研究員の論文
フィジー新政権成立の分析

(社)太平洋諸島地域研究所 主任研究員 小川和美(おがわ かずよし)
初出:「パシフィック ウェイ」1999年秋号(通巻112号)pp.37-52.

はじめに
今年5月、フィジーで新憲法下における初の総選挙が行われ、フィジー労働党(FLP)が地滑り的勝利を収め、チョードリー新政権が誕生した。本稿では、この間のフィジー政局に関する一連の動きを概観し、労働党勝利の要因を探るとともに、労働党圧勝という意外な結果となった総選挙の投票行動を分析する中で、チョードリー新政権の今後を展望してみたい(1)。
1.総選挙の枠組み
1990年に制定された旧憲法では、フィジー系はフィジー系に、インド系はインド系にと民族別に投票を行うこととされており、その結果、どの政党も単一の民族を支持基盤とする形を取ってきた。すなわちフィジー系は、酋長の肝煎りで結成され、1992年以来政権の座にあるランブカ首相率いるSVT、その中の反ランブカ勢力がカミカミザ元蔵相(故人)を中心として1994年に結成したFAP、およびインド人排斥を主張する民族主義グループの主に3つの流れに、インド系は独立以来伝統的にインド系から支持され続けてきた国民連合党(NFP)と、労働者やサトウキビ農民を基盤とする労働党(FLP)との2つの流れに集約されていた。

これに対して、1998年7月に施行された新憲法に基づく選挙制度では、これまでの各民族別議席のほかに、新たに全住民が投票する「オープン議席」が全体の3分の1強にあたる25議席設けられた(2)。また、民族協和を目指す新憲法においては、一定要件を満たす全政党の政権参加が求められることにもなった。こうした背景から、既存政党は他民族政党と積極的に連立協定を結び、今回の総選挙に先立って、民族横断的に2つの政党グループが結成された。

第一は現状維持派グループである。これは与党SVTと、彼らと協力して新憲法制定に努めるなど比較的良好な関係の中で活動してきたこれまで野党第一党NFP、そして通常「勝ち馬に乗る」ことを伝統としてきた一般有権者(非フィジー系、非インド系、非ロトゥマ人の人々。主に白人、中国人、混血など)の政党であるUGPの、以上3党による連合である。当然ながらこのグループは、これまでのランブカ政権の施策を評価し、今後もランブカ首相の指導下にその政策を継続していくことを志向した(3)。

これに対して、ランブカ政権に批判的な3政党が結成したのが、「人民連合グループ」である。これは、これまで議会内少数派であったFLPとFAP、そして西部地区のフィジー系が新たに結成した地域政党であるPANUの3党からなるグループで、減税や弱者保護を訴え、労働者や農民など現状に不満を持つ層への浸透を図った。

他方、台風の目になると見られたのが、新しく結成されたキリスト教民主党(VLV)である。フィジー系はその7割がキリスト教の中でも原理主義的なメソジスト教会に属し、概してキリスト教に対する忠誠心が高い。VLVはこうしたフィジー系の心情に訴え、キリスト教の精神を政治の根本原理に置くとした。この政党には、原理主義派の急先鋒だったラサロ元メソジスト教会総裁をはじめ、ガニラウ前大統領の息子であるガニラウ前陸軍司令官、ブネ前国連大使、ラブブ南太平洋大学教授など、そうそうたるメンバーが結集したが、こうした「著名人」が参集したことと同時に、SVTの伝統的な支持基盤であった農村部のフィジー系住民に対して、「キリスト教」というカードで切り崩しを図るという点で、VLVはSVT最大の脅威と目された。

またこれとは別に、フィジー系民族主義政党であるブタンドロカ党首率いるNVTLPも独自の選挙活動を展開、さらに群小政党を含めると15政党が候補者をたて、フィジー史上希にみる多党乱立の選挙戦となった。
2.労働党の勝利
こうして始まった総選挙は、5月8日から15日まで投票が行われた。週末を挟んで開票が始まると、各選挙区でFLPがぐんぐん票を伸ばし、次々と議席を獲得していった。とりわけ事実上NFPとの一騎打ちとなったインド系議席では、すべての選挙区でFLPが大差をつけて圧勝し、全19議席を独占するという衝撃的な結果となった。またオープン議席でもFLPは7割を越える18議席を確保、この結果、単独過半数の37議席を獲得するに至った。以下、今回の選挙結果を議席種別に概観してみることにする。

(1)フィジー系議席:結果=SVT5、FAP9、PANU4、VLV3、NVTLP1、無所属1
フィジー系議席では、ランブカ首相の出身地であるバヌアレブ島ザカウンドロベ地区、アーコイ蔵相という強力な候補者のいるカンダブ島などでSVTが勝利したものの、前回選挙でSVTが圧勝した西部やビチレブ島南側などの選挙区では、それぞれPANUやFAPが議席を奪った。SVTはスヴァ周辺の都市部でもブレワ、ボレ、カウキモゼといった閣僚経験のある有力候補を立てたにもかかわらず、軒並みFAPなどに敗退している。この結果、FAPが最多の9議席を獲得し、SVTはわずか5議席と惨敗した。一方新党ではPANUが西部地区で4議席を確保、VLVは3議席に留まった。

(2)インド系議席:結果=FLP19 NFP0
前回総選挙(1994年)でNFPが圧勝した(NFP20、FLP7)インド系議席では、一転してFLPがほとんどの選挙区で6割を越える支持を集めて完勝した。財界の大物ビノッド・パテル議員をはじめ、楽勝と見られていたNFP有力候補者もFLPの新人候補に全く歯がたたず、接戦になった選挙区すらないほどの一方的な結果であった。NFP関係者は筆者に対して、「集会には前回同様おおぜい人は集まっていたし熱気もあった。まさか負けるとは、しかも全敗するとは全く予想していなかった」と語っていたが、NFPにとっては結党以来の 衝撃的な敗北となった。現在の政治に対するインド系国民の不満は、地域の別なく渦巻いていたのである。

(3)一般有権者系議席:結果=UGP1 無所属2
これまで「勝ち馬に乗る」ことを信条としてきた一般有権者政党は、今回も与党SVTに与し、単一政党UGPの下で3議席独占を目指した。ところがふたを開けてみると当選者を得たのはわずか1選挙区のみで、残る2選挙区では無所属候補に敗れてしまった。この無所属候補は、党の候補者選定段階で公認から漏れた2名の現職議員であり、閣僚経験もある有力政治家である。従って彼らの個人的人気がUGP候補をうち破ったとの見方もできるが、あとで検討するように、もう一つ別の要因がこの結果には現れている。

(4)オープン議席:結果=FLP18 SVT3 FAP1 UGP1 NVTLP1 無所属1
オープン議席は民族を問わずに投票が行われるが、ここでもFLPが圧勝した。むろんFLPの政策プランが有権者の支持を受けたこともその大きな原因であろうが、もうひとつ忘れてはならないことに、選挙戦略の問題がある。オープン議席での議席獲得のためには、それまで働きかけを行ってこなかった依拠民族以外の支持も必要となる。しかし労働党を除く各政党は、旧来の依拠民族票の掘り起こしに重点を置き、それぞれの母体民族以外の候補者をたてることもほとんどなかった。

一方FLPは積極的にフィジー系候補を擁立し、有力政党の中で唯一民族横断的な選挙戦を行った。元々民族政党というよりは階級政党であり、1990年憲法によってインド系政党に固定化されるまではインド系・フィジー系を問わず支持者を得ていたFLPは、フィジー系住民の多い選挙区(たとえばカニングハム、タイレブ西部&ロマイビティ、ナンドロガなど)では積極的にフィジー系候補を立てて、フィジー系有権者の抵抗感を減ずる作戦を採ったのである。実際の投票に際して「民族」というファクターが無視できないフィジーにあって、こうした候補者選定の巧みさは、FLP勝利の要因の一つとしてあげることができるだろう。

表1:1999年総選挙結果
  Fijian Indian Open General Rotuma Total(改選前) 女性
SVT 5 3 8(32) 0
NFP   0 0 0(20) 0
UGP 1 1 2(5) 0
FLP 0 19 18 1(7) 1
FAP 9 0 1 0 10(4) 2
PANU 4 0 0 4(0) 0
VLV 3 0 3(0) 1
NVTLP 1 1 2(1) 0
無所属 1 0 1 2 1 5(1) 1
合計 23 19 25 3 1 71(70) 5

(http://www.election99.gov.fjより作成)

(参考)その後の動きは次の通り。

6月 7日  Kaitani議員(無所属)がVLV入り6月11日  タイレブ北部オープン議席で再集計の結果、V.Sausawai 議員(NVTLP)の当選が撤回され、Ratu Tu'uakitau Cokanauto 候補(FAP)の当選が確定6月17日 Rabuka 前首相(SVT)が大酋長会議議長就任のため議員辞職9月 4日  Rabuka 議員辞任による補欠選挙で、SVT の Ratu Rakuita Vakalalabure 候補が当選この結果、与野党議席配分は与党58、野党13となっている。
3.労働党勝利の要因
選挙戦術面以外にも、本選挙において結果的に労働党に有利な状況を導いた要因はいくつか指摘することができる。

まず第一に選挙時期の問題である。昨年から今年にかけて、フィジーは相次ぐ天災と長引く経済不振に見舞われて、国民の不満が高まっていた。昨年1月に10年ぶりに行われた通貨切り下げ(20%)は、輸入品価格の高騰をもたらし、国民生活を直撃していた。都市部では膨張する若年層人口を吸収する雇用創出が進まず、新卒者を中心に就職難が常態化していた。そうした中で昨年は西部を中心に大干魃に見舞われてサトウキビ生産が半減、フィジーの基幹産業である砂糖産業は大打撃を受けた。収穫時の臨時雇用や精糖工場での雇用機会の激減は、サトウキビ農民のみならず、経済全体を直撃したのである。さらに追い打ちをかけるように今年1月、今度は西部一帯に大雨が降り、ナンディ市街が水没するなどの大きな被害を出した。一方バトゥコウラ金鉱山では金価格の低迷で業績が悪化し、政府が雇用維持のための緊急融資を行うまでに至っていた。こうした状況の中で総選挙に突入したことは、与党側にとっては極めて不利な条件であった。与野党問わず各政党は、こぞって雇用創出を最重点政策に掲げたが、7年間政権の座にありながら有効な雇用対策を実施し得なかったとするランブカ政権批判は、選挙戦を通じて強い説得力を持った。筆者が今年1月と3月、そして9月に現地を訪れた際も、SVT政権に対して「飽き飽きした(tired)」という声はことのほか多かった。そしてこうした中で、SVTから「非現実的」と批判されながらも、減税や公共料金の引き下げを公約し、明確に弱者保護の姿勢を打ち出した労働党と人民連合グループは、国民の目に極めて新鮮に映ったのである。

第二に今回の選挙における有権者の関心事項の問題である。表2は、投票に先立つ約1ヶ月前に行われた世論調査の結果である。これによると、今回の総選挙の争点は何かとの問いに、回答者の26%が失業問題と答えている(4)。 上記のように、常態化している就職難がとりわけ昨年から今年にかけて深刻化しており、国民は第一にこの問題の解決に期待した。

争点の第2位はALTA(農地貸借法)問題である。これは、国土の8割を売買不可能なフィジー系共有地が占めるという独特の土地制度の中で、インド系農民(主にサトウキビ生産者)の土地に対するアクセスをある程度保証する役割を果たしてきた農地貸借法に基づく土地契約がこの数年で期限切れとなり、今後これら土地の扱いをどうするかという問題である。フィジー系地主たちには、自らの土地は自らの手で利用したいという強い希望があり、インド系農民たちには、そうした動きによって土地を追い出される=生活手段をすべて失うという切迫した懸念がある。一つ間違えると政治、経済、社会すべてにわたって大混乱を引き起こしかねないこの問題は、フィジー政府の最重要課題であるが、すでに1997年から貸借期限切れとなった土地も出始めているにもかかわらず、ランブカ政権は明確な解決策を提示できず、結局「この問題は総選挙後に新政権の下で解決する」と頬被りしてしまった。

世論調査では以下、暮らしを守る、貧困対策、犯罪対策、教育問題などが続いているが、ここにおいて明らかなのは、「景気をよくし、暮らしを豊にするのはどの政党か」という点が有権者の最大の関心であり、「誰が首相になるのか。どの民族がヘゲモニーを握るのか」ということにはほとんど関心が払われていなかったということである。フィジー社会の特色を語るとき、フィジー系とインド系の確執という問題は避けて通れない問題であり、1987年のクーデターも、90年代中盤の新憲法問題もこの点が最大の焦点であった。しかしながら、こと今回の選挙に限れば、少なくとも国民意識の中で、フィジーの次の指導者は誰か(どの民族か)、という点にはあまり関心が払われていなかったのである。

これに関連して第三に指摘しておかなければならないのは、選挙戦におけるメディアの報道姿勢についてである。選挙前、そして選挙期間中を通じて、フィジーのマスコミは包括的な選挙情勢分析を全く行わなかった。各報道機関は、もっぱら新党VLVを中心としたフィジー系議席の争奪戦のレポートや、ランブカ首相のクーデター評価などの記事を流しており、インド系議席の選挙戦に関する報道も極めて少なかった。筆者は投票前から結果が見通せてしまう日本のメディアのような報道の仕方を良しとはしないが、仮にメディアが各党の支持率調査やデータに基づく当落予想を行い、「労働党有利/インド系首相誕生か」というような報道をしていれば、選挙戦の展開やフィジー系有権者の投票行動はいささか様相を異にしていたのではないかと考えている。

ともあれこうした状況下で労働党は過半数の議席を確保して圧勝し、政権交代が実現した。しかし果たして労働党は本当に単独で過半数を獲得できるほどの支持を集めていたのだろうか。実は、SVTを惨敗させ、労働党を単独過半数に導いた大きな要因に、今回の「選択投票制(5)」という投票制度の問題がある。そしてこの制度に基づく有権者の投票行動を子細に分析してみると、今回の有権者の志向について、極めて興味深い事実が浮かび上がってくるのである。
4.SVTを忌避した有権者
フィジー系議席の得票数をもう一度見てみよう(表3)。SVTは23議席中わずか5議席しか獲得できなかったが、しかし第一位選択の得票数だけで見ると、SVTは全体の37.9%の票を集めている。これはFAPやVLVの約2倍にあたり、有力政党乱立のフィジー系にあってなお、突出した支持を集めていることがわかる。今回の選挙が仮に選択投票制でなく、日本で採用しているような小選挙区相対多数制であれば、SVTは23議席中11議席を確保していた。にもかかわらず、結果的にSVTが5議席にとどまったということは、すなわち、SVT以外の候補者に投票した有権者たちが、第二位選択以下でSVT候補に低い順位をつけたためであると考えられる。表5は、SVTが第一位選択でトップに立ちながら落選した選挙区の最終得票数をまとめたものである。いずれの選挙区でも、SVT候補者は第二位選択以降全く票が伸びていない。これは、SVT支持者以外の有権者が、SVT候補を最下位とし、それ以外の候補者を順に選択したことを示している。いいかえれば、フィジー系有権者はSVTを支持するか忌避するか、すなわち「SVT対それ以外」という対立軸で投票を行ったのである。

表4:政党別/議席種別の得票率
Fijian Indian Open General Rotuma Total
SVT 37.9% 20.9% 19.9%
NFP 32.0% 14.4% 14.6%
UGP 1.3% 49.2% 1.4%
FLP 1.9% 65.6% 33.2% 32.2%
FAP 18.1% 0.6% 10.8% 9.6% 10.2%
PANU 9.5% 0.1% 3.2% 4.0%
VLV 19.3% 9.8% 9.7%
NVTLP 9.1% 4.2% 4.4%
その他 1.0% 1.1% 0.6% 10.5% 49.6% 1.3%
無所属 3.1% 0.6% 1.5% 30.7% 50.4% 2.4%

(http://www.election99.gov.fjより作成)

オープン議席の結果もまた同様である。結果だけを見ればFLPは25議席中18議席を獲得して圧勝し、SVTはわずか3議席に留まった。ところが第一位選択の得票率だけを見ると、FLP33.2%、SVT20.9%と、獲得議席数ほどの大差はついていない。すなわち、オープン議席でも上述のような反SVT票が多数現れ、その結果フィジー系議席同様、第一位選択でトップにつけたSVT候補4名が逆転負けを喫したのである。

この傾向はフィジー系にとどまるものではなく、一般有権者系議席でも同じような傾向が見受けられる。UGP候補を押しのけて当選を勝ち取った無所属候補は現職の有力政治家だったが、実は彼らも第一位選択ではUGP候補にリードを許していた(表3参照)。UGP候補は、3議席ともある程度の差をつけて優位に立っていたにもかかわらず、第二位選択以降で全く票が伸びず、結局逆転負けを喫するというSVT同様の負け方をしているのである。これは、フィジー系議席と同様、UGP(SVTに置き換えてもよい)を支持するか忌避するかという対立軸を見ることができるのである。

以上の分析から明らかなことは、今回の選挙が、「労働党を選択するか否か」や「インド系が首相になることが是か非か」という視点では全く考えられておらず、SVT(ランブカ政権)の諸施策を支持するか否か、SVT(及びこれに同調するNFPとUGP)政権の継続を望むか否かで選択がなされ、こうした意志が見事に結果に反映されたものだということである。インド系議席の投票行動にこのファクターがどの程度働いたかは残念ながら開票結果から窺い知ることはできないし、FLPがインド系議席に完勝した以上、FLPが第一党になることは必然ではあったが、皮肉なことにSVT側は、自ら主導して作り上げた新選挙制度によって、獲得議席を最小限にとどめてしまった。表6に選挙制度が違っていた場合の獲得議席シュミレーションをまとめてみたが、FLPは得票率で議席を比例配分すると22〜23議席となり、相対多数の小選挙区制だったならば34議席となるものの、いずれの場合も単独で過半数を獲得することはできなかった。労働党が単独過半数を確保できなかったらどうなっていたか? 以下に述べる総選挙後の動きも自ずと違ったものになっていたであろう。
5.チョードリー政権の成立とフィジー系の反発
FLPの圧勝は衝撃的であった。上述のようにメディア報道を見る限りこうした結果は全く予想されていなかったし、ほとんどの国民にとっても意外な結果であった(6)。インド系が首相の座に就くのか、クーデターの可能性はないのか。騒然としたムードの中、5月17日に敗北宣言を行ったランブカ首相は、翌18日朝、マラ大統領に辞職届を提出した。

一方勝利が確定的となった労働党チョードリー代表は、「第一党の指導者である自分が首相になるのは当然である」と首相の座に意欲を示した。しかし同時に、人民連合グループ(FLP、FAP、PANU)内部からは、インド系首相誕生に対する拒否反応も相次いで出されていた。PANU結党の仕掛け人であるトラ書記長(落選)は、「インド系首相は支持できない」と語り、FAP幹部会は19日にスピード党首を首相候補に推すと決議した。フィジー系国民に根強い「フィジーはフィジー系住民のもの」という民族意識の現れであり、「チョードリー首相」を強行すれば1987年クーデターの再発を引き起こしかねないという懸念も渦巻いていた。こうした観点から、労働党から首相を出すのならば、同党創設者の一人でもあるフィジー系のバンバ議員ではどうかとの声も挙がった。しかし労働党側は18日夜に党大会を開いて、改めてチョードリー代表を首相候補とし、これを受けてマラ大統領は19日、チョードリー議員を新首相に指名した。

様々な憶測が入り乱れる総選挙直後の状況下で、チョードリー政権の安定化に果たしたマラ大統領の役割は大きい。相次いでFAPとPANUの代表者と会ったマラ大統領は、彼らを説得して翻意させ、19日夜にはFAPが、20日にはPANUがチョードリー新政権への参加を決定した。さらに21日に発表された新政権の閣僚名簿には、より右寄りと見られていたVLVも名を連ねて国民を驚かせたが、この意思決定にもマラ大統領が影響を与えた可能性が高い(7)。
他方、「第二のクーデター」が噂される中で、ランブカ前首相は国民に「12年前の自分の行動を繰り返すな」と過剰な反応を慎むよう訴えた(8)。また警察やメソジスト教会も国民に平静を呼びかけ、「インド系首相誕生」に対するフィジー系国民のアレルギー払拭に努めた。

こうした一連の流れの背景にあったのは、労働党が第一党というだけでなく、単独過半数を確保したという事実である。労働党以外の全政党が反チョードリーで大連合を形成しても労働党の優位は動かない。新憲法の規定では、議員の政党間移動は認められておらず、仮に労働党内のフィジー系議員が離反しようとしても、まず議員辞職をしなければならない。他のメラネシア諸国で頻発しているような引き抜きや合従連衡による政権崩壊の可能性は極めて低く、議会がチョードリー首相を解任に追い込むことはほぼ不可能である。こうした状況でことさらに対立を煽り、政局を混乱させることは無意味であるということを理解し、民族益を越えて国益を優先させたリーダーたちの行動は賢明であった。そして、選挙結果が明らかになってから組閣まで、わずか5日で完了させたことも、無用な混乱を避ける上で極めて適切な措置であった。

こうしてフィジー系国民たちもまた、インド系首相誕生という予想外の展開を粛々と受け入れた。一部過激派は、その週末に連続放火事件を起こすが、29日に行われた反政府デモも参加者わずか100名足らずという結果に終わり、図らずも国民の新政権への支持を浮き彫りにする結果に終わった(9)。チョードリー政権は、その選挙結果の通り、多くの国民の支持と期待を受けての船出となったのである。
今後の展望 〜おわりに〜
1999年総選挙は、フィジー労働党(FLP)の圧勝という結果に終わった。FLPの勝利は事前には全く予測されていなかったが、有権者の投票行動を分析すると、労働党の勝利は選挙制度のアヤではなく、順当な結果であった。フィジーにとって幸運だったのは、今回の選挙制度によって労働党が単独で過半数を確保できたことで、これは初のインド系首相誕生に際して、1987年時の混乱の再発を未然に防ぎ、政局を安定させる大きな要因となった。チョードリー新政権はフィジー系政党を取り込み、議会の3分の2以上をおさえた安定政権として出発することとなったのである。

発足以来チョードリー政権は、公共料金の引き下げ、解雇労働者の再雇用命令、生活必需品への付加価値税の撤廃、公営企業民営化の白紙化など、選挙公約に則った弱者保護を中心とした庶民受けする新政策を次々と打ち出している。こうした明確な政治姿勢は、現在までのところ庶民の間では概ね好感を持って受けとめられているようである。しかしながらこうした諸施策は、現在太平洋島嶼各国で進行している公共部門削減の流れと正反対なものであり、今後政府財政を圧迫し、すでにさんざん周辺諸国が経験してきたような財政破綻を引き起こす可能性も懸念されている(10)。一方では1998年にマイナス4%を記録した経済成長率は、サトウキビ生産の回復や、アメリカ、豪州からの観光客の増加によって、今年は一転大幅成長が見込まれており、フィジー経済は活気づいている(11)。したがって当然税収増も期待できるため、現段階で結論づけるのは早計であろうが、フィジー政府の財政動向は当面注目する必要があろう。

また、前政権の積み残したALTA問題の解決も新政権の大きな課題である。組合活動家時代からチョードリー首相の指導力には定評があるが、国全体の舵取りを行う上で、その手腕が如何に発揮されるかによって、フィジーの今後は大きく左右されることになろう(12)。

(注)
(1)本稿は、去る7月10日に行われた第162回オセアニア研究会における「フィジー労働党政権成立の分析と展望」と題した発表の内容をまとめたものである。

(2)新しい選挙制度とその思想については本誌東論文参照。

(3)協定により、新政権の首相はランブカ首相、副首相はレディNFP代表とあらかじめ定められた。一方対抗勢力である人民連合は、政権獲得の際には、連立3政党の中で最大議席を獲得した党から首相を選出するとしていた。

(4)但しこの数字は都市部有権者の声にすぎないことに留意する必要がある。

(5) 今回のフィジー総選挙では、豪州に似た「選択投票制」が採用された。有権者は立候補者に順位付けを行い、最下位の候補者の票を投票用紙に記載された選択順位に従って次善の候補者に振り分けるという作業を繰り返してゆき、最終的に過半数の票を集めた候補者を当選とするシステムである。投票制度の詳細についても本誌東論文を参照されたい。

(6)6月にキャンベラで行われたオーストラリアの南太平洋在外公館長年次会議で、「労働党勝利については誰も予測しておらず、極めて意外な結果だった」との報告がなされた(6月10日付PACNEWS)。また筆者がこの9月に現地を訪れた際にも、政府関係者、外交団、ジャーナリスト、学者からタクシードライバーまで、おしなべて「驚いた」と筆者に語っていた。

(7)5月20日付PACIFIC ISLANDS REPORT。ちなみにマラ大統領の娘のアンディ・コイラ・マラ・ナイラティカウはVLVから議員に当選しており、VLV党首のブネ議員はマラ大統領の落とし子と噂されている(ともに入閣した)。

(8)5月18日付PACNEWS。また「我々は寛容な気持ちで、我々の島の平和的進歩に自身を捧げるべきである。国全体の利益のためにともに協力しあおう」と演説した(5月31日付PACNEWS)。

(9)この際メソジスト教会は「デモ不参加」を呼びかけている。またSVTも反政府デモを考慮したが結局実施しなかった。

(10)南太平洋大学のBhiman Prasad博士は、「選挙公約実施に要する財源確保のためには、フィジーには年10%の経済成長率が必要であり、今後財政赤字の拡大によって、再びフィジードル切り下げを必要とすることになる可能性がある」と警告している(7月21日付PACNEWS)。

(11)フィジー準備銀行によると、国内消費は好調に推移しており、雇用も拡大傾向にある(8月9日付PACNEWS)。またナルベ大蔵次官は、99年はインフレ率は1%程度、経済成長率は7.5%と予測している(9月15日付DAYLY POST)。

(12)チョードリー政権の今後を占うポイントとして、筆者は研究会発表時にも政府支出拡大への懸念、農地貸借法(ALTA)問題の2点をあげた。本稿では紙数の関係もあり詳述は避けたが、この点を含む新政権発足後の政策と政局の動きについては、South Pacific誌(社団法人 日本南太平洋経済交流協会発行)12月号に拙稿を掲載する予定なので、そちらを参照されたい。