フィジー・クーデター:チョードリー首相解任の憲法的問題点
(社)太平洋諸島地域研究所研究員
山桝加奈子(やまます かなこ)
1.はじめに
5月19日、インド系首相チョードリー政権に反対する、フィジー系の元実業家ジョージ・スペイトらは、チョードリー首相、閣僚、議員を人質にとり国会議事堂を占拠し、新憲法の制定(フィジアンの権利強化)、チョードリー首相の解任、およびマラ大統領の辞任を要求するという文民クーデタが発生した(*1)。
この事件をきっかけに、マラ大統領による非常事態を宣言、チョードリー首相の解任と内閣総辞職、マラ大統領からの権力移譲による軍の全権掌握(軍事クーデタ)、戒厳令の布告、暫定政権の誕生、マニカウ協定の締結による人質解放と武装集団の武装解除、そしてさらにはマニカウ協定違反によるスペイトと支持者グループの逮捕…と、まだフィジーの混乱は継続中である。
事態が落ち着くのはいつのことになるのか予断を許さない状況にはあるが、いずれ今回の一連の事件の法的問題点が議論されることになると思われる。すでに、最初のクーデタ発生から7日後の5月26日には憲法を専門とするオーストラリアの3人の法律家がクーデタ後のマラ大統領によるチョードリー首相解任手続きについての法的問題点を指摘している。
マラ大統領は、首相や閣僚が監禁状態で不在のため、自ら秩序回復のため行政権を行使することとなったのだが、そのなかで憲法の規定に基づく正当な選挙により選出された首相を、憲法の定める手続きを経ずに大統領が解任したとして、この点を問題視されているのだ。国際社会もこの点を非難し、フィジーは制裁を受けることになった。
そこで、本稿では首相解任に対するこのオーストラリアの3人の専門家の法的評価を紹介し(*2)、若干の私見をつけ加えたい。
2.オーストラリアの法律家による法的評価
議院内閣制における元首の権力は一般に大きく制限されており、フィジー諸島憲法(1997年)にもその特徴が現れている。すなわち、議院内閣制においては行政権を行使するのは内閣(内閣総理大臣)であり、大統領は名目的・儀礼的な権限を行使するだけに限られている。つまり、独自の判断で首相を解任するといった権限は、本来議院内閣制における大統領の権限の中には見いだされないのである。今回の首相解任に対する批判の焦点は2点に絞られるが、そのうちの1点はまさしくこの点にある。それは大統領の留保権限の行使という問題である。そして第2点は、かつてのオーストラリアでの首相解任劇(1975年)が今回のフィジーの先例と言えるのかどうかということである。
(1)大統領の権限行使−大統領による首相解任−について
この点については、フィジー憲法が大統領が助言なしに首相を解任できる場合を明確に限定しているため、3人の評価は一致したものとなっている。
まず、デニス・オブラエン(Denis O'Brien:フィジー議会特別委員会のアドバイザー、1997年憲法起草に貢献)は、以下のように述べている(*3)。
「憲法は、共和国の大統領に、内閣の助言なく権力を行使することを厳しく制限している。96条1項は同条2項にしたがって、大統領や大酋長は、内閣もしくは大臣又は憲法が大統領の助言のために定めた団体や専門家などの助言によってのみその権限を行使できる。96条2項は、大統領が独自の判断で行動してもよい場合を規定している。
首相の解任については、次のように109条が明確に定めており、それによれば大統領に首相の解任が許されるのは、政府が下院の信任を得られない場合、もしくは下院の信任を失った場合である。
109条 @大統領は、政府が下院の新任を得られないかもしくは新任をうしなったとき、首相が辞任または下院を解散しない限り、首相を解任してはならない。
A大統領が首相を解任した場合、大統領は自らの判断により暫定政権の首相を指名することができる。
これらの条項から、大統領は、首相が下院の信任を得ている状況においては首相を解任する権限を持たないことは明らかである。」
次に、ジョージ・ウイリアムズ博士 (Dr George Williams:法廷弁護士、オーストラリア国立大学法学部憲法学上級講師)も、以下のように述べている(*4)。
「フィージーのようなウエストミンスター型内閣を持つコモンウエルス諸国で確立されたルールは、大統領は首相や大臣などの助言のもとに行動しなければならない、ということである。これはフィジー憲法96条1項に定められている。しかし、ある種の事情のもとでは大統領は政府の助言によらずに行動することを認められており、その場合、大統領は留保権限を行使するといわれる。もし、フィジーの首相が、留保権限の適切な行使によらずに大統領により解任されたとしたら、憲法と「法の支配」の侵害にあたる。これは109条1項に定められており、大統領は、政府が下院の信任を得られないかもしくは失ったとき、首相が辞任または下院を解散をしない場合でない限り、首相を解任してはならない。
こうして、フィジー憲法では大統領が、内閣の助言なしに首相を解任できる場合は、「下院の信任を欠く場合」に限定されており、今回のケースはこの要件を満たしておらず、かつ内閣の助言もないため、明らかに憲法を逸脱した行為であると評価された。
(2)オーストラリアの総督による首相解任はフィジーの先例となるか
このオーストラリアの事件は、1995年11月に起きた。政府が外国借款をめぐり議会に虚偽の報告をしたことが発覚、上院の多数派であった野党は公務員給与法案の審議を拒否したため、カー(Sir
John Kerr)総督は、労働党内閣ホイットラム(Gough Whitlam)首相に対し、内閣総辞職または議会解散を要求した。ところが、首相はいずれをも拒否したため、総督は首相を解任した。
この事例では、総督による首相の解任は、憲法64条2項に定める在職要件(=行政各部の長官は総督の信任を受ける間在任する)を根拠におこなわれたが、総督の権限行使には62条で内閣の助言が必要とされており、首相の解任に内閣の助言が不要なのかどうかが議論となった(*5)。
総督の権限行使を是とする説は、「オーストラリアの憲法では両院は一部例外を除いて両院は全く対等であり、上院は法律案に対する投票を拒否する憲法上の権利を有し、これにより政府に対する不信任を表明することができる。女王のために議会の信任を失った首相は総選挙に訴えるか内閣総辞職の途を採るべきで、いずれも行わない場合、総督は首相を解任する憲法上の権限をもつ」(高等法院主席判事意見)というものであった(*6)。
要するに内閣の助言によらない権限行使は全く許されないのではなく、例外として認め得る正当事由があるかどうかが問われるとするのである。この場合、「上院の信任を失った首相を総督は信任しない」し、首相が辞任も解散も拒否したので当時の政治状況から解任以外に事態を収拾する方法がなかったということがそれに当たるとされた(*7)。また、助言が常に必要であるとすると、首相の解任には解任される当事者である政府の助言が必要となり、事実上解任は不可能になる。こうなると64条の閣僚の在任期間は総督の信任にもとづく、という規定は空文化してしまう、という説もある。(*8)
このように、オーストラリア憲法においては例外的な正当事由が存在する場合に、総督には首相の解任権が憲法上留保されているという説が有力である。
このような考え方が、フィジー憲法の下でも可能であろうか?
結論を先にいえば、 オーストラリアのこの事例は、今回のフィジーの事件を合法化する先例にはなり得ない、ということになる。なぜなら、オーストラリアとフィジーでは憲法条文も状況も違っているからだ、とオーストラリアの研究者指摘している。
サンダース(Cheryl Saunders:メルボルン大学・比較憲法学)教授は、次のようにいう(*9)。
「フィジー憲法とは対照的に、オーストラリア憲法は、総督の諸権限が行使されるべき事項について、なにも言及していない。法律事項については、広範な権限を総督に与え、その権限行使の仕方は不文法に委ねている。首相の地位に関するオーストラリア憲法64条は、要するに、首相は『総督が望む間は政権につく』ということである。明らかに、これには慣習法の範囲と効果について議論の余地が残されている。フィジー憲法にはそのような条文はなく、そしてその状況はオーストラリアと比較できるものではない」。
そしてさらに、「1975年に、首相が歳出予算案を上院で通すことができなかったため、総督は首相を解任した。このとき総督によって適用された原則は、首相は歳出を議会で承認されなければならないということであった。この定式は、政府の存立は下院の信任に依拠するという伝統的概念を拡張したものである。これは明らかに現下のフィジーの状況とは全く異なる」と述べ、マラ大統領による首相解任の法的正当性に明白な疑問を呈している。
ウイリアムズ博士(法廷弁護士)は、オーストラリアでは総督が留保権力を行使できる場合として次の2つをあげる(*10)。
@議会での投票の結果、内閣が下院の信任を失った場合。
A政府が違法、または憲法違反の行為を行った場合。
このような場合に、総督は留保権力を行使して首相を解任できるが、75年の事件はこの2つの場合以外で総督が留保権力を行使して議会を解散した第3の場合である、と博士はいう。たとえ、75年の総督の行動が正しいとしても、この先例を根拠に緊急事態の時には総督によって首相は解任されうるということにはならず、単に予算案を成立させることができなかったときに首相を解任できるということを示唆するだけであるとして、一般的に適用される先例と見なすのは適切ではないとしている。
3.法的評価の意味と限界
ジョン・アプテッド(Jon Apted: 憲法専門家)は、フィジーTVのインタビューに次のように答えた(*11)。
フィジー憲法の下では大統領は首相を、首相自身が望んだ場合、または首相が議院の信任を失った場合にのみ解任できる。現行憲法の下では、不信任決議がなされない限り、大統領は首相を解任することはできない。そうでなければ1987年に起きた2度のクーデタの後のように、憲法は無視され、新しい法に基づく政権が成立することになる」と述べた。これが今回のフィジーのクーデタの対処についての代表的評価と思われる。
いうまでもなく、これらの評価は西洋近代立憲主義的思考から下されたもので、その限りでは適切な評価である。しかし、この評価は、フィジーの国内事情、政治状況を考慮に入れない法律論レベルでの正解であり、かつ非常事態下にあることを無視した平時の論理でもある。それに、首相や閣僚が拘束されている状況のもとで、西洋的価値判断に合致した解決−スペイトらの要求を拒否し、反民主的・反憲法的テロリストとして武力鎮圧する−を採った場合、はたしてその後の事態の推移はフィジー国民にとってよりましなものになったかどうか、大いに疑問が残る。
その意味で、今回のマラ大統領の判断や暫定軍事政権のとった措置は、オーストラリアをはじめとする「西欧諸国」からは非近代的・非民主的かつ反立憲主義的と非難されてはいるが、太平洋流の、すなわちパシフィック・ウエイ(12)による解決にほかならないのではないだろうか。いうならば「非西洋的民主主義」ないしは「太平洋的民主主義」の方法であり、これは「もう一つの民主主義」の成立可能性を秘めたものと言えるかもしれない。
なお、クーデタ自体が憲法外の現象であり、クーデタによる政治変動とその際にとられた措置を法的に評価して事足れり、とする態度への根本的な疑問があるが、クーデタの際にとられた措置が後に裁判で争われる可能性がないわけではない。その限りでは、クーデタの際の措置についての法的検討も重要となろう。今回の一連の事件へのフィジー政府の対処の仕方は、はたしてそれがフィジー流の「民主主義」というものなのかどうか。その答えは、今後の政権の運営を国民がどう受け取るかにかかっていると言えよう。
(*1)クーデタの経過については、東 裕「フィジー・クーデターの推移」(『South Pacific』、南太平洋シリーズNo.231、社団法人日本・ 南太平洋経済交流協会) 参照。
(*2)Aust legal opinions on Fiji coup, http://pacificjokes.com/coup/news4/26.html, 26/5/2000, pp. 2-8.
(*3)Ibid., p.6.
(*4)Ibid., p.2.
(*5)今井威『議院内閣制』ブレーン出版、1991年、p.232.
(*6)前掲書、p.238.
(*7)前掲書、p.240.
(*8) 前掲書、p.239.
(*9)Ibid.,p.5.さらに、サンダーズ教授は、フィジー大統領が、首相が下院の信任を得ている状況において首相を解任することの問題点について、以下の関連条項を挙げる。96条2項(大統領が政府の助言なく独自の判断で行動してよい場合)、97条(政府は下院の信頼を得なければならないという政治原則)、108条(大統領が首相を解任できる場合)、109条(大統領は、首相が下院の信任を失わない限り首相を解任してはならない)、109条2項(首相の選挙管理暫定内閣の任命権)
(*10)Ibid., p.3.
(*11)Jon Apted's interview, 25/5/2000,http://pacificjokes.com/coup/news3/26.htm.
(*12)東裕「『パシフィック・ウエイ』の本義と機能」、(「パシフィックウェイ」、第114号、p.24、)参照。
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