ここ2年ほどのコロールの街並みの変化は相当なものである。10年以上前に最初にパラオを訪れた時の鄙びた感じは全くと言っていいほど無くなってしまった(と言っても、初めての人はそれなりに鄙びた感じを抱くのだろう)。かつては3階建ての建物すら無かった通りに、今や体育館、エピソン博物館、パレイジアホテル、ネコプラザが立ち並び、街並みはすっかり近代的なものになった。自動車も増え続けており、信号も3カ所付いて、朝夕のラッシュ時には警察官が交通整理をしている。国会の周囲も綺麗に整備され、メインロードからは土埃が感じられなくなった。
かつては、ヤシの木より高い建物は建てられないと言われていたが、パレイジアホテルのレストランからはヤシの木が見下ろせる。このホテルのレストランは、一見すると東京のホテルのレストランかと思われる。良く見ると、新しい割にメンテナンスの良くないところに気が付くし、“海のパラオ”のリゾートホテルとしてはロケーションも今ひとつとはいえ、近代的な内装は今までパラオに無かったものである。
ネコプラザは、戦前にパラオ公園のあった場所に建てられた。「パラオ公園」の碑、やや侘びしげに建っていたシェルミュージアムの土産物店・展示館、その裏の住居は全て撤去されて整地された上に近代的な建物が建てられた。スーパーマーケット、自動車販売店、自動車部品の店、貝の土産物店等にガソリンスタンドや駐車場も備えたショッピングプラザで昨年10月25日にオープンしたばかりである。又、通りを隔てた向かい側、アサヒ球場の一隅に1998年のマイクロネシアゲーム(ミクロネシアのオリンピックと言われている)の為に建てられた立派な体育館と対をなして近代的な町の景観を作り出している。この他メインロード沿いにエピソン博物館もオープンした。
一方、ここ1〜2年特に目立つようになってきたのが“マッサージハウス”である。6〜7年前からマッサージの店は幾つかあったが、ここ数年で道路沿いの“マッサージ”の看板が異常に目立つようになった。昔の店はちゃんとしたマッサージの店であったが、近年の店の中にはいかがわしい店も少なくない。こうした店の進出を受けて売春防止法も成立した。母系制で、離婚に対する抵抗がない事もあり、性に対しては極めて寛容であったパラオ社会において、売春防止法が成立したことは大変な驚きである。と言うよりも、元々売春自体が成立しないような伝統的社会形態であった。この問題は、外国人労働者が多く入ってきた事による社会変化の象徴的な現象ではないだろうか。ちなみに、昨年にはパラオの外国人労働者数は8000人を越えたと言うことである。これはパラオの居住者のほぼ半数を占める勘定になる。道路沿いの看板からもパラオ社会の構造変化が感じられる。
<2>生活構造の変化
前述のように、首都コロールを中心にパラオの生活構造は急激に変化しつつある。近代化が進み街並みは綺麗になり、便利なショッピングセンターは出来、自動車やスピードボートは増え、電気・水道事情は改善され、国際電話もスムーズになり、インターネット・E−メールも普及してきた。インフラは整備され生活は格段に便利になった。その分現金がより必要になった。便利になればなるだけ、資本主義のルールに支配されることになる。観光産業は発展して来ているとはいえ、ここ数年アジア地域の不況の影響を受けて停滞しており、労働者の多くが公務員と言う実態はあまり変わっていない。高校からグアムやサイパン、ハワイ、アメリカ本土に行く若者は多く、そのまま海外の大学で学ぶ者も少なくない。又、パラオで学校を卒業した後海外に働きに出る若者も多い。パラオの物価は必ずしも安くはない。食料、衣料から飲料、電気製品、自動車に至るまで輸入に依っている以上は必然的に物価は或る程度高くならざるを得ない。結果、パラオの若者は高賃金を求めて海外へ出かけ、代わりに海外から安い労働力が入ってくると言う構造になっている。パラオの賃金自体はアジア地域の中では必ずしも極端に安いわけではない。むしろ、観光で成功しているグアムやサイパンの賃金が他地域に比べて高いと言うことである。そのためパラオも観光産業の育成を目指している(この点については後に詳述)。
第二次大戦後アメリカの統治が始まると、アメリカの物資と共に貨幣経済がパラオの人々の生活に本格的入り込んで来た。それでも、統治され援助を受けるだけの立場の時は大きな問題はなかった。自然と共生した単純再生産の生活をベースに、援助で受け取ったものをプラス部分として享受していれば良かった。生活における最も大きな変化は、統治者が日本からアメリカに代わったことにより、言語が(本来の言語であるパラオ語は別として)日本語から英語に変わったことであった。
ところがいざ独立と言う段になって大きく事情が変わって来た。信託統治から抜け出して独立国となるためには、近代国家として最低限のインフラ整備と政府を維持できるだけの収入が必要であった。しかしながら、他のミクロネシアの国々同様、パラオもこれと言った収入源を持っていなかった。そこで、米国に基地利用の自由を認める代わりに一定の援助を受け取る「自由連合協定」が結ばれることになった。パラオの場合、憲法の非核条項が「自由連合協定」で認められている基地利用の自由と衝突し、その結果独立が大幅に遅れて1994年になってしまった。1981年に自治政府が発足すると、独立に向けて徐々にではあるがインフラ整備が進められていった。この間にパラオの人々の生活、とりわけコロールとその周辺の人々の生活は、独立後のコンパクトマネー(「自由連合協定」によりパラオに与えられる援助金)への思惑と内外の企業による動き等により貨幣経済に支配されるようになっていった。
この傾向は独立後更に進展した。コンパクトマネーには相当額の社会資本整備資金が含まれており、この資金や日本からの援助等によりインフラの整備が大いに進んだ。首都コロールでは、電気や上下水道が整備され、かつては頻繁にあった停電も殆ど起こらなくなった。又、経済自立を目指した開発も進められた。この結果、人々の生活構造はかつての様な単純再生産ではなく、拡大再生産をベースにする資本主義システム中心に変わって来ている。しかし今のところ伝統的社会システムもまだ残っている。特に土地の問題については、伝統的酋長の力は根強いものがある。
インフラが整備され、産業が発展するのは結構なことである。しかし、それにつれて資本主義の優勝劣敗の原則が入ってきて、パラオ本来の助け合いの社会システムが崩れつつある部分が出て来た。今なお、“ハウパリ”(家を建てたときに開かれるパーティー。親戚縁者がお祝いを持って集まり、その祝い金が家の建設費に充てられる。英語のハウスパーティーが訛ったもの)や“ガース”(第一子出産のお祝い。やはり親戚縁者から多額のお祝いが寄せられる。若い夫婦の子育ての資金となる)等助け合いの伝統は残っているが、一方で土地を巡るトラブルが続出している。パラオの伝統社会では、土地は個人の所有物と言うよりはクラン(一族)全体の財産である。いわば、分譲マンションのベランダの様なもので、専用はしていても所有しているのとは違うと理解すれば良いと思う(実態はもう少し複雑だが)。土地の処分に当たっては、クランの長や伝統的酋長の了解を要すると言うのがパラオの伝統社会の考え方である。しかし資本主義の社会では、開発が行われる時、土地は金を生む木になる。資本主義システムに慣れた若い世代の人達を中心に機会を捉えて土地を金に変えようとする人々が増えて来て、様々なトラブルが起こっている。
パラオの伝統社会は単純再生産の世界であり、それを支えて来たのは、パラオの自然である。自然環境が変わったり、自然(土地に象徴される)とのつきあい方が変わったりすれば、伝統システムはその基盤を失ってしまう。土地を巡るトラブルは、パラオ社会が変化する過程で生じる“近代化と伝統の衝突”の典型的な現れである。
生活構造が急速に変化し、近代的資本主義システムと伝統的社会システムのバランスが大きく変わろうとしている状況の中で、昨年の7月7日から10日までパラオで「第1回ミクロネシア伝統的リーダー会議」が開催された。パラオの伝統的酋長協議会の主催により、ミクロネシア10地区の伝統的酋長や伝統文化に関わる関係者が集まった。10地区と言うのはパラオ、キリバス、チュック、ナウル、北マリアナ、マーシャル、グアム、コスラエ、ヤップ、ポンペイである。又、フィジーからプレゼンターが参加した他、日本、アメリカ、フィリピン、イタリア、韓国の外交官もオブザーバー参加した。会議はパラオ政府・国会の全面的な協力を得て行われ、ナカムラ大統領も出席してスピーチを行った。
10地区の中には、ヤップの様に昔ながらの伝統的酋長制が強く機能している所から、グアムや北マリアナの様に実質的に酋長制が無くなってしまった所まであり、伝統的社会システムや文化の保持の度合いにはかなりの差がある。パラオは今まさに、社会システムが大きく変わろうとしている時であり、パラオにとってもミクロネシアにとってもこの時期の会議の開催は意味あるものであった。と言うよりは、今がこのような会議を開催するぎりぎり最後の時期ではなかったかと思われる。
会議は宣言を採択し、成功裡に終わった。宣言では、伝統的な文化、言語、口承、そして伝統的リーダーの地位の保持と共に環境及び自然資源の保護の必要が強く主張された。前述した通り、ミクロネシアの伝統的社会システムはその自然環境と結びついて成立している。自然環境が変わってしまえば、今までの社会システムは存立し得ないと言うことは、伝統的酋長達自身良く分かっている。生活構造、社会システム、そして自然環境が変化していく中で、伝統的社会システムと文化をいかに守っていくか、パラオは今分岐点に立っている。グアムや北マリアナでは、既に伝統文化は日常生活の中で機能しているものではなく、保護し保持に努める存在になってしまっている。変化していく社会の中で、発達と伝統のバランスをどこで取ろうとするのか、自覚的に模索することが今のパラオでは求められている。
ちなみに、「第2回ミクロネシア伝統的リーダー会議」は2002年にポンペイで開催されることになった。それまでは、パラオの酋長協議会が連絡調整役を勤めることになっている。
<3>経済自立に向けての模索
昨年から今年に懸けて、パラオでは経済開発のための大型プロジェクトが幾つも計画されたりスタートしたりしている。日本の援助によるK−B橋の再建準備作業、日米の協力によるコーラルリーフセンターの建設は既にスタートしている。自由連合協定に付随した約束により、アメリカが作ることになっている53マイルのバベルダオブ周回舗装道路も建設業者が決まり、準備が進められている。但し、建設を請け負った韓国の大宇が不況のあおりで再建計画を立てなければならず、そのために建設準備に入るのが遅れた。更に、舗装に使う砂利の供給・浚渫を巡って大宇と地元の調整が付かず、昨年にスタートするはずだった建設作業は今年にずれ込んでいる。
自治政府発足以来の宿題であった首都移転についても、10月29日にマルキヨクで起工式が行われ、具体的に進み始めた。大統領府、国会、上下水道、様々な行政施設と順を追って建設・移転を行っていく計画である。総工費約3600万ドルと見積もられている一大事業であり、費用の捻出方法はまだ決まっていないが、とりあえず国家予算から500万ドルの支出が認められた。ナカムラ大統領は、計画を早く推進するために、建設工事前に必要な環境評価を棚上げすると言う大統領令を発し(環境に十分配慮した上で工事をすると言う条件付きで)、自分の任期が終わる今年末迄には大統領府だけでも移転を果たしたいと意欲的である。新空港ビル建設の計画も進めており、こちらは日本の援助に期待している。この様に大規模なプロジェクトが次々と展開されており、近代国家としての社会資本整備は急速に進もうとしている。財政面やパラオ固有の事情によって計画がスケジュール通り進まないことは今後も考えられるが、これだけのプロジェクトが進めば、とりわけコンパクトロードの建設が進めば、パラオの自然環境は大きく変貌を遂げることになろう。ナカムラ大統領を始めパラオの政治リーダー達は、“自然環境を維持した開発”を目指しているが、元々小さな島であるパラオにとって、開発工事は自然環境に何らかの変化をもたらさずにはおかない。自然環境の変化は社会システムの変化を必然的に招く。変化のバランス点をどこにおくのかを見定める必要がある。
パラオが経済自立を目指す時に、中心となるのは観光開発である。独立前後には、ホテル建設の話が出ては消えていた。その後、1998年にはアウトリガー・パレイジアホテルが開業し、日航ホテルの隣には大型のリゾート建設が始まった。日本航空のチャーター直行便も順調に便数を増やし、台湾からのチャーター便も急速に数を増して来た。ところが、ここ数年のアジア地域の不況の影響もあり、1995年から急速に伸びて来た台湾からの観光客が1998年から大幅に減り始め、パラオの観光業に大きな打撃を与えている。台湾資本で建てられ、日本人と共に台湾からの観光客を当てにしていたアウトリガー・パレイジアホテルは不振が続き、昨年10月15日にアウトリガー社が経営から手を引いた。現在はパレイジアホテルとして営業を続けているが、部屋の稼働状況は4割前後と厳しい状況が続いている。又、日航ホテル隣のリゾート建設も中断してしまった。
日本からの観光客は、ここ数年2万人前後と横這いが続いている。アメリカからの観光客は着実に増え続けているが、1万人前後で日本の半分程である。台湾の観光客は、1997年には3万人を越えたが、以降減り続け、昨年は1万人強に止まった。結果として、一時期台湾からの観光客を中心に活況を呈したが、今は元の水準に戻ってしまった。むしろ日本の不況で日本人観光客の金の使い方が以前より少なくなり、土産物の売り上げ等が減った為、観光業は停滞した状況になっている。
観光客を増やし観光開発を進めるには、それに応じたインフラの整備が必要である。飛行機の便数が増えてもホテルの部屋数が足りなければ観光客を収容する事が出来ない。逆に、ホテルの部屋数が増えても、飛行機の便数が少なければ観光客を連れて来る事が出来ない。鶏が先か、卵が先か、長く議論されて来たが、現状を見るとパラオに今必要なのは航空アクセスの整備と思われる。現在、チャーター便を除くとパラオへのアクセスはコンチネンタル航空一社が独占しているが、パラオ発の便は夜中の2時頃発が中心になっており、観光客にとってもパラオの人々にとっても極めて不便なタイムスケジュールになっている。更に、グアム経由が基本となっている日本人観光客を考えると、グアムまでの飛行機が非常に取りにくく、スケジュールが合わなかったり、自由なスケジュールが組め無い為旅行を諦めると言うケースがかなりあり、日本からの観光客増の障害になっている。現在、ナウル航空との間で、マニラ−サイパン−パラオを結ぶ路線を開設すべく話し合いが進められている。これが実現すれば一歩前進だが、日本とのアクセスを考えると、日本−サイパンの間は絶えず混んでおり、更なる手当が必要である。チャーター便の数を増やして来ている日本航空が直行の定期便をスタートさせれば良いのだが、現状で定期便の採算がとれるかどうか、日本航空側としても難しい所であろう。
日本人観光客誘致の為のゴルフ場建設の話は前から色々出ていたが、これまで実現したものは無い。昨年来アイライとアイミリキで進行中の2件については、土地の問題を残しながらも公聴会が開かれる等、具体的に進んでいる。しかし、現地でも危惧されている様に、ゴルフ場が建設されると土砂が海に流れ込んだり、芝生のための農薬や化学肥料による環境への悪影響が心配される。コンパクトロードとゴルフ場建設が行われた暁には、周辺の海への影響が相当出ると思われる。今でも、昔に比べると沿岸漁業の漁獲は大幅に減っている。マングローブガニやヤシガニも大きく減っているが、両者の建設が進めば更に状況は悪くなるだろう。特に、日常生活の食糧を供給しているリーフ内の魚は壊滅的な打撃を受けることが心配される。目の前の海で、その日のおかずの魚を捕ると言った光景は見られなくなってしまうのではないだろうか。現に、グアムやサイパンでは既にそうした光景は見られなくなっている。その時に観光産業が十分に発展していなかったら、人々の生活はどうなるのであろうか。ここでも、バランス点を見定める必要がある。ゴルフ場や大型リゾートにより新たな観光客が来る様になった時には、海の環境が変わり、今観光客の中心をなしているダイバーの数は減るだろう。その時、パラオがグアムやサイパンに対抗する観光地として、十分な競争力を持ち得るだろうか。新しい観光客を開拓する事は大事である。しかし一方で、パラオの自然環境は現在の所、“海の楽園”として秀逸である。ダイバーや釣り客だけでは十分な観光展開は出来ないかもしれない。しかし、パラオは小さな小さな島国であり、環境は壊れやすく、一度破壊されると修復は極めて困難である。海の環境が変われば今来ている観光客は来なくなる。“自然環境を維持した開発”を如何に実現するかにパラオの将来が掛かっている。
パラオの国家予算はインフラ整備の為、独立を達成した1995年度に6800万ドル弱、翌1996年度には約7500万ドルと膨れ上がった。その後は6000万ドル弱で推移しており、2000年度は6000万ドル強となっている。コンパクトにより供与される金の内、政府活動資金は1999年度から500万ドル減り700万ドルになっている。これに対応すべくパラオ政府としても節約に努め、昨年1999年度には支出実績が予算を下回った。一方、経済自立の柱となる国内収入は昨年度は2524万ドルで、予算額の2680万ドルを下回り、目標を達成出来なかった(国家会計としては支出を抑えたので赤字にはなっていない)。独立前後は1800万ドル程度であったが、1997年度には2000万ドルを超え、伸びて来てはいるが、未だに歳出の半分に至っていない。2000年度では2700万ドルの収入が見込まれているが、財政を担当しているレメンゲソウ副大統領は、2500万ドルがいいところで、2700万ドルの国内収入は苦しいと語っている。
現在はまだ社会資本整備を続けているところなので、これが落ち着き、更に行政府の支出を節約し、国内収入をもう少し増やして行く事が出来れば、経済的自立の可能性も見えてくるかもしれない。その為には、開発をどこまで進め、どこで社会のバランスを取るのかを明確に見定めなければならない。パラオは今まさに、自立に向けてターニングポイントに立っている。
<4>21世紀へ向けて選挙戦始動
今年は4年に一度の正副大統領選、国会議員総選挙の年である。ナカムラ大統領は既に再選を果たしており、憲法の規定によって今回は大統領に立候補できない。次の大統領を巡り、昨年来様々な動きが起こっている。 現在大統領に立候補を表明しているのは、トーマス・レメンゲソウ・Jr.現副大統領、スランゲル・ウィップス下院議員、南部大酋長アイバドル・ユタカ・ギボンズ氏の3人である。レメンゲソウ副大統領は、2期8年の実績を元にナカムラ=レメンゲソウ路線の継承を掲げている。副大統領としての評価も良く、人気も高い。人気もあり有望な対抗馬と見られていたジャンセン・トリビューン弁護士が出馬の様子を見せていないので、現段階ではかなり優位に立っている。スランゲル下院議員は、地元では大変人気があり、今まで下院選挙では全く危なげなく勝ってきた。ビジネスマンとしても有能であり人柄も良いが、行政官としての経験が無く大統領候補としては果たしてどうかと言うのがおおかたの評判である。アイバドルは今まで4回大統領に立候補し、前回はそれまでで一番多い票を得た。南部大酋長であり、コロールを中心とした地盤は固いが、北部では苦戦が予想される。又、大酋長が大統領に立候補すること自体に対する批判もある。本人もその辺は自覚しており、「パラオの伝統社会を守るために立候補する。他の立候補者が私と同じように伝統社会を守ってくれるならば私は立候補を取りやめる」と、昨年秋に筆者に語っていた。
現在でもナカムラ大統領の人気は絶大であり、任期切れを前にしてもその力に翳りは見えない。昨年前半には、憲法を改正してナカムラ氏が3選を目指すと言う噂が流れたし(本人には全くその意志はなかった)、今でも1期休んで次には又立候補すると言う話がパラオでは広く語られている程である。従って、ナカムラ大統領が次期大統領として誰を支持するかが選挙の行方を大きく左右すると思われる。今のところ、大統領は誰を支持するかを公にしていない。筆者とのインタビューでは、或る意味では当然の事ながら現行路線の維持に好意的であった様に思われた。ちなみに大統領引退後は、ビジネスを通じてボランティア活動をしたいと語っていた。
副大統領候補としては現在、アレン・シード下院議員、サンドラ・ピエラントッチ下院議員、ピーター・スギヤマ上院議員の名前が挙がっている。
国会議員選挙では、下院は各州1名で変わらないが、上院の選挙区と定数が変更されそうである。上院はについては、8年毎に議席配分是正委員会が、人口に基づいて定数並びに選挙区の改正を行うことが憲法に定められている。全国を1区とし定数を9人に減らす(現在は3区で総数14人)との決定が昨年6月に出された。これに対する異議が提訴されたが、12月6日最高裁審理部は異議を却下した。今後、最高裁控訴部に控訴することは可能なので、最終結論はどうなるか分からないが、上院の定数が削減されると、ここでも激しい選挙戦が展開されることになる。いずれにしても、前号「ローマン・メチュール氏逝去」の記事で書いた様に、戦後第1世代のリーダー達が次々と舞台から姿を消し、ナカムラ氏も憲法の規定により立候補できないと言うことで、今年の選挙は今までの流れと違った様相を見せるものと思われる。まさに、21世紀を前にしたターニングポイントの年である。
(2000年1月16日脱稿)