研究員の論文
フィジー新憲法(1997年)の若干の特徴について

(社)日本ミクロネシア協会オセアニア研究所主任研究員 東裕(ひがし ゆたか)
(初出:「ミクロネシア」1997年(通巻104号)pp.35-45)

1.はじめに
7月25日、フィジー新憲法が大統領の署名を得て成立した。フィジーは1970年の独立以来3つ目の憲法のもと、新たな国家形成へ向けての歩みをはじめることになった。87年のクーデタ後に成立した、現在の90年憲法は、下院議員の選挙規定に典型的にみられるようにフィジアンの政治的優位の絶対化・恒久化を意図した人種差別憲法 (racist constitution)という批判を浴びてきた。このたびの新憲法は、この点を大きく修正し、フィジアンとインディアンの融和(調和)を基調とし、真の国民国家の形成をめざす方向を打ち出した。わが国のマスコミでも、この南太平洋の小国の憲法改正について報道された(筆者の知るかぎりでは、朝日新聞とNHK)が、いささか民族対立が強調されすぎているような印象をうけた。確かに、対立の存在は事実であり、今後もこの問題の解消はフィジーにとって国民国家形成における最大の課題であることはまちがいない。しかし、97年憲法成立に至るここ数年の動向をみると、「対立」の解消から「和解」に向けての積極的な姿勢が、フィジアン・インディアンの双方から伝わってくるのもまた事実である。新憲法の成立に向けてのスケジュールが予定どおり進行するかも危ぶまれていたが、実際にはまことにすみやかな経過をたどり、すんなりと成立したのも両民族間の協調姿勢が基調にあったからである。

本稿では、この1997年憲法の特徴をいくつか紹介する。ただし、残念ながら現時点(9月25日)では、新憲法のテキストを入手しえていないため、現地マスコミ報道をもとに報告せざるをえず、若干の誤りや見落としの恐れもあることをはじめに断らざるをえない。そのようなことがあれば、条文入手後に本誌上において訂正することを約したうえで、本稿を進めることをご寛恕いただきたい。

2.新憲法(97年憲法)の特徴
(1)下院議席
下院の議席数は、90年憲法の70議席から71議席と1議席増となり、人権別議席は残されたが、90年憲法とは異なり、フィジアンの絶対的優位を認めるものではなくなった。97年憲法では71議席中46議席が人種別議席 (communal seat)として残されたが、残り25議席は人種による区別のないオープン・シート(open seat)となった。人種別議席の内訳は、フィジアン23議席、インディアン19議席、ロトゥマン1議席、その他の一般投票者(General Voter)3議席で、フィジアンとインディアンの議席数は4議席フィジアンに有利な配分となっているが、これは、現在のフィジー人口に占める人種別人口比にほぼ対応するものである。フィジアンとインディアンを同数とした70年憲法が当時の人口比を考慮するとフィジアンに有利な配分となっていたことと比較すると、97年憲法の議席配分は、事実上、70年憲法よりも実態的に平等原則を強化したものと見ることもできる。

フィジアンの23議席は、人種別議席46議席中のちょうど50%にあたるが、総議席中に占める割合では、23/71で約32%に低下し、90年憲法が総議席中の約53%と過半数をフィジアンの「指定席」としていたのと比べ、鮮やかな対比をなす。これによって、下院におけるフィジアンの絶対的優位の恒久化が放棄されたことは明白であり、人種別議席の残存を批判するよりも、このあきらかな民主的発展こそが注目されるべきであろう。

人種別議席が残された理由について、「憲法再検討委員会(リーブス委員会)」(Constitution Review Commission:CRC)の助言者を務めたジョン・アプティッド(Jon Apted)氏は、「フィジーの人々にとって、人種別議席から完全なオープン・シートに移行することは余りにも大きな飛躍 (too big a leap)であり、制度面でも下院議員自身にとっても、このような巨大な飛躍への準備ができているとは思えなかった」からであると指摘する。オープン・シートの一層の拡大を恐れていたのはフィジアンだけではない。インディアンもまた同様で、それは過去30年間に両民族がそれぞれ独自の民族文化をもってきたからである。さらにきわめて現実的な理由として、現職議員がオープン・シートの拡大によって新憲法下の選挙で議席を失うことを恐れたという事情もあった。

ただし、「両院合同特別委員会」(Joint Parliamentary Select Committee:JPSC)では、特にフィジアン側からオープン・シートに対する根強い反対があったため、最終的に同委員会は、ランブカ首相とレディ野党党首に調整を委ねた。そこで、ランブカ首相は、オープン・シート容認へと変化したが、その理由は、そもそも首相自身、はじめから議席配分をめぐるやりとりは数のゲームでしかないと気づいていたからであるといわれる。

ランブカ首相は、これまでフィジアンが政治権力を握り続けるために、つねにフィジアンの団結を促してきた。しかし、フィジアンはフィジアンの利益を中心に掲げる単一の政党のみを支持してきたわけではなく、フィジアンの政党支持は分化し続けてきたというのが現実であった。それにもかかわらず、フィジアンはオープン・シートに反対の姿勢を崩さず、「もしオープン・シートを45議席としたら、ただちに反乱が起きるだろう」と見るインディアンもいるほどであった。このような事情で、オープン・シート25議席で決着したわけであるが、インディアン側では着実にその利益が拡大されてきている点を重視し、漸進的な発展を歓迎する意見が見られる。

90年憲法・「リーブス報告」・97年憲法の比較        
  90年憲法 リーブス(CRC)報告 97年憲法
首相 フィジアンの下院議員 人種規定なし 人種規定なし
上院 34議席、大酋長会議が任命
フィジアン24
ロトゥマン1
その他 9
35議席
地域代表(選挙)28
(14地区・各2名)
ロトゥマン(選挙)1
その他(任命)6
32議席
大酋長会議任命14
外相任命9
野党党首任命8
ロトゥマ評議会任命1
下院 70議席、任期5年
フィジアン37
インディアン27
ロトゥマン1
その他5
70議席、任期4年
フィジアン・太平洋諸島人12
インディアン10
ロトゥマン1
その他2
オープン・シート45
(15選挙区から3名ずつ選出)
71議席。任期4年。
フィジアン23
インディアン19
ロトゥマン1
その他3
オープン・シート25

2)首相および内閣
この点については、二つの重大な変化が見られる。一つは、首相の資格要件から人種制限が外されたこと、二つ目は、内閣の組織にあたって、各政党 (民族)の議席数を内閣の大臣数に反映する「複合民族内閣」が要請されることになったことである。この2つの変更は、いずれもフィジアンの絶対的優位を放棄し、フィジーの全民族の調和と協力による国民国家を指向するという点で共通する。

首相の資格条件から人種条件がなくなったことでフィジアン以外の民族が首相になる可能性がひらかれた。ただし、もう一つの変更点である「複合民族内閣」の組織が憲法上要請されることになったため、たとえインディアンの首相が誕生してもフィジアンが閣内にその議席数に比例する閣僚ポストを占めることになるため、インディアンによるフィジー支配が、フィジアンを内閣から完全に排除したかたちで行なわれる恐れはなくなった。これはフィジアンの首相のもとでも同様である。

この二つの重要な変更が相俟って、フィジーの二大民族間の協調が促進され、フィジーの「国民」統合が推進されることがほぼ間違いない状況が生まれた。このことは、憲法の制定に至る過程でみられた両民族の協調姿勢とフィジー人口構成におけるフィジアン対インディアンの人口比の再逆転の可能性の喪失という二つの事実によっても裏付けられよう。

ところで、「複合民族内閣」というシステムは、きわめて特異なもので、おそらく他にほとんどその例を見ないものと思われる。そこで、この制度を紹介する。

「複合民族(人種)内閣(政府)」(multi-ethnic (multiracial) cabinet (government)) とは、下院における全政党の議員のなかから大臣を任命することを首相に義務づけるものである。フィジーにおいては、政党がそれぞれ特定の民族(人種)の支持を中心としているため、議席を有する全政党の議員を閣僚に任命することは、必然的に複合民族内閣の形成につながる。したがって、いうまでもなく複合民族内閣の形成は連立政権を常態とすることを意味する。これは、下院において一党が過半数の議席を確保した場合にも、複合民族内閣、すなわち連立政権の形成を要請するもので、この点では「ウェストミンスター型議会制」からの訣別を意味する。この制度は、CRCの勧告をさらに進めたもので、JPSCが提案したものである。その目的は、複合民族主義(multiracialism)の推進にあるが、その基礎には、内閣における各政党の閣僚の数は下院の議席数に比例して配分されるべきだという考え方がある。しかし、この制度がその意図する効果を発揮するためには、各政党が選挙前に何らの同盟も行わないことが条件となる。そのような条件が優先される場合に、はじめて閣僚議席数が下院の政党別議席数の割合を反映したものになるとの指摘がある。すなわち、下院議員選挙にあたって、各政党間で選挙協力が行われた場合、その選挙結果が有権者の政党支持の割合を正確に反映したものではなくなるからである。

確かに、この制度は複合民族主義を促進するが、一方で政府内における「責任」(accountability)の減少をもたらすことが危惧されている。JPSCが、権力の共有 (power-sharing)を押し進める一方で、ウエストミンスター型の与党−野党の関係に執着するという矛盾した態度を示したが、それはこのことへの懸念の表明であった。つまり、複合内閣の成立で「総与党化」現象が生じると政府に対する批判勢力がなくなり、政府の政治責任の追及が曖昧になってしまう恐れがあるからである。そのため、「権力共有政府」(power-sharing) には監視役が必要となり、それを欠くとき各党政治家間の安易な妥協を生み政府の責任感が低下すると指摘される。では、誰が監視役を務めるかとなると、まずバックベンチャー、国民、メディアであり、さらには憲法の権利章典による政府権力の制限も期待されことになる。しかし、これらは法的拘束力を欠くため、その実効性は十分とは言えない。

そこで、JPSCは、政府運営の「責任」(accountability)と「透明性」 (transparency) を高めるために、5つの「部門別常設委員会」(Sector Standing Committees)と「憲法上の公職に関する委員会」(Constitution Offices Commission) の設置に努力した。

前者はバックベンチャーによって構成され、経済、行政、社会サービス、天然資源、外交の5つの審査委員会からなり、政府活動を審査することで、複合内閣にたいする野党の役割を期待される。具体的には、議会から付託された法案を審査し、国民からの請願を政府に報告して意見を聴取し、場合によっては修正を勧告する。

後者は、政府の主要な公職の任命の責任を負うもので、対象となる公職には、検事総長、国会事務総長、公安委員長、フィジー準備銀行総裁、会計検査院長およびオンブズマンが含まれる。

しかし、これでもなお政府権力の抑制を危ぶむ意見が、ランブカ首相自身 からも表明され、効果的な野党の存在の必要性が主張される。その理由として、責任ある政府の維持と並んで「政府選択の自由」(alternative choice of government)を国民に提供することの重要性が指摘される。

こうした懸念にもかかわらず、複合民族内閣の組織が決められたのは、フィジーにとって「国民統合政府」(government of national unity)の基礎的要因として、全政党指導者の真の協力が不可欠と考えられたからである。けれども、このようなシステムの採用それ自体が最終目的ではなく、フィジーの繁栄に向けてのすべての民族集団の一致結束こそが求められているのである。

(3) 選挙制度
「複合民族政府」=「連合政権」を望ましいものとするなら選挙制度は比例代表制を採るべきである、との当然の指摘がなされる。実際、CRCに提出された各政党の改正案をみると、国民連合党(NFP)と労働党(LP)が比例代表制の採用を提唱している。しかし、「リーブス報告」が提唱したのは、オープン・シートを15選挙区・各3人選出とする「大選挙区選択(移譲)投票制」(MAV:Multiple Alternative Vote System)であった。

 ところがJPSCはこれを修正し、「小選挙区選択(移譲)投票制」(「AV制」: Alternative Vote System)を提案した(注*)。この制度では、有権者が自己の属する民族の候補者に投票すると、各選挙区で人口の多い方の民族に属する候補者が当選することが明らかで、これでは「民族(人種)政治」(communel politics) が解消されなくなるという批判がある。

しかし、カトリックの神父で「市民憲法フォーラム」(Citizens Consti-tutional Forum:CCF)で「JPSC報告」を分析したD・アームズ(David Arms)氏は、JPSCの提案した「SAV」制の方が、それでもCRC提案の「MAV」制よりもすぐれているという。ただし、きわめて不公平な結果をもたらす可能性があるとして、次の3点を指摘する。

第一に、この制度では50%を越える(絶対多数)得票者が当選者となり、現在の「FPP」(First-Past-the-Post)制のように低い得票率(相対多数)では当選できなくなるため、少数派には不利であること。

第二に、1948年のカナダのアルバータ州選挙でAV制のもとで、社会信用党(Social Credit Party)が、全国で58%の得票率で全小選挙区の議席を独占したような例がフィジーでも起こりかねないということ。こうなると、仮に51%:49%のような例で一党がオープン・シートの全議席を得た場合、他党はこの分の閣僚ポストを得られなくなり、49%の投票が内閣のなかに代表されなくなってしまう。

たとえば、フィジアンとインディアンのいずれかが、全25議席を独占するという極端な事態が理論上ないわけではない。仮りにそのような事態が現実にはありそうもないとしても、フィジーのように民族問題に敏感なところでは、不公平な議席配分が容易に生じかねないような制度の採用には慎重であるべきだと指摘される。もちろん、このような弊害は、比例代表制を採用すれば除去できることはいうまでもない。

第三は、「選挙区画定委員会」 (Constituency Boundaries Commission)に関する問題である。CRCは選挙区画について何ら勧告を行わなかった。しかし、各選挙区間において国際的に通用する平等原則が実現されるべきことは当然で、JPSCは納得できるような民族分布を考慮した選挙区の画定を「選挙区画定委員会」に委ねた。その結果、いくつかの選挙区においてはフィジアンまたはインディアンにかたよった選挙区設定がみられるといわれるものの、オープン・シートの民族代表の偏りは全体的なものではない。

アームズによれば、民族別人口比は、フィジアン(49.2%)、インディアン(44.48%)、ロトゥマン(1.46%)、その他民族(4.85%)で、この人口比に従って仮に71議席を配分すると、フィジアン35議席(34.94) 、インディアン32議席(31.58)、ロトゥマン1議席(1.03)、その他民族3議席(3.44)となる。

次に、憲法で定められた46の民族別議席を人口比によって配分すると、フィジアン23議席(22.64)、インディアン20議席(20.46)、ロトゥマン1議席(0.67)、その他民族2議席(2.23)となる。この数は、憲法が定めた民族的議席配分(フィジアン23議席、インディアン19議席、ロトゥマン1議席、その他民族3議席)にきわめて近い数字であり、その意味で憲法の議席配分規定は公平性を確保しているといえる。

しかしながら、インディアン人口が今後しばらくこのまま減少を続けるとなると、この配分比も妥当なものとはいえなくなる。すなわち、そのときにはフィジアンの議席が人口比に比べて過少になる恐れがある。

なお、CRC報告は1999年に予定される選挙の際の投票者数を民族集団ごとに考慮し、選挙権年齢を21歳から18歳に引き下げることを答申したが、JPSCはこれを拒否した。選挙権年齢の引き下げに強く反対したのはフィジアンの委員たちで、18歳から21歳のフィジアンは「あまりにも過激」(too radical)であり、また18歳で独立しているインディアンとは違い、その年頃のフィジアンは一般にまだ両親の保護下にあって、決定を行う資格もなければその準備もできていない、というのがその理由であった。こうして、選挙権年齢は従来どおり21歳となった。

(4) その他
JPSC勧告に対するもう一つの大きな関心事は、フィジアンの権利の制限についてのもので、それは「フィジアンとロトゥマンの利益」を規定した90年憲法第3章削除の件である。この章にかえて、JSPCは「理解のためのコンパクト」(Compact of Understanding)の作成を求めている。これは、フィジーのすべての個人・コミュニティー・集団の個々の権利を認めることで平等主義のいっそうの推進を意図するものであるといわれる。

その一方、コンパクトは、争いの際にはフィジアンの利益をつねに他の利益に優位する至高のものとするとしているが、これは法的拘束力(leagally binding)をもつものではないと、ラツー・イノケ・クブアボラ (Ratu Inoke Kubuabola) 情報大臣はいう。したがって、フィジアンの利益を確実に保障する方法の確立はまだ着手されていないことになる。このことが、いずれフィジアンの間に不安と不安定をうみ出すだろうと彼は懸念している。

 次に、誰もがフィジアンの土地所有とフィジアンの慣習を認め、そしてフィジアンとロトゥマンがそれぞれの伝統的統治システムのもとで自治を行うことを受け入れなければならないとされ、さらにフィジアンとロツマンには「積極的格差是正措置」(affirmative programmes)と「社会正義」(social justice)が与えられるべきであるとされてもいる。
3. 97年憲法に対する反応
例えば、『リビュー』誌(7月号)は、憲法の草案となった「JPSCレポート」について、完全なコミュナリズム(communalism)からの訣別を期待する人々にとっては、いささかがっかりするかもしれないが、このレポートは正しい方向への大きな一歩を踏み出したものであり、フィジーを民主主義と経済成長の道へ戻すことを狙った改革であると評価する。『アイランド・ビジネス』誌も「真の民主主義という観点からは、新憲法は十分に民主的とはいえないが、人口の90%が国王と貴族に従属しているトンガや、ほとんどの平民が議会からしめ出されているサモアよりは間違いなく民主的である」(7月号)、「新憲法でフィジーは良くなり、経済発展の期待が期待される」(8月号)と見出しに掲げ、新憲法を歓迎している。

一方、『パシフィック・アイランズ』誌は、「憲法を越えて」という表題で、「憲法は、目的達成のための手段でしかなく、フィジーが本当に人種差別社会から自由・民主主義社会に移行するためには、人々の心からの約束が必要であり、それなくしては憲法は一片の紙切れに過ぎない。これまでのところ人種的関心を乗り越える国民統合(national unity)のしるしはほとんど見えず、フィジーはまだ安心とは言えない。」(9月号)という趣旨の社説を掲載し、新憲法には消極的評価を与えるにとどまっている。

このように、新憲法に対する見方はけっして一様ではないが、おおむね積極的に評価し、今後の民主的発展と経済発展を期待する声が支配的であるように思われる。

確かに「リーブス報告」で答申された「フィジー共和国」から「フィジー諸島共和国」(The Republic of the Fiji Islands)への国名変更と、それに伴うフィジー国民をすべて「フィジー諸島国民」(Fiji Islanders)と呼ぶ提案は拒否されたし、下院の議席配分でも全70議席中45議席をオープン・シートとする案も25議席に削減され、最終的に全71議席中46議席が人種別議席として残ることになった。

こうした消極的な側面を残してはいるが、87年のクーデタ以来の歴史を考えるとき、この憲法は、90年憲法の改正憲法というよりも新憲法の制定と見なしてうる新しい基本原理に立脚するものと思われる。それというのも、今回の「改正」による首相の人種要件の削除とオープンシートの導入は、90年憲法の基本思想である「フィジアンのためのフィジー」という考え方を放棄したものと考えられるからである。

また、制定に至る手続きを見ても、フィジアン・インディアンのそれぞれを代表する委員と中立的なニュージーランド人で構成されるCRCで事実上の草案が作成され、当然のことではあるが、憲法の定める正規の改正手続き に従って成立、というプロセスを見ても、民族間の協力・協調による国民統合・国家統合に向けた努力の跡を見てとることができる。

ここに、フィジーは新たな国家形成と民主的発展にむけての第一歩をしるしたと評価できよう。

(注)
1.The Review, July 1997, p.12.

2.Ibid.

3.Ibid.

4.Ibid., p.13.

5.Ibid.

6.Ibid.

7.Ibid.

8.Ibid.

9.Ibid.

10.Ibid., p.14.

11.Ibid.

12.Ibid., p.15.

13.Ibid.

14.Ibid., p.16. コンパクトについては、東 裕「フィジーの憲法改正動向について・・・・・・『憲法再検討委員会報告』を中心に」(『ミクロネシア』通巻第102号、社日本ミクロネシア協会、1997年)34−35頁参照。

15. Ibid., p.12.

16. Islands Business, July 1997, P.6., ibid., August 1997, p.43.

17. Pacific Islands, September 1997, p.6.

(*)AV制では、選挙人は、候補者に優先順位をつけて投票し、第1順位で絶対多数を獲得した候補者がいないとき、最小得票者を落選としてその票を順に移譲し、絶対多数を得た候補者が当選者となる。

(例)(小選挙区で、候補者4名の場合)
1.第1順位の得票
A.40
B.35
C.15          
D.10 落選

2.Dの票を移譲 
A.41(+1)
B.40(+5)
C.19(+4)落選

3.Cの票を移譲
A.44(+3)落選
B.56(+16)当選

1.はじめに、第1順位の候補者の得票数が集計される。ここで、絶対多数を獲得した候補者がいれば、当選者となり、以下の手続きは不要となる。

2.第1順位で絶対多数を獲得した候補者がいない場合、最小得票者(D)が落選となり、D候補に投ぜられた票で、第2順位に挙げられている候補者に票を移譲する。このとき、Dに投ぜられた票が10で、そのうち第2順位に 挙げられた票が、Bに5、Cに4、Aに1だったとすると、この票がそれぞれB、C、Aに移譲される結果、A41、B40、C19となる。

3.今度はCが最小得票者となったから、Cが落選となる。Cの得票15のうち第2候補にA、Bを挙げているものは、その票をそれぞれA、Bに移譲する。すでに落選が決まったDを第2候補に挙げている票は、第3候補(AかB)に移譲する。さらに、先にDからCに移譲された4については、第3候補に挙げられた候補者(AかB)に移譲する。

4.その結果、Cの19が、Aに3、B16に移譲されると、最終的にAは44、Bは56となる。したがって、当選者はBとなる。

この制度では、当選に絶対多数を必要とするから、小選挙区制の場合のみに適する(フランスの小選挙区2回投票制に似るが、投票が1回で済むためこの方が経費がかからない)。ただし、次のような不合理な結果が生まれることもある。例えば、1948年のカナダのアルバータ州選挙(Social Credit 党が、58%の得票で全議席を獲得)や1967年のオーストラリアのビクトリア州選挙(最初の得票ではLaborを下回ったLiberalsが、3倍の議席を獲得)  がその典型的な例である。また、この制度はFPPよりも少数派(10〜20%の支持率)に不利である。 (D.G.Arms,“ Fiji's proposed new voting system : a critique with counter-proposals," Electoral Systems in Divided Societies: the Fiji Constitution Review ( Edited by Brij V. Lal and Peter Larmour, NCDS, 1997) pp.102-103).

選挙制度に関しては、西平重喜『統計で゙見た選挙の仕組み 日本の選挙・世界の選挙』(講談社、1990年)90-98頁、および C.A.リーズ『事典政治の世界』(田中浩・ 安世舟訳編、御茶の水書房、1987年)222-223頁、参照。