PACIFIC WAY

      ミクロネシア紀行・番外
        旅してみれば−ポリネシア編

−トンガ、サモア著作権セミナーの旅−

                                        上原伸一(うえはら しんいち)


 WIPO(世界知的所有権機関)の依頼を受けて、4月18日から27日まで著作権セミナーの講師を務めるためにトンガとサモアを訪問してきた。
 筆者は、現在大学で著作権を教えたり、文化庁の著作権関係の委員をするなど著作権を中心とした仕事をしている。WIPOは、ジュネーブに本部のある国連の専門機関で、著作権、特許、商標、意匠等の知的財産権を扱っている。ここ10年以上、著作権関係の条約審議のため年に数回ジュネーブでの会議に出席してきた関係で、今回の依頼が来た。
 WIPOでは、途上国向けの著作権セミナーを各国の希望に応じて適時開催している。基本的な条約の解説やWIPOの役割などは必ず扱うが、それ以外のテーマについては、それぞれの国の希望や状況に応じて設定される。今回私に課されたテーマは、「著作権及び著作隣接権保護による経済社会文化面のメリット」「創造性の増進−政府とローカルコミュニティーの役割」というものであった。本誌は、著作権の研究誌ではないので、セミナーの具体的な内容についてはここでは言及しない。旅で感じたミクロネシアとは違うポリネシアの自然と文化について簡単に報告する。
 
<トンガ>
 亡くなった前国王ツボウ4世が大変な親日家だったので、日本とは色々な繋がりがある。トンガの人は体格が良いので、相撲部屋の入門者も出ている。かつてはかなり話題になったので、年配の人なら記憶にあるだろう。また、ラトウ、ナモアらが大東文化大学に留学し、ラグビー日本一になったこともある。今でも、大東文化大学とトンガの結びつきは強い。ニュージーランドの北方に位置する熱帯の島国で、人口約10万人。10万人を超える人がオーストラリア、ニュージーランド、アメリカに居住し、母国に送金してトンガの経済を支えている。首都ヌクロファのあるトンガタプ島は、隆起サンゴ礁の扁平な島で面積は259平方キロである。
日本からトンガに行くには、フィジーかニュージーランドのオークランド経由となる。便数が多いのはオークランド経由である。筆者も夕方に成田を発ちオークランド経由で翌日の夜トンガの首都ヌクロファに到着した。タラップを降りて、入国審査・税関のある小さな建物まで歩いていく。ここで暑さを感じ、熱帯にいることを肌で知る。空港から街までは車でおよそ30分ほどである。私達が宿泊した「インタナショナルデートラインホテル」は昔からの格式あるホテルであった。成る程、建物は立派だが、いささか古くなっており、設備は必ずしも一流といえるものではなかった。
海岸で遊ぶ人達    海岸で遊ぶ人達   −筆者撮影−
 朝見ると、ホテルの正面は海で右手は大きな港である。部屋のベランダから裏側を見るとまさに田舎の風景が広がっている。日曜日の朝、庭で火を焚き料理をしている様子が見える。実にのどかで美しい風景である。
 トンガでは日曜日は安息日であり仕事をしてはならないことになっている。ホテルを別にすれば、レストランも特別な許可を得たところでないと営業することが出来ない。市中のレストランの半分以上が閉まっている。人々は家族で教会に行き、その後ゆっくりと休日を過ごす。道路を走っている車も殆ど見かけない。日曜営業の許可を取って島内1周観光ツアーを行っているところを紹介してもらい、マイクロバスでほぼ1日かけて島内を回ってきた。

町の中心部を離れると道路は舗装されていないが、きちんと整備されており、ゴミが落ちているようなこともない。数年前はゴミの放置がひどかったようであるが、今は街中も田舎も清掃が行き届いてすっきりとしている。車で回っていて目につくのは教会の多さである。様々な宗派の教会が各村々に建っている。南の島の人は、最近では歩くのを好まず、すぐ近くに行くのにも車を使うのが普通であるが、教会への行き帰りぶらぶら歩いている人 を結構見

日曜の午後教会から帰る人達を結構見  −筆者撮影−

日曜午後教会から帰る人達

 
かけた。多くの人がトンガの伝統的な衣装を身につけている。男性は、巻きスカートのようなトッペンネというものを使用し、その上にゴザのようなタヴァオラを巻いている。女性もスカートの上に腰を覆う布を巻いているが、こちらはキエキエと呼ぶそうである。これらの材料は、本来はタマガイという麻布かファウという樹から作った繊維やパンダナス(アダン)の繊維であったが、最近はビニール糸を使った安いものが出回っている。
島を回って気がついたのは、ヤシの実の多さ、農産物の豊富さである。ミクロネシアに比べずっと豊かな島だという印象を持った。広々としたヤシのプランテーションでは雑草取りのために飼われている牛が悠然としている。家もなかなかに立派な構えである。家の周囲で豚が放し飼いされているのも目立つ。小柄な黒い豚である。
 島の北側は特段に海が美しく、ビーチがあるところには、リゾートホテル(といっても高級なものではない。さっぱりとして自然に溶け込みリラックス出来る)があるか、市民の海水浴場となっている。場所によっては人々が家族連れでバーベキューを楽しんでいた。
 島を回っていると、あちらこちらに日本の援助によって作られた施設であることを示す看板が立っている。この島の水道設備も日本の援助で整備されたそうで、南の島にしては珍しく水道水が飲用できる。
ヤシのプランテーション ヤシのプランテーション   -筆者撮影−
 2006年に暴動が起こり(暴動については後述)、大きな建物は殆ど焼き打ちにあってしまったので、ヌクロファの街の中心部はあちこちに空き地が目立ち寂れた感じであった。
 一方、海岸沿いには、どこでも見るような普通の中華料理屋やレストランだけでなく、しゃれた都会的なレストランも結構見受けられた。月曜日の昼に、通商大臣がランチをご馳走してくれたKaati-niというレストランは2階のテラスで海からの風を受けながら洗練された料理を提供する実にオシャレなところでびっくりした。
 それ以上に驚いたのは、メーンのソードフィッシュ(メカジキ)であった。味は素晴らしく、各地で色々なカジキを食べてきたが、今までで最高であった。しかし、凄いのはその大きさである。弁当箱2つ分ぐらいの切り身である。いくら上手くてもとても食べきれたものではない。体の大きなトンガの人々にとっては、御馳走ということになるとこれほどの量になるのかと思った。ところが、大臣はじめ地元の人も持て余している。大臣は、早々に食べるのを止めて残りを持ち帰りように包むよう依頼した。我々がダウンしたのを見て、満足そうに、「この店は量が多いのが自慢で、トンガの人でも食べきれない。皆さんの分も持ち帰れるように包ませましょう」と言った。
 
○インターネット事情等
 ホテルの部屋には回線は配線されていたが、インターネットは繋がらなかった。ホテルのロビーに置いてあるPCはインターネットに接続されており、誰でも自由に使えるようになっていたが、その回線速度は非常に遅いものであった。地元の子供たちは、インターネットを使ってゲームを楽しんでいた。
 現地で聞いたところでは、家庭でPCを持っているところはまだまれであるが、学校や職場にはPCが設置されインターネットに接続されている。インターネットカフェも有るので、USBフラッシュが多用されており、人々はUSBフラッシュで情報を持ち歩いている。ところが、ウイルスソフトをインストールしているPCが少ないため、USBフラッシュの99%はウイルスに汚染されているとのことである。
 携帯は相当普及しており、学生で持っている者も珍しくない。写真は携帯で撮って、PCを通してUSBフラッシュに入れて持ち歩いている。携帯は音楽を入れて持ち運び楽しむのにも大いに使われているという。
 BEBOというSNSが流行しており、オーストラリアからトンガまでをカバーしている。携帯からのアクセスは出来ない。このサイト上での悪口の書き込みは大変ひどいとのことである。ただ、多くの人が加入しているので、海外出稼ぎ者の多いトンガでは、海外に出ている人の消息や連絡先を知るのに大変便利で、親戚でメーリングリストを作り利用している。
 
○伝統と文化
 著作権との関係で新しい文化状況について若干の聞き取りをした。歌は次々と作られているとのことであったが、何かの行事の時に使われるものは、その行事用毎回新たに作られるということである。それと同時に、伝統的なパターンを踏まえたその歌用の踊りの振り付けも創作される。皆で行事の際に披露してそれで終わってしまうということなので、著作物として保護するという近代著作権制度にはまらない創作活動スタイルである。
 また、男性は女性に対し恋の歌を作るが、それも2人の間のものであり広く公表されるものではない。これら以外に、仲間内で歌を作り、評判が良いと教会で歌われたり、仲間内のパーティーなどで使われるようになるとのことだが、それが何らかの形で収入に結びつくようなことはない。たまに、非常に評判がいいケースでは、ニュージーランドで録音をしてCDを作るケースはあり、そうしたものはラジオ局に持ち込まれて放送される。放送を聴いてその曲が気に入った人は、USBを持ってラジオ局に行き、録音してもらうということである。
 歌やレコードが経済活動と結びつくことがない状態であり、著作権の保護が問題になるところまで行っていないようであった。但し、1965年に逝去したサローテ女王は今でも国民の間で人気が高く、彼女が作って各村にプレゼントした歌は大事に伝えられており、それを集めた本は出版後間もなく売り切れている。こうした本が外国で勝手に出版されるような事態が起こった場合には、どんな反応が起こるかは分からない。ちなみに、日本での著作権の保護は作者の死後50年後までであるから、あと7年経つとこの本は日本で勝手に出版できることになる。
タパ     タパ       -筆者撮影−
 伝統的な織物としてタパと呼ばれるものがあり、独特の模様を織り込んでいるが、良い模様が出来上がると、みんなに教えて互いに使い有っているとのことである。タパは大変に大事にされており、昔は敷物や壁飾りに使っていたようであるが、最近では冠婚葬祭の際に人に差し上げるという用途が主になっている。
 このタパも、昔ながらの天然繊維ではなくビニール糸で作られているものがあるそうで、トッペンネやキエキエと共に中国から安い製品が入って来ており、現金収入の多くないトンガの人たちは便利に使っているのが現実である。
 
○DVDレンタル等
 DVDレンタル店は街中に相当数有り、品揃えもなかなかなものである。これらのレンタル商品はすべて海賊版ということである。確かに、相当数あるとはいえ、遠く離れた島に運んでも人口が数万人しかおらず、収入も少ないためレンタル料も安くせざるを得ないとなると、正規版の市場として手をかける業者が出ないのも事実であろう。中国の海賊版が入ってきて、レンタル店は1枚のみ仕入れて自分の店でコピーしてレンタルしているようである。
 人気があるのは、韓国やフィリピンのテレビドラマとのことだった。韓流ドラマはここまでもと、その勢いに改めて感心した。アメリカを始めとするB級映画も人気があるようだ。アダルトビデオは、表だっての流通はしていない。結婚以外の男女交際が基本的に認められていない社会風土によるもので有ろう。とはいえ、キリスト教の強い影響で避妊が認められていないため、避妊具を使わないのでエイズを始めとして性病が増えているとのことである。
 セミナーでは、「トンガは市場があまりに小さいので、問題にならないからハリウッドの大手映画会社が摘発をしにわざわざ来ることはないでしょうね。」という質問が再三され、答えに窮した。ちなみに、会議場は同時通訳設備が整っている大変立派なもので、のどかな島の景観と違和感を覚えるほどのものであった。PIFの総会がトンガで開催された際に、台湾の援助で建設された。
 
○暴動と民主化 
 2006年11月16日に暴動が発生し、7人が死亡した。トンガは未だに実質的に王政の国であり、貴族と平民が分かれている。大臣は王により任命され、議会は貴族が互選する貴族議員と、国民が選挙する平民議員からなっている。2003年以降徐々に民主化が進んでいるが、そのスピードが遅いことに反発したグループが暴動を起こし、ヌクロファの街中心部の建物の多くが焼失した。
 きっかけは、民主化問題であったが、暴動そのものは失業中の若者やビジネスに進出している中国人に反発する人達が機をとらえて大騒ぎしたという色彩が強い。その証拠に、中国人を中心にインド人などビジネス進出を果たしている外国人企業が集中的に狙われ焼き打ちされており、その一方で略奪が横行した。約千人の逮捕者を出し、裁判は今でも続いている。外国からの援助も得て、街の復興が図られたが、現在でもあちこちに空き地が目立ち中心街は櫛の歯が抜けたようである。
 2010年の選挙の際には、全ての議員が国民の選挙により選出されることになっており、この時点で完全民主化がなされる予定。大臣に任命されている人の多くは、民主化支持者であるが、いわば穏健派、保守派である。
 これに対し、民主化急進派は強い政府批判を続けており、今年4月24日に行われた議員選挙(平民議員)では、9議席中の6議席を急進派が占めた。立候補者は77名と多かったが投票率は48%と半分を割った。ある程度意識の高い人たちの間では民主化は大きな関心事となっているようであるが(著作権フォーラムの国外からの講師陣の世話をしてくれた若い役人は、熱心に民主化の説明をしてくれた)、穏健派と急進派の争いが国民全体の関心を引き下げている部分があると思われる。
 元々豊かな自然に恵まれ、椰子の実、バナナ、パンの実、パパイヤ、タロイモ、ヤムイモ、各種野菜が豊富に実り、海に出ればリーフフィッシュが得られる。生活に困ることはなく、実際に乞食やホームレスはいない。誰かが海外に出稼ぎに出て仕送りをしてくる家族が大半である。実際我々が滞在していたのは選挙直前であったが、選挙カーで演説しているとこに1度出会っただけで、選挙ポスターも殆ど目につかず、選挙運動中を感じさせるものは殆どなかった。その週に選挙があるということを予め知っていなかったら、外国人旅行者である筆者は選挙カーもそれとは分からなかっただろう。
 国王ツボウ5世は2010年の民主化完成を達成する意思を示しているが、メディア規制のための憲法改正(ネット以外のメディアを許可制にする)の話も出ており、最終的な民主化にまでにはまだ紆余曲折が有ると思われる。
 
<サモア>
 サモアは、トンガの北西にあり、ジェット機で1時間半である。ところが、この国は日付変更線の国である。トンガからサモアに行くと日付変更線を越えるため、1日戻ってしまう。4月22日21時20分にトンガを発った筆者は、1時間半後4月21日22時50分にサモアに着いた。体に感じる時差があるわけではないので、日本から欧米に旅するような時差ボケの心配はない。しかし、4月22日を2回経験することになる。火曜日であったから、平日の勤務日が1日増えた勘定である。得をしたのか損をしたのか良く分からない。
 サモアは、人口20万人強で、首都アピアがあるウポル島は、1114平方キロとトンガタプ島のおおよそ2倍の大きさ。火山島で島の中心には1100メートルの山が有る。日本の矢崎総業が工場を操業しており、現在の従業員は1700〜1800人規模。
 空港に着いた途端に、トンガとは違う雰囲気を感じる。空港の建物も近代的で、トランクが出てくるターンテーブルの回りの照明が明るい。空港の出口ではタクシーが多数並んで市内までの客引きをしている。前の広場では色が変わるカラー照明を施した噴水が外来の客を出迎えている。空港からアピア市内までは車で40〜50分。海岸沿いに舗装された気持ちの良い
アピア中心部    アピア中心部     −筆者撮影−
道路が続く。
 ここでの宿泊先は、ミレニアホテル。規模は小さく、部屋の設備もシャワーだけと比較的簡易な作りである。インターネットは、無線LANが設置されていて、無料で使える。時間帯によっては、回線が混雑して繋がらないこともママあるが、回線速度はトンガのデートラインホテルよりは大分早い。無線LANが使い放題ということで、JICAで派遣されている日本人がかなり宿泊しており、夕方から夜にかけてはホールで情報交換を行っている。
 我が人生で2回目となる2008年4月22日(火)は、午前中ホテルから歩いて5分ぐらいの街の中心に出かける。人も車も賑やかで活気にあふれている。十数階建てのビルディングがあちらこちらと目に入る。実際にはぐるりと歩いて回って30分位の狭い地域ではあるが、そこはまさにダウンタウンと呼ぶにふさわしい賑わいである。モダンなレストランが有っても、トンガでは何となく暗いような感じがしたが、それはこの活気がなかったからだと気づかされた。 中心街の入り口には魚市場があり、その日とれた魚が台の上に並べられ、売り手は木の葉で蠅を追っている。ビンチョウマグロ、スマガツオ、シイラ、レッドスナッパ−などと共に、マッドクラブ(マングローブガニ)も見える。その前はバスターミナルで、トラックの荷台部分を通常のバスの客席につなぎ変えた独特のバスが行き交う。バスターミナルの背中合わせにフリーマーケットがある。昔のアメ横と大衆食堂を足したような作りで服や装飾品から食器類まで色んなものを売っている。
 食堂は、オープンスペースとなっており、回りで売っている揚げた魚や炒めた米などを買って食べる仕組みになっている。ここの食べ物は、元々のローカルフーズが中心である。衛生状態は万全とは思えないので、腹に自信のない人は避けた方が良いかもしれない。
 ローカルな食堂の雰囲気を味わいたければ、もう1本山側に入ると、ビルの中にオープンスペースレストランがある。フリーマーケットと同じようなシステムで中央はオープンな客席、周囲の店で食料や飲料を買って食べる。ご飯の上にカレーや炒め物、揚げ物などを盛って食べるのだが、全体に中華風の感じである。ここで驚いたのは、どの店でもココナツの実が冷やしてあり、ココナツジュースが安く飲めることである。地元の人も好んで飲んでいる。ミクロネシアでは、これだけ豊富に安くココナツジュースを提供している風景は近年お目にかかれない。道端では、コーラの空き瓶にココナツオイルを詰めて売っている。
 こうしたローカル色豊かな下町のマーケットと並んで、欧米風のサンドイッチカフェやビザの店、マクドナルドに高速インターネットカフェまでが混然としている。サンドイッチカフェは、日本とそれほど変わらない値段であるが、ローカルマーケットの食堂もサンドイッチカフェも昼食時は満員である。一方で、街角では乞食を2人見た。滞在中、毎日見たのは1人だけであったが、人が集中する場所が出来ると乞食も出現するのであろう。
 街の中心部から車で5〜6分山の方へ登っていくと、『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』で有名なスチーブンソンの博物館がある。彼が晩年を過ごした邸宅が庭ごと保存されており、博物館として公開されている。美しい芝生の中央にコロニアルスタイルの建物が建っている。中には当時の備品も飾られており、彼がサモアの人達にいかに慕われていたかが良く分かる写真や説明が展示されている。
 1日で島を半周し、2時間ほどビーチでくつろぐツアーに参加した。田舎に入っていくと、この島の豊かさが良く分かる。高い山があるので、水が豊富であり、中央部には滝もいくつかある。海岸線の近くには、集落が点在し、それぞれファレと呼ばれる伝統的な壁のない建物がある。これは、一種の集会場で、集落全体のファレもあれば、家族や親族のファレもある。従って、1つの集落で大小幾つかのファレがある。
 道路や庭はきれいに清掃されていて、ゴミどころか落ち葉さえ見あたらないぐらいである。家の回りや、集落の近くにタロイモの畑がたくさん見える。ヤシは至る所で実をつけ、バナナやパパイヤ、パンの実など食べるものには事欠かないのが十分に見て取れる。ちょっと山側
ファレ    ファレ        −筆者撮影−
に入っていくと、ヤシのプランテーションと牧場が広がる。ガイドの説明によれば、牧場の牛はミルクを取るためのもので、肉は食べないとのことである。馬も多少はいるが、基本的には下草を食べさせるためのもので、乗馬を目的としているわけでは無い。鶏はあちこちで放し飼いされているが、逞しくて、我々では捕まえられそうにない。
 島の東南部にビーチが並んでいて、海水浴場になっている。各ビーチ毎に、海の家ならぬ“ビーチ・ファレ”が建てられていて、これをそれぞれ仲間なり、家族なりで借りて使う。東南端のタファ・ビーチが一番設備が整っており、ここにはダイビングショップも有り、シュノーケリングの道具なども借りられる。筆者達は、それよりは西よりのビーチに案内され1時間強リーフ内での水泳やビーチファレでの憩いを楽しみ、その後、大きなファレに用意されたバーベキューの昼食を楽しんだ。リーフ内の珊瑚は、白化も見られ半分くらいが死んでいる感じであった。そのため、満潮時にも拘わらず魚影は薄く、シャコ貝も殆ど見られなかった。
 ツアーの帰りに昔ながらのヤシの実の扱いをして見せてくれるところに立ち寄った。地面に突き立てた棒に実を打ち付けて外側の繊維を剥ぎ取る。中の殻を割りジュースを飲む。その後に殻の内側に残った白い板状のものが胚乳である。これを砕いて絞るとココナツミルクになる。絞るにはココナツの外殻の繊維を布巾のようにして使う。これも美味である。ここまでを実際にやって味見もさせてくれる。胚乳の乾燥したものがコプラで、これを絞るとココナツオイルになる。葉は屋根を葺くのに用いられるし、幹は建材になる。ヤシは葉から実まで全てが利用される。南洋ではヤシが多いと豊かな暮らしが出来る。
 さて。街中に戻る。当然、トンガにも負けないしゃれたレストランがある。海に突き出た岬の先で、海風が通るように壁を殆ど建てていないレストランに入った。前菜の刺身はなかなかのものであった。ワインも美味しい。潮風を楽しみながらメイン料理を待っていたら、突然雨が降ってくると共に風が強くなった。雨は吹き込むし、テーブルの上のものは風で飛ばされるし大騒ぎである。従業員がずぶ濡れになって雨よけのシャッターを下ろし終わった頃には雨も風も弱まっていた。突然のシャワーが珍しくない熱帯では、余りにしゃれすぎた店は時として不運に見舞われることを覚悟しないといけないようだ。
 
○インターネット事情等
 前述のように、ホテルの部屋でも、自由にとは言えないまでもインターネットは使えた。インターネットカフェでは極めて状態が良く、ストレスなく使うことが出来た。PCはまだ一般家庭に普及しておらず、職場や学校、インターネットカフェで利用している点はトンガと同じである。但し、政府の中級官僚以上はノートPCを配布されており、それを自宅に持ち帰って使うということが良く行われている。
 携帯の普及は著しく、若い人の所有率は高い。特に、3年ほど前に携帯会社が2社になり、競争状態になってから値段が下がり普及が進んでいるとのことであった。
 実際に、ジュネーブから来ていたWIPOの職員は、ジュネーブから持ってきた携帯がうまく使えなかったので、現地でシムカードを買い、そこにプリペイドで通話料を入れておくことにより、快適に使用していた。それも、大変安い値段で海外とも話が出来ると喜んでいた。ちなみに、筆者のドコモのワールドウイングは、日本のホームページ上では使えないことになっていたが、サモアでは使用することが出来た。尤も、通話料を考えると現地でシムカードを買った方が合理的ではある。
 
○酋長制度、コミュニティ
 伝統的な酋長制度が社会の中で現実的に作用している。サモア人ガイドによれば、15人に1人酋長がおり、その上にハイチーフが置かれるとのことであった。酋長の中で一定の格を持つ人たちがマタイと称されている。マタイにもいろいろな格がある。国会議員はマタイでないとなれない。現実には、政府の上級職員も皆マタイの称号を持っている。マタイは、国政レベルで権限を持つだけでなく、本来地元の村の面倒を見るのが責務。
 村のコミュニティは昔ながらに維持されており、助けあいが行われている。有力者にお金をせびることはよく見られ、マタイの称号を持つような人たちはそれに応えないといけない。大家族制度の下で、養子縁組を利用して、豊かな家族が貧しい家族を支えるシステムが機能している。
 村では、豊かな自然に支えられ、ヤシの実を始めとする伝統的な農産物が豊富でサブシステンス社会は残っている。助け合い機能も残っており、村にいる限りにおいては食べるに困ることはない。貨幣経済と便利な品物が入ってくることにより、金を求めるようになって来ているが、乞食は極めて特別な存在と考えられる。ちなみに、筆者が滞在中毎日見たのは1人だけで、同じ人物であった。逆に言うと、余程特殊な事情があると見るべきかもしれない。
 全国民がキリスト教徒であり、日曜日は家族で教会に行き、その後皆で伝統的食べ物をとるのがパターンとなっている。サモアの人は伝統的な食べ物が好きで良く食べる。特に好まれているのはタロイモとのこと。
 
○漁業
 沖合に出るとビンチョウマグロが捕れる。アメリカンサモアにツナの缶詰工場があり、そこの原料として売る。メバチマグロやキハダマグロも捕れるが、漁の中心はビンチョウマグロ。但し、近年漁獲量が大きく落ちている。
 ローカルで消費する魚は基本的にリーフフィッシュ。村やクランでリーフ内の漁業権を持ち管理している。竹の棒を海中に立てて漁獲制限をし、マリーンプロテクトに取り組んでいる。一方で、ダイナマイト漁や薬品による漁も未だに行われている。
 
○サモア語
 英語とサモア語が公用語だが、サモア語は大事にされている。公式行事の挨拶などでは、サモア語でスピーチが行われ、その後要約を英語でするというようなことが普通に行われている。筆者が参加した著作権セミナーでも、大臣の挨拶は最初サモア語で行われ、その後英語で話が続けられた。テレビ、ラジオ共ニュースはサモア語と英語の両方で流している。文化伝承に必要な母語の継承はきちんと行われており、口承は各村できちんと保たれているとのことであった。
 
○著作物等
 音楽CDやミュージックテープはサモアの楽曲・演奏のものが発売されており、小さいながらも市場を形成している。価格は70タラ(3000円弱前後)程度でかなり高い。時たま、5タラ程度で海賊版が販売されているが、大抵の人は誰かから借りてコピーをするので、海賊版がそれほど売れているとは考えられない。
 フィジーでは、映画館で盗撮されたDVDが出回っており、それがサモアに回って来ているものもある。アピアにある映画館マジックシネマでも盗撮があり、そこから海賊盤DVDが出回ったことがある。映画館側がDVDショップにクレームをつけて、以後そのようなケースは見られていないようである。しかし、他の国の海賊版が映画館での公開以前に出回ってしまうため、映画興行上のダメージは大きく、映画館は相当に困っている。政府の役人も、海賊版DVD等を見つけ次第撤去させているが、専門の取り締まり部署があるわけではなく、十分な効果を上げているというところまでは行っていない。
 セミナーにおいても、音楽の作詞作曲家という人が、たくさんの歌を作って来て、かなり使われているが、その対価が適正に支払われることがない、と憤慨していた。
 小さいながらも著作物の市場が出来あがっているため、海賊版の問題はビジネスに影響を与えている。一方で、サモアは、著作権法でフォークロアの保護を定めているが、音楽をはじめ、伝統的な著作物は、従来のやり方に従って、人々が自由に使っている。この環境において、新しい著作物について使用料を適正に徴収するのはなかなかに困難なことであろう。その上、録音録画に使う機器はデジタルで性能が良い。新しく出てきた音楽産業を発展させ、海賊盤DVDで映画館がつぶれないようにするためにどのような新しい社会システムを現実に築いていくのか、なかなかに難しいところである。
 
 最後に、今回の旅においては、トンガではネリマロッジを経営する又平直子アフェアキさんに、サモアではPIの小林秀野さんとFAOの泉正南さんに多くの情報提供を頂いた。さらに、現地に派遣されているJICAの協力隊の方々からも色々とお教え頂いた。本誌面をもって、あらためてお礼を申し上げる。又、PIの大石敏雄氏、大東文化大学の川村千鶴子氏及び外務省大洋州課の方々に出発前に情報協力頂いた。あわせてお礼申し上げる。 
  しかし、こうした危惧を別にすれば、「人民憲章」の内容自体は、西欧先進国の立場から見てもすぐれて進歩的なもので、高く評価されるべきものである。クーデタによって成立した軍事政権であるとしてあくまで政権の正当性を問い、総選挙の実施すなわち民主制復帰という見解に固執する立場は、フィジー独自の発展ペースへの配慮を欠いた、あまりにも浅薄な民主主義観の強制であるといわざるをえないだろう。
 このような対応は、却って新たな混乱を惹起しかねないとおもわれる。
 

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