は不便きわまりない。なにしろ、車がまともに走れる道路が繋がっていないから、首都までの交通手段はボートで海づたいに行くしかなかった。だから人々は故郷をあとに、首都周辺に移り住んでいるのだ。マルキョクを地盤とする大酋長ア・ルクライさえも、普段はコロールに居て儀式などの時だけ地元に帰って来るといった具合である。そのため、パラオ人口の約8割がコロールに集中。おまけに近頃では、外国人労働者が急増して、首都の人口はますます過剰ぎみになっている。センサスによれば、2000年のパラオ人口は20,300人で、その内の30.1%が外国人居住者だが、1990年は16.8%だったから、外国人の急増ぶりがはっきりと分かるだろう。

  コロールの過密ぶりは、信託統治時代から始まっていた。それゆえ、1981年に制定した最初の憲法にも、「憲法の発効後10年以内に恒久的な首都の場所を本島内に決める」と書かれている。そして首都の移転地が正式にマルキョクに決まったのは、独立から5年ほど経過した頃だった。

  新首都の建設開始は2000年、そして今年中の完成を目指しており、コロールに置かれている現在の政府機能の約半分がここに移転してくる予定だ。そうなれば再び人口移動が起こって、コロールの過密が解消される。そして、ミニ・ワシントンの出現で南洋らしい風景が消滅したマルキョクの村にも人々が戻ってくる日は近いだろう。

  この首都施設は、同じく自由連合国のミクロネシア連邦やマーシャル諸島のそれより遙かに立派な建物群である。誇り高い独立国パラオのシンボルに相応しい建物なのだろうが、国民人口2万人弱の政府に、これほど豪華な建築物が必要なのかな? と貧乏性の私は思ってしまう。建設費は、アメリカからの補助金以外にも台湾から2,300万ドル借りた。これだけの施設は、出来上がってからも大変にちがいない。施設機能全体を維持運営して行くには、年間200万ドルかかるとアジア開発銀行のレポートにもある。

  本島の村が過疎だったのは、首都へのまともな陸路がなかったからだ。それゆえ新首都の建設は、コロールと道路で結ぶことが前提で、同時並行的に道路工事も進められてきた。この本島縦断道路は二車線で全長85キロ、通称コンパクトロードと呼ぶ。それは、1994年にアメリカとの自由連合協定(Compact of Free Association: コンパクト)の下で独立した際に、この道路建設が協定で約束されていたからである。

  この道路建設の施工・デザインは、ホノルルに本拠を置く米軍工兵隊が担当しており、工事を請け負ったのは韓国の建設会社だった。工事期間は1,080日以内、つまり丸3年、工事予算総額は1億2,500万ドルで、05年中にはすべての工事が完了するはずであった。ところが工事は予想外に難航し、経費も完了の時期も、大幅に狂いが生じてきている(未だ不確定だが、現時点での予想は、工事費1億4,900万ドル、完成時期が06年6月)。

  というのも、道路の40%程度が原生林を切り開く工事になるうえに、環境問題や考古学的観点からの配慮、土地問題、地質調査等々に、思いの外時間を費やしたからだ。その上に、05年8月に豪雨のため地滑りが起きて工事中の道路数カ所が寸断され、さらに12月には別の箇所も地滑りに遭って、現時点では一般車両の通行はほとんどできなくなった。これは自然災害なのか、それとも地質等の調査不足か設計ミスか、それとも手抜き工事が原因しているのか。現在は米軍工兵隊、韓国の建設会社、パラオ議会が三つ巴になって侃々諤々、相互に責任を押しつけあっている。そう言えば、1996年に崩落したコロールと本島を結ぶK-Bブリッジは、施工管理責任者である米海軍工事部と韓国の建設会社が27年前につくった橋だった。

  ともあれ、新首都がスタートすれば、パラオ人社会は激変するだろう。それが経済的大発展の切っ掛けになる、と多くのパラオ人は期待を寄せている。「激変」は仕方ないのかもしれない。だが、すでにその傾向が現れはじめているように、外から流れ込む大量の金と人とによって「パラオ人社会が消滅する」ことだけはないように、私は祈っている。

                             

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