PACIFIC WAY

      ビキニ環礁が世界遺産に
  

小 林 泉( こばやし いずみ)

 
 ユネスコ(国連教育・科学・文化機関)は、2010年8月1日にブラジルで開かれた世界遺産委員会で、マーシャル諸島のビキニ環礁を世界遺産にすることを決めた。ミクロネシアでの世界遺産登録は、このビキニが初めてとなる。これは広島の原爆ドームと同様に、「負の遺産」として人類が忘れてはならない過ちの証しだから、後世に引き継いで行くべき意味は大きい。

  アメリカは1946年から58年にかけてビキニ(23発)およびその西方にあるエニウェトク(43発)の両環礁で合計66回に及ぶ原水爆実験を行った。この環礁の住民たちは予め退去させられていたが、風に乗って避難場所にまで飛来した死の灰を浴びて多くの住民が被曝。このためマーシャル諸島では、核実験から半世紀以上が経過した今も様々な形態で、核による社会的後遺症が続いている。

  核実験の回数はビキニよりエニウェトクの方が多かったが、知名度の点では世界的にも日本的にもビキニの方が遙かに高い。その理由の一つに挙げられるのがビキニ水着ではなかったか。今ではそれを知る人は少ないが、ビキニ環礁こそがこの水着名の由来なのだ。1946年7月にフランス人デザイナーのレアールによって発表された超露出の水着は、直前に実施されたビキニ環礁での原爆実験にも匹敵するほどの衝撃度だったからである。今では普通になっているビキニスタイルだが、当時の常識に照らした刺激度の高さから、実際にこの水着が普及するまでにはそれから20年ほどかかっている。

  日本では、第五福竜丸事件がビキニの知名度を上げた。1954年3月の水爆実験ブラボーで、近隣海域で操業していた静岡県焼津の遠洋マグロ漁船の乗組員23名全員が被曝し、無線長だった久保山愛吉さんが半年後に死亡した事件である。それ以来、ビキニと第五福竜丸は反核のシンボルとなった。

  強制退去させられたエニウェトクとビキニ環礁の住民は、近隣のあちこちの島を連れ回された結果、いちおうキリー島とイジェット島を中心に落ち着いたが、生産手段をもたない新たな島での生活は、いわば収容所生活のようでもあった。

  一方アメリカは、核で汚染された二つの環礁の土壌を入れ替えるなどのクリーンアップ作業を行なって、1968年にはビキニ環礁の安全を宣言した。これにより帰島者も徐々に増えていったが、核汚染の完全除去を疑問視する声が上がり、再度の本格調査を余儀なくされた。すると、帰島民の常食するココナツから高レベルのストロンチウム及びプルトニウムを検出。これによりアメリカは、再び全員に退去を強制したのである。

  このように流浪の民となった両環礁の元住民はビキニ167人、エニウェトク150人。しかし、60余年が経過した今では、それぞれ3000人超にまで膨れあがっている。こうした現実がまた、現在のマーシャル諸島共和国に、1)被曝による健康被害の拡大、2)ビキニ・エニウェトク人の認定と核実験補償費の分配、3)旧環礁住民の居住地確保、等々の諸問題を引き起こし、それらの問題を複雑化させている。

  例えば、3000人とも4000人とも言われる旧ビキニ人だが、退去時の人たちの中で現存しているのは41人程度。その他は別の島で生まれた子供や孫たちとその配偶者たちだから、これが新たな社会問題になっているのだ。というのも、彼らの中には居住地が未だ不安定であったり、被曝後遺症で苦しむ人々がいる一方、マーシャル政府が1986年の独立時にアメリカと締結した補償協定から補償金をもらうためにビキニ人を名乗る人たちも少なくないからだ。故郷であったはずのビキニ環礁を知っているビキニ人はもはや極少数派。だから、島への帰還運動やその目的も変質してしまった。それだけになおさら、今回の世界遺産登録を機に、ビキニ環礁の有効な使い道を考えていかねばならないのである。

  現在は、両環礁の再度の浄化事業が一応整って、幾つかの制約があるとはいえ帰島が可能となっている。そのため、エニウェトクには800人の住民が住んでいるが、ビキニには帰島民はいない。現在十数人が住んでいるが、彼らは島にある十数棟あるコテージ型ホテルの従業員たちである。

  マーシャル政府はこの環礁のネームバリュウを利用して、ビキニを観光地にしようと考えている。というのも、環礁内には、原水爆実験時に標的艦とされた日本の戦艦長門や米の退役空母サラトガなど数隻が沈んでおり、一部のダイバーたちの穴場ダイビングスポットになっているからだ。ビキニへの旅程は、マジュロからプロペラ機でクワジェリンまで1時間、そこからさらに2時間ほど。世界遺産の名が一時的な注目に終わらないように、私たちも上手な使い道を考えたらいい。それも国際協力の一環となるのだから。
                                      (小林 泉)
注:後出の黒崎論文では、エニウェトクをエヌエタック、イジェットをエジットと表記している)

 

                                               

 

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