研究員の論文
フィジー諸島共和国憲法(1997年)における人権と原住民の権利

−はじめに・1.「権利章典」・2.「コンパクト」の導入・むすび

1.権利章典
第4章に23条(第21条〜第43条)からなる「権利章典」(Bill of Rights)の章が置かれた。この中で、人身の自由に関する諸権利、表現の自由、信教の自由、投票の秘密、プライバシーの権利、法の下の平等、裁判を受ける権利、教育を受ける権利など、各種の自由権・参政権・社会権・国務請求権に関する諸権利が保障されている。

こうした規定は、およそ現代国家の憲法に一般的であるが、フィジーの場合、「人権を保障した権利章典が公権力を制限する」という近代立憲主義憲法の基本的な考え方を明記している点が、特徴的である。すなわち、「この章は、(a)中央及び地方のすべての政府における立 法、行政、及び司法部門、並びに(b)あらゆる公職にあってその権限を行使するすべての人々を拘束する。」(第21条)と規定する。

こうして、権利章典の機能を憲法で明らかにし、権利章典による国民統合への試みが、憲法に具体化されることになった。次にその規定と立法趣旨を紹介する。

A.憲法規定
(1)人権原則
人権規定の適用・実施・解釈等に関する次の3つの基本原則が、規定されている。そこには、憲法典に定められた権利章典、すなわち人権規定が、すべての公権力及び公権力の行使にあたるものを拘束する、という近代憲法の基本原則、人権侵害の裁判所による救済、裁判所における人権規定解釈の基本原則など、今日の先進国の憲法や憲法理論を幅広く受容した規定が見られる。

1. 適用(Application): 権利章典による権力制限。権利章典の章(第4章)の冒頭に置かれるこの条項では、権利章典の章が、国から地方に至るすべての段階の政府の立法部・行政部・司法部とあらゆる公職にあって権限を行使する人々を拘束することなどが、定められている(21条)。

2. 実施(Enforcement): 裁判所(High Court)による救済。自らに関し、第4章に規定される条項の違反があったか、又はそのおそれがある人は何人も、その除去(是正)を高等裁判所に訴えることができる(41条)。

3. 解釈(Interpretation)本章に定められた権利・自由はコモン・ロー、慣習法もしくは国会制定法によって認められ、または与えられたその他の権利・自由が本章に反しない限り、それらの権利・自由を否定し、もしくは制限するものとして解釈されてはならない(43条1項)。

本章の規定の解釈にあたって、裁判所は自由と平等に基礎を置く民主社会の基礎にある諸価値を促進させ、かつ関連性が認められるときは、本章に定められた諸権利の保護に役立つ国際公法を考慮しなければならない(同条2項)。

本章に定められた権利または自由を制限する法律は、その法律の文言が、それらの制限を越えない、より限定的な解釈が合理的に可能な場合、ただ本章によって課された制限を越えるというだけで無効とはならない。このような場合、当該法律は、より制限的な解釈と一致するよう解釈されねばならない(同条3項)。

(2)個別的人権

個別の人権規定として、次の19か条(第22条〜第40条)の条文が置かれている。

1. 身体の自由(生命の権利)(Life): すべての人々は生命の権利を有し、恣意的にその生命を奪われてはならない。(22条)

2.個人の自由(Personal liberty): 人は、本条に定める場合を除き、個人の自由を奪われず、刑の執行等による場合の他、個人の自由は保障されるべきである。(23条)

3. 苦役と強制労働からの自由(Freedom from servitude and forced labour): 人は、奴隷的拘束又は苦役を課せられたり、強制労働を要求されず、刑の執行や通常の合理的な民族的・市民的義務の履行等による場合を除き、その意に反する苦役等を課せられない。(24条)

4. 残虐・不当な扱いからの自由(Freedom from cruel or degrading treatment): 何人もあらゆる種類の肉体的、精神的、情緒的拷問からの自由の権利、及び残酷で、非人間的で、不当に厳しい刑罰からの自由の権利を有する。(25条)

5.不当な捜索・押収からの自由(Freedom from unreasoable searches and seizure): 何人も自己の身体又は財産に対する不当な捜索から保護される権利及び、自己の財産の不当な押収から保護される権利を有し(26条1項)、捜索又は押収は法律によらなければならない(同条2項)。

6. 容疑者・留置人(Arrested or detained persons): 容疑者・留置人が理解できる言語で速やかにその犯罪容疑について告知されること、不起訴の場合には速やかに釈放されること、弁護人の依頼権、接見交通権、人間らしい取扱をされる権利、などを有する。(27条1項〜5項)

7. 被告人の権利(Rights of charged persons): 有罪とされるまで は無罪と推定される権利、犯罪容疑の種類とその理由について理解できる言語で詳細を知らされる権利、防御のための十分な時間と手段を与えられる権利、などその他多くの被告人の権利が認められる。(28条1項〜3項)

8.裁判を受ける権利(Access to courts or tribunals): 犯罪容疑 で告発された人は誰でも法廷で公正な裁判を受ける権利を有し、軍法会議を除き、対審は公開の法廷で行われなければならないとするなど、裁判上の諸権利が認められる。(29条1項〜9項)

9.表現の自由(Freedom of expression): 何人も言論・表現の自由 を有し、そのなかには、公平な情報や思想を求めそして受け取る権利、並びに出版その他のメディアの自由が含まれる。ただし、一定の理由について法律による制限の可能性が認められている。(30条1〜3項)

10.集会の自由(Freedom of assembly): 何人も、他人とともに平穏 に集会し、デモを行う権利を有する。ただし、一定の理由について法律による制限の可能性が認められている。(31条1項〜2項)

11.結社の自由(Freedom of association): 何人も、結社の自由の権利を有する。ただし、一定の理由について法律による制限の可能性が認められている。(32条1項〜2項)

12.労働関係(Labour relations): 労働者は、労働組合を結成し加入する権利を有し、使用者は、使用者の組織を結成し加入する権利を有する、など労働者及び使用者の権利が認められている。ただし、一定の理由について法律による制限の可能性が認められている。(33条1項〜4項)

13.移転の自由(Freedom of movement): どの市民もフィジーに入国 し滞在する権利を有し、フィジー国内を自由に移動し出国する権利を有する、などの移転の自由に関する市民の権利が認められている。ただ し、一定の理由について法律による制限の可能性が認められている。(34条)

14. 宗教と信条(Religion and belief): 何人も良心、宗教、及び信 条の自由の権利を有する、として内心の自由が認められている。ただし、一定の理由について法律による制限の可能性が認められている。(35条1項〜6項)

15.投票の秘密(Secret ballot): 下院議員の選挙権を有する者は、 何人も秘密のうちに投票する権利を有する。(36条)

16.プライバシー(Privacy): 何人も、個人の通信の秘密を含む個人 のプライバシーの権利を有するが、法律によって定められた、自由で民主的な社会において合理的かつ正当とされる制限に服する。(37条1項〜2項)

17.平等(Equality): 何人も法の前に平等な権利を有し、個人は、人種・民族・皮膚の色・門地・性別・性的傾向・第一言語・経済的地位・年齢・障害、及び意見や信条などを理由に、直接又は間接に不当に差別されてはならないとし、その他詳細な規定が置かれる。(38条1項〜 10項)

18.教育(Education): 何人も基礎教育を受ける権利を有し、かつ教 育制度に平等にアクセスする権利を有し、宗教団体等が教育施設を設立し、運営する権利が認められている。(39条1項〜4項)

19. 財産権の保障(Protection against compulsory acquisition of property): 何人も、法律によらなければ国家によって財産を奪われない権利を有するとし、公用収用の場合の要件を定める。(40条1項〜3項)。

(3)人権規定の特色
以上のように、日本国憲法にもみられるような「普遍的な人権」規定が、多様かつ詳細に掲げられる。

特徴として、法律による制限の可能性が、いくつかの人権規定に明記されている点が指摘できる。表現の自由(30条)・集会の自由(31条)・結社の自由(32条)・労働関係(33条)・移転の自由(34条)などがその例である。

制限理由として、「国家の安全」(national security)・「公共の安全」(public safety)・「公共の秩序」(public order)・「公共の道徳」(public morality)・「公衆衛生」(public health)といったいわゆる「公共の利益」、「国家もしくは地方自治体の秩序だった選挙のため」、そして「他者の権利自由を守るため」といった理由が挙げられる。ただし、その制限は、「自由で民主的な社会において合理的で正当(reasonable and justifiable)とされる範囲」に限られている。

B.立法趣旨:CRC報告(3)より
この憲法で「権利章典」の章が置かれた趣旨については、事実上この憲法の草案を準備した「CRC(憲法再検討委員会)報告」に詳しい。この報告をもとに、権利章典の章の立法趣旨を明らかにしたい。なお、文中の括弧内の数字は、この報告書のなかで付されている番号を表す。

(1)権利章典の起源と意義
この権利章典の起源と意義については、イギリスの『権利章典』に倣ったものであることがCRC報告の中で明記されている。ただ、「人種差別憲法」との批判を受けた1990年憲法においても、その第2章に「権利章典」の章を置き、基本的権利・自由の保障を図っていたこと(4)が付言される。それだけではない。すでに独立の際の1970年憲法においても、権利章典があったことが強調されている(7.2)。

ところが、1997年憲法の作成にあたって、このことを知らずに、フィジーには権利章典が必要だとする声があったことが紹介される。この事実は、「人々が政府の制度の構成に鋭い関心を抱いているにもかかわらず、憲法が広く読まれてはいないことを物語っている」(7.3)と指摘される(5)。

1990年憲法の制定以来、人種別選挙制を初めとするいくつかの憲法制度が問題になってきたが、その議論が憲法典の規定条項を十分に踏まえず行われていたのではないのか、という疑問が呈せられる。

その一方で、フィジー憲法(1990年)は、一般に思われているほどの人種差別憲法でもなかったと示唆し、フィジーには1970年憲法以来の権利章典の歴史があり、それが1987年のクーデタから1990年の憲法成立に至る時代の中にあっても変わらなかったと、次のように指摘する。

「個人の人権・自由がフィジー憲法で保障されてこなかったという印象をもつのは間違いであろう。すでに長く議論されてきたいくつかの政治的な点を除いては、国際的な標準で認められた個人の権利・自由はフィジーにおいて効力を持ってきた。そのことは、1987年と1990年の間においてすら同様であった。このことは、見逃されるべきではない(6)」(7.8)。

そして、このようにすでに人権規定が97年憲法以前から存在したのにもかかわらず、そのことが人々の意識に上らなかった理由を次のようにとらえる。

「権利章典が大きなインパクトを与えないのは別のいくつかの理由がある。多くの人は、権利保障のために必要な司法過程に容易にはアクセスしない。裁判官や弁護士は、ほとんどが権利章典が司法的に実効性を持たない国々で教育を受けてきた。人々の基本的権利・自由という憲法上の表現は輸入されたものであり、わが国で育ったものでは ない。それはまた、その内容と形式の両面に影響を与える矛盾した影 響の産物で、そのことが憲法を読むのを難しくし、一般的に否定的な 印象を生み出している(7)」(7.4)。

このように、フィジーでは、1970年憲法以来権利章典を持ち、権利・自由が保障されていたが、国民はそれを自由・人権を守るために裁判の場で権利を主張するという行動に容易にでることはなく、英法系の法曹教育を受けた裁判官や弁護士も、それを裁判の場で主張し、国民の権利・自由の擁護のために利用するという発想をそもそも持ち合わせていなかった。

加えて、何よりも権利・自由がフィジー固有のものではなく輸入品であったことが、人々の「人権意識」を希薄なものにしてきた、と指摘する。これが、そもそも権利章典の意味を国民に十分意識させることがなかった理由であり、この人権意識の希薄さが、憲法に権利章典が独立以来規定されていたのに、そのことに国民が気づかなかった理由にあげられる。

(2)フィジー国民の人権意識
フィジー国民の人権意識の希薄さが、インディアンとフィジアンが共にフィジー国民として政府権力を共有することを妨げてきた。権利章典があったのに、人権意識が向上しなかったのは、その規定の理解が国民には容易ではなかったからであった。憲法に規定された権利章典が、裁判規範として人権保障に奉仕することの重要性が指摘される。

「欠けていたのは、フィジーの人々の間における権利章典が与えた保障についての明確な理解である。もし、人々がもっとこの保障について知っていたら、政府はすべての民族コミュニティーによって共有されるべきだという考えを、国民はもっと容易に受け入れていたであろう。今日、すべての国民の権利・自由を保護するために、憲法は司法的に実効性を持つ権利章典を含み続けるべきである。しかし、その目的・効果・及び内容については、もっと容易に人々に理解されるものであるべきだ(8)」(7.9)。

こうした考え方が、「人権委員会」を設置して国民の人権教育を推進するという発想につながるのである。ただし、外来思想である「人権」を急速に受け入れることは、人権意識の向上という好ましい結果だけではなく、一面的で極端な人権の主張をも招くことが懸念される。そのような事態を予測し、次のように、人権の「内在的制約」の存在と「公共の利益」による制限の可能性に言及する。

「現在の権利章典は、人の権利・自由は絶対的なものでない、という事実を際立たせている。他人の権利・自由及び公共の利益(public interest)を尊重するために、それらの制限を強調する(9)」(7.7)。

(3)権利章典の目的と効果

憲法における権利章典はいかなる目的のためにあり、それが国民の権利保護に対しどのような効果をもたらすものであるのか。このような疑問に答えるべく、「権利章典の目的と効果」について、CRC報告は次のように説明を加える。
「権利章典は、政府の権限は憲法によって制限されるべきだという考え方に基礎を置いている。権利章典の目的は、個人の(ときには集団の)権利・自由を国家による不当な干渉から保護することである。

憲法は、行政部及び立法部が、その政策・行政行為・及び立法をはかるべき標準を設定する。司法部は、行政部・立法部がその標準に合致した行為を行っているかどうかを決定する責任を持っている。このことは、法律及び行政行為の有効性が裁判所において検証されることを意味する(10)」(7.10)。

「権利章典は、政府(=中央と地方のすべてのレベル)の立法部・行政部・司法部、特別の民族コミュニティーに関係する現存の立法・行政・司法部門;公職又は公的機関の職務の執行に従事するすべての人を拘束するということをあきらかにすべきである(11)」(7.11)。

憲法を権力制限規範としてとらえ、なかでも権利章典が国家権力による国民の権利・自由の不当な侵害から、国民を守るために存在することをこう説明する。具体的には、権利章典をその中に含む憲法は、行政部・立法部の行為準則となり、憲法に従った行政・立法を行うべきこと、そして司法権は行政部・立法部の行為が憲法に違反していないかどうかを検証すること、すなわち違憲審査制による国民の権利・自由の確保が考えられている。(しかし、憲法では違憲審査制の導入は見送られている。)

C.人権委員会の設置

1997年憲法ではじめて導入された制度の一つが、人権委員会(Human Rights Commission)である。

「多くの国々に、人権の保護と向上の責任を担った人権委員会がある。1970年憲法と1990年憲法の権利章典についての国民の認識が限られたものであったこと、並びに人権の向上に努めている国際連合の仕事についての深い理解が欠けていたことに鑑み、フィジー諸島において人権委員会は有益な働きをすると考える。それゆえ、憲法は人権委員会を設置すべきである(12)」(7.45)。

CRC報告はこう述べて、権利章典や国連の人権擁護活動への理解を深めるための国民教育を行い、人権関連事項について政府に助言する機能を持つ「人権委員会」の設置を答申した。

これを受けて、1997年憲法は、人権委員会を設置し(第42条1項)、委員会の機能として、次の3つを定めた(同条2項)。

@ 国民に対し権利章典の本質と内容について教育すること。A 人権に関し影響を及ぼす事柄について政府に勧告すること。B 国会が制定する法律によって付与されたその他の諸機能を実行すること。

このように、人権委員会は、国民の人権教育、人権問題についての政府への勧告、及びその他法律によって与えられた諸機能を行う。

なお、人権委員会の構成は、議長を務めるオンブズマン、裁判官資格を有する者、およびその他の1名の3人のメンバーで構成される(同条3項)。このうち、裁判官の資格を有するものとその他1名の委員については、首相が野党党首及び人権問題に責任を有する下院の常任委員会に諮問した後、首相の助言に基づき大統領によって任命される(同条4項)。

(注)
(3) 『CRC報告』とは、1996年9月に出された「憲 法再検討委員会」 (Fiji Constitution Review Commission)の報告書である。『リーブ ス報告』、『FCRC報告』とも呼ばれる。825頁に及ぶ大冊である。報告の正式名称は、『フィジー諸島:統合された未来にむけて:フィジー憲法再検討委員会報告 1996 年』(‘The Fiji Islands:Towards A United Future'…Report of the Fiji Constitution Review Comission, 1996.)。ポール・リーブス(Sir Paul Reeves)[マ オリ 系ニュージーランド人]、トマシ・バカトラ(Tomasi Rayalu Vakatora) [フィジアン]、ブリジ・ラル(Brij Vilash Lal)[インディアン]の3人の委員の執筆になる。697項目について改正案を示す とともに、提案理由を付す。この報告書が、「両院合同特別委員会」 (Joint Parliamentary Select Committee)の審議を経て、最終的に697項目のうち577項目がそのまま採択され、新憲法に規定された。残りの項目については、40項目が修正の上採用され、77項目が不採用(拒否または削除)となった。本報告の要点については、東 裕「フィジーの憲法改正動向について…『憲法再検討委員会報告』を中心に」、『ミクロネシア』通巻第102号、(社)日本ミクロネシア協会、1997年、34−35頁、参照。

(4) ‘The Fiji Islands:Towards A United Future'…Report of the Fiji Constitution Review Comission, 1996, p.115.  例えば、 「人種差別憲法」と非難された1990年憲法も、第2章に「個人の基本権と自由の保護」(PROTECTION OF FUNDAMENTAL RIGHTS AND FREEDOMS OF THE INDIVIDUAL)として、第4条から第20条にかけて自由権を中心 とした人権保障規定をおいていた。なかでも、第16条は、法律や公権力の行使にあたる者が、人種・性別・宗教・門地・政治的意見・肌の色・宗教などによって、人を差別的に取り扱うことを禁じていた。

(5) Ibid., p.115.

(6) Ibid., p.116. 権利章典が効力を持っていたとしても、インディアンの人権保障が、実際に、フィジアンと同程度に行われていたかは疑問である。筆者が現地で見聞した例では、政府機関内における公務員の昇進や学生の奨学金の獲得などについて、インド系国民は平等な扱いを受けていなかったといわれる。もっとも、1990年憲法においても、「アファーマティブ・アクション」が規定されていたため(第18条)、こうした状況もその措置の一つであったとみることもできる。しかし、こうした事例がインディアンに被差別感を与えてきたことを考えると、今後もこうした「不平等な扱い」が、「アファーマティブ・アクション」として実施された場合、憲法が認めるこうした積極的格差是正措置に対する国民(特にインディアン)の十分な理解がないと、1997年憲法においても依然として「差別的な」状況が改善されていない、との誤解を生むおそれもある。

(7)Ibid., p.115.

(8)Ibid., p.116.

(9) Ibid., p.116.

(10) Ibid., pp.116-117.

(11) Ibid., p.117.

(12) Ibid., p.125.

2.「コンパクト」(compact/協定)の導入