PACIFIC WAY
   巻頭言
    太平洋・島サミットへの期待

小林泉(こばやし いずみ)



 昨年の暮れも押し迫った12月22日、パラオ共和国のクニオ・ナカムラ大統領が本研究所が主催する懇親会に出席するために、アジア会館を訪れた。一週間前に突然日程を知らされた私どもは、準備もままならぬままの慌ただしさに加え、年末という時節柄その動員にいささかの不安を覚えた。だが、幸いなことに会場には国会議員、政府関係者、本研究所メンバーなど50人以上の関係者が集い、大統領を囲む和やかな会合となった。

 ナカムラ大統領は1994年のパラオ独立以後、毎年のように来日しているが、公式な日本訪問は96年に続いて今回が二度目。だが今回は、パラオ共和国大統領としてではなく、南太平洋フォーラムの議長としての来日だった。フォーラムは毎年、加盟国が輪番で首脳会議を開催して議長を務め、それから翌年の首脳会議が始まるまでフォーラム議長としての役割を果たす。我が国はフォーラムとの対話を深めるために、毎年この議長を外務省賓客として招待しているのである。

 大統領は12月19日に来日して23日に帰国したが、外務省関係者によれば、20日から22日の実質3日間は公賓に匹敵するほどの過密かつ重いスケジュールをこなした。22日付けの読売新聞4面に、小渕総理と握手するナカムラ大統領の写真が大きく載せられていたことにも、これまでの島嶼国首脳の来日時とは違う扱いが感じられた。というのも、外務省は2000年4月22日に宮崎において、フォーラム首脳を招いて「太平洋・島サミット」の開催を計画しており、島側の議長としてナカムラ大統領によるリーダーシップの発揮を大いに期待しているからだったろう。

 実は、フォーラム首脳を招いた島サミットは、97年10月にも東京で開催されている。日本が初めて島嶼地域全体に呼びかけたこの試みは、おおむね島嶼諸国には歓迎され、フォーラム加盟16カ国・地域の首脳が東京に集うたのである。島嶼地域への大口援助供与国として、日本がこうした会合のイニシアティブを取るのは極めて好ましく、何年かに一度の定期会合の開催を希望する声が大勢であったとも聞いている。だとすれば、この東京会議は成功したと言えるだろう。だが、その成功の度合いがどの程度であったのかには、いささかの疑問がある。島々から私の耳に聞こえてきた首脳会議の感想は、必ずしも評判のいいものばかりではなかったからだ。

 そのとき私はイギリスに滞在していた。この会議の動向が気になり、開催日前後の日本の主要新聞を注意深く見ていたが、国家元首級の島嶼国要人が大挙して東京に集合しているのに、それにまつわる記事が何処にも載っていなかった。政治面は、もっぱら財政改革法案の紛糾に追われる橋本総理の動向に焦点が当てられ、総理の一日の行動欄には島嶼首脳との接触の痕跡が全く見られなかったのである。注意深くにしろ、外から眺めていたのでは日本で首脳サミットが行われていることなどは少しも感じられない。日本での関心はこんな程度か、と私は寂しく思ったものである。そのうち、島々から首脳会議への失望や不満の声が直接私にも届くようになった。「首脳会議をやるといって呼んでおきながら、総理は顔を出さず、外務大臣すら会議の議長を務めなかったのですよ」と。

 政府のオセアニア地域に関する関心度合いや外務省内における地域の扱いに対する軽重の違いといった内部事情を知る者にとっては、ここまで実現できただけでも「よくやった」と評価できるかもしれない。だが、それはあくまで日本側の事情にすぎないのである。島嶼諸国側からすれば、やはり軽く扱われたとの感は強かった。それゆえ、第二回目の島サミットは一度目の失敗を払拭するような信頼関係を育成させる会議にしなければならない。幸い今回は、沖縄での先進国サミットに繋がる事前のサミットの一つとして小渕首相にもきちんと認識されているようであるし、とりわけ日本とは近しい間柄のナカムラ大統領が島嶼諸国を束ねる議長職にあるのだから、状況としては好条件が揃っていると言える。それだけに、この会議が21世紀に向けて、日本と島嶼諸国の信頼関係を発展させる記念すべきイベントになることを祈るばかりである。