PACIFIC WAY
    
   
メラネシア島嶼国の慢性的政権不安定について
     〜ソロモン諸島とヴァヌアツとの最近の事例を中心に〜

研究員 加藤向一(かとう こういち)


 
はじめに: 政党制未成熟なメラネシア
 メラネシア島嶼国というと、政権が不安定と相場が決まっている。具体的には、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ヴァヌアツ、フィジー諸島、ニューカレドニア(未独立)が、メラネシア諸国にあたる。

  メラネシア島嶼国では、現在軍政下にあるフィジー諸島を例外として、議院内閣制が採用されている。パプアニューギニアは旧豪州植民地、ソロモン諸島は旧英国植民地、ヴァヌアツは旧英仏共同植民地、フィジー諸島は旧英国植民地で、旧宗主国である豪州・英国の影響を受けて議院内閣制を採用したのだろう。旧植民地が独立に当たって旧宗主国の政治制度にならうというのは、よくあることだ。フランス海外領域ニューカレドニア自治政府も議院内閣制だが、これはかなり特殊な形態をとっている。

  一院制国会議員選挙制度として、パプアニューギニアはAV制(一種の小選挙区制)、ソロモン諸島は単純小選挙区制、ヴァヌアツは大選挙区制(17の選挙区から52名を選出)を採用している。政治学の世界で最も信頼性の高い法則とも言われるデュベルジェの法則(Duverger [1964] 1978, 205)によると、小選挙区制を採用すると二党制になり、比例代表制を採用すると多党制となりやすい。そして、大選挙区制は、小選挙区制と比例代表制との中間的性質を持つ選挙制度と考えられている。しかし、今回取り上げるソロモン諸島とヴァヌアツでは、デュベルジェの法則は全く通用しない。これは、デュベルジェが選挙制度と政党制との間に因果関係を見いだした先進国とは、社会環境があまりにも違うからだろう。

  ソロモン諸島とヴァヌアツは選挙制度を異にするが、政党制についていえば、どちらもサルトーリ(Sartori 1976, chap. 8)の政党分類でいう原子化政党制(atomized multi-partism)にあたる。小政党が存在してもいずれもその構成員は少なく、一人一党または無所属議員が多い。原子化政党制は、政党分類上のカテゴリーということになっているが、実際には確立した政党制の不存在を示す表現と考えた方がよい。この状況で、多数派工作によって国会が首相を選出して内閣が形成される。しかし、政権を支える与党は小政党や無所属議員の寄せ集めであり、結束力が弱い。首相選出投票で負けた小政党や無所属議員も寄せ集めながら、野党としてさらに多数派工作を進め、国会における首相不信任案可決による政権奪取を目指す。与党側は、これに対抗して与党内の支持固めに努めると同時に、野党議員を引き抜いてでも国会における多数を維持して政権を守ろうとする。そもそも与党だの野党だのといっても、政策やイデオロギーは重要ではなく団結力は強くないので、大臣ポストや金に釣られて移籍する議員が多い。与党が多数派工作に成功し続けて政権を比較的長く維持していても、実際には不安定ながら何とか政権が生きながらえているという場合が多い。これでは、政府は、落ち着いて政策を立案・実施することが難しい。以下、ソロモン諸島とヴァヌアツとの最近の政権不安定ぶりを紹介する。
 
ソロモン諸島: フィリップ政権安定までに半年かかる
 ソロモン諸島では、国会は自主解散権を持つが(憲法第73条第1項)、それ以外には議員の任期満了前に国会が解散することはない(憲法第73条第3項)。つまり、首相又は内閣の助言により総督が国会を解散することはあり得ないのだ。従って、野党側は、政権側による国会解散権行使を恐れることなく、安心して多数派工作を続けることが出来る。しかも、政権側とは違って政権運営をする必要がないので、多数派工作に専念できる。一方の政権側は、政権運営をしながらの多数派工作となり、しかも国会解散権行使という対抗策がない。ソロモン諸島政府は、下院解散権を持つ日本やイギリスの政府に比べて、この点で国会対策において不利な立場にあるといえる。

  2010年8月4日執行国会議員総選挙(定数50名)の後、各種多数派工作が行われた末に同年8月25日の国会で首相選出投票が行われ、ダニー・フィリップ26票・スティーブ・アバナ23票・棄権1票で、フィリップ政権が成立した。敗れたアバナは、野党代表となった。政府与党の国会における数的優位はわずかで、首相不信任案可決の危機にさらされることとなった。

  2011年1月下旬になって4名が大臣職を辞して野党に移籍すると表明すると、急速に与党の数的優位が不安定化した。1月25日には、また別な大臣が辞表を提出して野党に加わり、与党23名・野党25名となり与党の数的優位が失われた。しかし、国会は閉会中で、すぐに首相不信任案可決とはいかない。そこで、野党は25名の署名を以て、総督に対して国会開会の請願を行った。また、2月2日には、野党24名となっていたが、首相不信任案を国会議長に提出した。政府与党は、苦しい状況にあった。3月末までに予算を成立させるために、遠からず国会を開かなければならない。しかし、それではその国会で首相不信任案が可決されてしまうかもしれない。

  国会閉会中とはいえ与野党が伯仲するなか、政権側から怪文書が出た。首相府報道官が、諜報活動報告書だとして、これをソロモン諸島唯一の日刊紙ソロモン・スターに渡したのだ。この文書は1月28日付けで、豪州とRAMSIはフィリップ現政権を嫌い、これを転覆しようと野党副代表に各種協力していると書かれている。豪州は工作資金2000万ドルを用意しており、与党から野党へ引き抜かれた議員には20万ドルが与えられるという。豪州が野党代表ではなく野党副代表によるフィリップ政権転覆を目指しているのは、野党副代表の方が豪州にとって次の首相として望ましいからだとある。

  2月7日これが報道されると、野党・豪州・RAMSIは直ちにこれに反発し、政府に対してこの主張の根拠提示を求めた。しかし、首相府は、2月9日に、これは諜報活動報告書だから情報源を示さないとして、野党副代表は豪州政府との合意内容を国民に明らかにすべきだと強く主張した。

  結局、2月中旬になって、フィリップ政権は、この1月28日付文書はあるとき政府に届いたものだと主張したが、根拠不明のものだったことは認めた。そして、国会は、3月28日に開かれることに決まった。現在では、この文書は首相府報道官の作文だと考えられているが、フィリップ政権がソロモン諸島にくすぶり続ける反豪州・反RAMSI感情につけ込んで多数派工作を有利に進めようと繰り出した奥の手だったのかもしれない。

  この怪文書が野党指導部への信頼を損なう効果を発揮したのか、ここからの政府与党の巻き返しがすごかった。内閣改造により野党議員を大臣として次々に引き抜き、2月24日までに与党29名・野党19名となっていた。

  首相不信任案可決が絶望的となる中、野党内に内紛があり、国会開会日3月28日にアバナは野党代表を辞職した。新しい野党代表には前首相デレク・シクアが就任したが、この段階で与党32名・野党12名と与党の優位が確立していた。シクア新野党代表は、新たな首相不信任案を国会議長に提出し、再度の多数派工作による巻き返しを目指すとしたが、不発に終わった。しかも、4月6日には、前野党代表アバナを含む6名の野党議員が与党に移籍した。首相不信任案は、審議されることもなく消えていった。

  これで与党は国会において圧倒的多数となり、野党は極少数となった。当分の間は、フィリップ政権が安心して政権を運営し、シクアを代表とする野党がこれをチェックする形での政治が続くだろう。しかし、政権発足から政権安定までに、結局半年を要した。しかも、これは一応の安定であり、そもそも与党の結束が弱いので、いつまで安定が続くかは不明である。
 
ヴァヌアツ: 次々と首相が交代
 エドワード・ナタペイ首相は、6回の首相不信任案を切り抜けてきたが、同首相外遊中の2010年12月2日に首相不信任案が可決され、サトー・キルマン副首相が新首相に選出された。その後、留守を襲われて首相の座を追われたナタペイは野党代表となり、多数派工作を続けて国会におけるキルマン首相不信任案可決に執念を燃やした。これに対抗すべく、政府与党は内閣改造を繰り返して、野党議員を大臣として次々に政府与党に迎え入れるという作戦をとった。また、与野党間の引き抜き合いには、多額の金銭も使われたと見られている。

  与野党の議員数は激しい増減を繰り返した。2011年2月11日、議員定数52名中29名の署名による首相不信任案が国会に提出された。同日、サージ・ボオールを含む三名の大臣が辞職して、野党陣営に加わった。この段階で、ナタペイ野党代表は、野党議員数は34名と主張していた。しかし、政府与党は、内閣改造などによる野党切り崩しに成功し、野党議員数は15名にまで減った。野党は、首相不信任案採決が予定されていた2月21日、やむを得ずこれを撤回した。

  しかし、ナタペイ代表率いる野党は勢力を盛り返して、4月14日に議員27名の署名による新たな首相不信任案を国会に提出した。野党議員達は、政府与党による切り崩しを避けるため、リゾートホテルで合宿した。4月20日の国会は与党議員の欠席によって定足数に達せず、4月24日が首相不信任案採決の予定日とされた。政府与党による、明らかな時間稼ぎだ。

  ヴァヌアツ大統領は、内閣の助言に基づいて国会を解散することが出来る(憲法第28条第3項)。追い詰められたキルマン内閣は、大統領に国会を解散するよう助言した。実際には、懇願と呼ぶべきものだっただろう。しかし、大統領は、解散総選挙は現在の政権を一時的に救う可能性があるものの、ヴァヌアツにおける政権の慢性的不安定を解決するものではないとして、国会を解散しなかった。内閣による助言は大統領による国会解散権行使の必須要件だが、日本の天皇と違って、内閣から助言を受けたヴァヌアツ大統領は自身の考えで国会を解散するかどうか決めることが出来るのだ。このときの大統領の判断は、国民を主権者とする国の元首として相応しいものだったといえる。

  2011年4月24日、ついにキルマン首相不信任案が可決され、サージ・ボオールが首相に選出された。同氏4回目の首相就任である。ナタペイ野党代表は、自身が首相にならないだけでなく、後進に道を譲るとして大臣にもならなかった。

  ここから法廷闘争が始まった。国会議員定数は52名だが、5月24日のボオール首相不信任案は26票によって可決とされた。しかし、憲法第43条第2項は、首相不信任案可決には「国会議員の絶対多数」の賛成が必要と規定している。したがって、首相不信任案可決には半数の26票を上回る27票が最低要件であったとして、キルマンが首相不信任案可決無効と首相としての地位確認の訴えを起こした。その結果、5月13日裁判所がキルマンの主張を全面的に認め、キルマン首相不信任案可決とそれに続く新首相選出を無効とし、キルマンが引き続き首相であるとの判決を下した。ボオールもこれを受け入れ、この件についての法廷闘争は決着した。ただし、ボオールは野党代表となり、多数派工作によるキルマン首相不信任案可決を目指した。キルマン首相は、5月20日の信任投票で信任27票を獲得し、野党陣営の不信任25票をとりあえず退けた。

  一方、ナタペイ元首相による新たな法廷闘争が始まった。憲法第41条に首相選出は秘密投票によると規定されているのに、2010年12月2日にナタペイ首相不信任案が可決された後の新首相選出にあたって挙手での採決が行われたので、このときの首相選出は無効だとの訴えを起こしたのだ。6月15日、最高裁判所は、2010年12月2日の(ナタペイ首相不信任案可決は有効だが)キルマン首相選出を無効とし、ナタペイを新首相が選出されるまでの暫定首相とする判決を下した。ナタペイ暫定首相は、自分は首相を目指さないと表明して、ボオール支援にまわった。6月25日に新たに首相選出投票が行われ、キルマン29票・ボオール23票で、キルマンは議員定数52名の過半数の支持を得て、今度こそ正統な当選者として政権を形成した。

  さすがに、これ以上の法廷闘争はないだろう。だが、与野党間の多数派工作による国会闘争はこれからも続くかもしれない。
 

考察: 無理のある議院内閣制・だが大統領制採用は困難
 議院内閣制は、国会に確立した政党制が存在し、国会内で多数を制した政党勢力が政権を担うことを前提に、いくつもの先進国で採用され機能している政治システムである。イギリスの二大政党が政権交代しつつ安定した政権を形成する姿が、長らくその理想的典型とされた。しかし、ヨーロッパ大陸における多党制状況下での連立政権も、多くの場合比較的安定した政権を維持しているというライプハート(Lijphart 1999)の実証研究が登場し、現在では多くの政治学者がこれを受け入れている(Lijphart 1999は、同著者1984年出版本の拡充版)。

  しかし、ソロモン諸島やヴァヌアツのように、確立した政党制が存在しない国で議院内閣制を採用すると、国会での与党の多数は不安定となりがちで、安定した政府が一定期間安心して政策を立案・実施するのが困難となる。これは両国に限られるものではなく、議院内閣制を採用する多くの発展途上国に共通した問題だ。

  これに対する一つの処方箋は、アメリカ型大統領制(又はそれに準ずる首相公選制)を採用することだろう。そうすれば、政府は任期中安心して政策を立案・実施できる。この場合、政府は必ずしも国会における多数の支持を得ているとは限らないので、政府と国会との関係がスムーズに行かず、予算・法律の成立に困難が生ずるかもしれない。しかし、現実にアメリカ型大統領制を採用している発展途上国では、政府と議会とがそれなりに折り合いをつけて、何とか政治運営をしている場合が多い。日本の都道府県レベル・市町村レベルでの政治も同じことだ。

  それはよいとして、議院内閣制を廃止してアメリカ型大統領制(又はそれに準ずる首相公選制)を採用するには憲法改正が必要だが、これはどう考えても実現が難しい。立憲君主国ソロモン諸島で憲法改正により首相公選制を採用するには、国会が国会議員数の三分の二以上の賛成で憲法改正案を二回可決する必要がある(憲法第61条第1項および第3項)。また、共和国ヴァヌアツで憲法改正によりアメリカ型大統領制を採用するには、国会で議員数の三分の二以上の賛成によって憲法改正案を可決し(憲法第85条)、国民投票で過半数の賛成を得なければならない(憲法第86条)。ソロモン諸島とヴァヌアツの国会議員が、ここまで政権を巡って争うのは、政権を取って大臣職に就けば大きな利権が得られるからだろう。また、大臣になれなくても、引き抜かれた議員は多額の賄賂が得られる。引き抜かれなくても、自陣営に留め置くためのポストの約束や金銭授与があるのかもしれない。ところが、議院内閣制を廃止してアメリカ型大統領制(又はそれに準ずる首相公選制)を採用してしまうと、国会議員はこうした利益を得られなくなる。こう考えると、これについて多くの国会議員の賛同により憲法を改正というのは、容易でないのが分かる。

  二つ目の処方箋は、議院内閣制をとる太平洋島嶼国でしばしば話題になる方法で、国会議員任期中の与野党間・政党間の移籍を禁止することである。しかし、これは国会議員の国会活動の自由に対する重大な制限であり、国会における投票の自由に対する深刻な制限をも意味する。法律によってこれを定めれば、裁判所が憲法違反と判断する可能性が高い。憲法改正によりこれを規定しても、なお憲法改正の限界(いくら何でもここまで改正してはいけないという道理としての限界)を超えるものとの疑いが残る。いずれにしても、自由民主主義国において採用されるべき制度ではないだろう。

  三つ目の処方箋は、政党政治が発展して何らかの政党制が確立するのを、気長に待つことである。だが、それまでは、政界混乱と政権不安定とが続くことになる。
(以上)
 
 
ソロモン諸島(Pacific Islands Report, 2011. 1.21〜4.20/Solomon Star, 1.25〜4.20 /Solomon Times, 1.24〜4.13/Island Sun, 2.10/Radio Australia, 1.23〜3.30 /Radio New Zealand International, 1.20〜3.28/RAMSI News Release, 2.9)より関連記事を参照
 
ヴァヌアツ(Pacific Islands Report, 2010.12.3〜2011.6.27/Radio New Zealand International, 2010.12.16〜2011.6.26 /Radio Australia, 2010.12.2〜2011.5.20 /Vanuatu Daily Post, 2011.4.28〜6.21/The Age, 2010.12.4)より関連記事を参照
                 
【参考文献】
Duverger, Maurice. [1964] 1978. Political Parties: Their Organization and Activity in the Modern State. 3rd ed. Trans. Barbara and Robert North. London: Methuen, Reprint.
Lijphart, Arend. 1999. Patterns of Democracy: Government Forms and Performance in Thirty-Six Countries. New Haven, Connecticut: Yale University Press.
Sartori, Giovanni. 1976. Parties and Party Systems: A Framework for Analysis, Volume I. Cambridge: Cambridge University Press.

 

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