組織とその性格
21世紀は太平洋の時代と言われます。日本の東側に広がる広大な海は長い間、冒険や探検、海運や漁場、布教合戦や領土獲得競争、あるいは戦争や覇権争いの場になってきました。太平洋といえば、「諸大国が活動するスペース」であるとする認識が支配的だったのは、そのためです。
しかし、近年の太平洋は、単に諸大国が利用するスペースにとどまることなく、政治、経済、そして独自の文化を国際社会へと発信する島嶼アクターが多数存在する地域になりました。それゆえ今日では、島嶼各国の国内事情を知り、国々の国際的位置を正しく捉えておくことが重要だとする認識が、太平洋地域に関心を寄せる人々の間で広まっています。新しい世紀の「太平洋の時代」が、島嶼諸国を巻き込んだものになると予感できるのは、こうした情勢変化があるからでしょう。
島嶼諸国との友好関係を進め、太平洋地域の平和と安定の構築に貢献していくこと、これが本組織が目指している窮極の目的です。そのために、これまで30年間にわたって文化・学術の交流や地域研究といった活動をとおして、島国の事情を日本に紹介し、日本の存在を島々に知らしめる努力を重ねてきました。その際に私たちが常に心がけてきたのは、研究事業と交流事業をリンクさせることでした。交流による幅広い人脈の構築と調査・研究による深い地域理解が、日本と太平洋地域との友好的、安定的関係を築きあげるために必要な車の両輪だと考えているからです。本研究所は、こうした活動理念に基づいて、これからの諸事業を展開して行きます。
<組織変遷>
この組織は、1974年に外務省北米局北米第一課所管の社団法人日本ミクロネシア協会として発足。かつて日本の委任統治領であったミクロネシアと日本との友好交流を発展させたいとする経済界および旧南洋群島居住経験者らの声を受けて、財団法人アジア会館が母体となって設立したものです。
以来、わが国とミクロネシア地域の経済、文化、人物の交流事業をとおして、同地域との友好親善を推進するとともに、調査研究、地域情報の提供活動を実施してきました。これら活動は、島々と日本を結ぶ公益諸事業の窓口機関としての役割を担ってもいました。それは、米国施政下にあった信託統治領ミクロネシアの政治地位が、日本政府との直接的接触を阻んでいたからです。
しかし1986年には、この地域からミクロネシア連邦とマーシャル諸島が独立し、間もなく日本政府との外交関係を成立させました。それに伴い、外務省の担当課が北米第一課から欧亜局大洋州課へと移り、同時に、本組織の所管も大洋州課に移管されました。これが、本組織の業務内容が交流重視から調査研究重視へと変化する切っ掛となり、研究対象範囲も定款変更によってメラネシア、ポリネシアへと拡大していきました。
対象地域の拡大は、特に調査研究部門において活発な事業展開を可能にします。その結果、島嶼地域全体を視野に入れた数少ない専門の調査研究機関として、その評価が高まっていきました。しかし一方、事業が活発化するほどに「日本ミクロネシア協会」という組織名称からイメージされる活動内容と実際活動との乖離が生じ、業務上の不都合がしばしば起こるようになりました。そこで、1998年の定時総会において、歴史ある組織の名称変更が決議され、翌年に外務省担当課の認可を受けて現在の「太平洋諸島地域研究所」へと組織名が変わりました。
このような経緯を経て今に至る本研究所は、太平洋島嶼の全てをカバーする日本で唯一の研究機関として、わが国における太平洋研究のレベルアップに寄与してきました。しかし、その活動は日本ミクロネシア協会発足時の設立主旨を引き継いで、調査研究事業だけに特化することなく対象地域との親善、交流活動にも力を入れた地域協力機関になるべく、成長を続けています。
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