PACIFIC WAY

ミクロネシア紀行
   旅してみれば−美しのパラオ

     <17>アルモノグイA

上原伸一(うえはら しんいち)


 連載を続けて来た「旅してみれば−美しのパラオ」ですが、筆者の体調不良のため丸1年程休載してしまった事をお詫びします。

 今回は、前回ご案内したアルモノグイで体験したパラオの伝統的行事である“ガース”(“オムスール”ともいう)をご紹介しよう。

 今迄も何度か述べて来た様にパラオでは、“シュウカン”(日常の出来事にまつわる伝統的な行事)が日常生活の中で極めて大事にされている。その中でも今回紹介するガースは、葬式と並んで特段に重要なものと考えられている。

 ガースとは一言でいえば第一子誕生を祝う行事である。ファミリーに新しい成員を迎える儀式としては結婚式以上の意味あるものと考えられている。無論パラオでも結婚式は重要なものとして盛大に行われている。しかし、母系制社会であるパラオでは、女性の側の経済的な不安がない事もあり、昔から離婚は珍しくなく日常的に行われて来た。そういう社会にあっては、結婚後第一子が生まれ、母子共々新しいファミリーの一員としてお披露目されるガースは、新しいメンバーを迎える儀式としては最も重要な意味を持つわけである。

 村のはずれの高台でアルモノグイ水道に落ちる夕陽を眺めた後、筆者達一行は集落の少し外れにある一軒の大きな家に立ち寄った。既に日が暮れ周囲は真っ暗になっていたが、大きな庭を囲んで二棟の建物が立つこの家では電気が煌々と灯り、数人の人々が立ち働いていた。

 片方の建物は、大きな昔風のパラオの家で、収穫してきたタピオカ芋があちこちに山積みにして置いてある。かまどにかかった大鍋ではそのタピオカ芋が茹でられている。建物の奥には、若い女性が壁に寄りかかってくつろいでいる。さらにその奥の方を見ると一人の赤ん坊が気持ち良さそうに眠っている。お母さんと最近生まれた(生後二カ月)第一子という事であった。今度の日曜日(筆者達が訪れたのは木曜日)にガースが行われるので、今はその準備をしているところだった。若いお母さんは少しはにかみながら誇らしげに赤ちゃんを見つめている。そこから少し離れたところで太った逞しいおばさん達がせっせと働いていた。

 パラオ人のガイド氏によると、「丁度今度の日曜日にガースが行われるのでその準備をしているところを取材出来るように案内した」という事であった。邪魔にならないかと心配したが、大丈夫だと言うので取材させて貰う事にした。

 タピオカ芋は、ガースに供するために準備されたものであった。茹でて皮をむいてそのまま供しもするがビンルンにもする。前に紹介した様に、ビンルンはタピオカ芋から作るチマキに似た食べ物で、パラオでは人気があり祝いの席には欠かせないものである(「ミクロネシア」誌1997年1号通巻102号参照)。

 ビンルンを作るにはまずタピオカ芋を粉にする(普通は大根おろしの様にして擂る)。皮を剥いたタピオカ芋をグラインダーにかけて次々に粉にしていく。グラインダーの下の大きな金ダライの中でタピオカのややドロっとした白い粉がどんどん山になってゆく。その粉を練る時にそれぞれの家なりの味付けが行われる。練り込みが終わると細長い棒状の塊にして葉(ビンロウ等の葉)に包み、葉の繊維で作った紐で縛る。出来上がった形はまさにチマキそっくりである。この後蒸して(その時により、蒸し焼きにしたり煮たりする)ビンルンが完成する。蒸す時間は、大体4時間位という事であった。ちなみにタピオカ芋を茹でて食べる時は、1時間半位茹でるという事である。

 ビンルン作り等の撮影をさせて貰い夜の8時過ぎにその家を辞した。帰り際に、その家のおばあさんから日曜日のガースに是非出席するよう誘われた。ガースはそのファミリーの新しい成員を広く紹介する場であり、参加者は親類縁者に限るというものではないらしい(尤も、我々が招かれたのはパラオ人ガイド氏の“顔”によるものであったかもしれない)。有り難いことに、取材もしていいし撮影についても出来るだけ協力してくれるという事であった。

 日曜の昼前に始まるというので、朝にコロールを出て11時前にアルモノグイの村に着いた。件の家では、庭にテントがいくつも張られ、テントの中にはご馳走や椅子が並べられている。昼前からと言ってもそこはパラオタイム、お客の人々が集まって来るのは昼頃から。お客さん達は、皆で車に乗り合わせてご馳走や赤ん坊のおもちゃ・乳母車といった様々なプレゼントを持ってやって来る。

 庭の裏側には小さなテントが張られ、中にはヤシの葉が敷きつめられている。産後の母親に特別の“入浴”をさせるための“小屋”である。ガースの儀式の前数日間に亘り初産後の母親は、特別な薬草の入った熱湯をふりかけられる。これは、初産後の母親の心身をリフレッシュさせる為のもので、子宮の回復効果もあるという。この薬草については、それぞれのクランやファミリーにより違いがあり、何を使っているかは秘密である。この入浴の際、母親は全身にヤシ油とウコン(ターメリック)を混ぜた液体を塗る。それ自体のハーブ効果と共に薬草入りの熱湯から皮膚を守るためである。先に第一子誕生の儀式のことをガース又はオムスールというと書いたが、本来は、入浴の儀式をオムスール、母親と第一子紹介の儀式をガースという様である。

 ガースの朝、母親は最後の入浴を行う。入浴は数人の年長の女性により裏のテントの中で行われる。当然、男性は入れないし、テントの入り口も閉ざされて外からは見えない様になっている。束ねた薬 草ですくい取った熱湯を母親の全身に振り掛ける。相当に熱いという事だが、薬草の成分とともにこの熱さが産後の体の回復に役に立つといわれている。

 入浴が終わると母親は髪の毛を束ねて頭の上にまとめる。あらためて全身に入念にウコンとヤシ油を塗りつける。頭の上にまとめた髪は花で飾られる。ウエストには太いベルトを締める。腰には腰簑風のスカートを着ける。このスカート、昔は草の繊維を編んで作ったが現在は大抵綿で作られる。首にウドウドを着け、手に花の飾りを持てば支度は出来上がりである。ウドウドは、昔のパラオのお金で同時に宝石の様な意味も持っている。現在でも価値あるものとして十分に通用しており、何かにつけて女性は首に着けている。その席に応じて、より価値の有るものを着用する。

 母親が支度をしている間に、中庭ではパーティーの準備が進み、来客が次々と祝いの品を持って集まって来ている。人々が集まるとパーティーが始まり、母親が登場する前から陽気に騒いでいる。小編成のバンドの演奏に合わせて歌や踊りで大いに盛り上がる。お父さんと赤ちゃんも踊りに加わる賑やかさである。

 ハイライトは母親の登場である。
 
 件の装いを凝らした母親は、年配の女性に導かれて母屋から出て来る。この時、母親が直接地面を踏まない様に、先導の女性がヤシの葉で編んだ敷物を母親の歩く先へ敷いて行く。母親が登場すると会場は一段と盛り上がり、母親の回りで客達は祝いの踊りを踊る。この時に多くの人達は、手にドル札を握り、母親のスカートに差し込んだり体に貼り付けたりする。母親の体に塗り付けられているウコンとヤシ油の為ドル札が落ちない仕組みである。パラオでは、時々黄色く変色したドル札に出会うが、これはガースの際に母親の体に貼り付けられた札にウコンの黄色が着いたものである。

 ひとしきり母親の回りでの祝いの踊りが終わると、母親と父親そして赤ん坊が並んで皆に紹介され、ガースの儀式は終了する。パーティーの間、母親はしきりと目をつむったり顔をしかめたりしていた。当然の事ながら、パーティーが不愉快なのではなく、顔に塗ったウコンとヤシ油が汗と共に流れ落ちてきて目にしみていたのである。
  
 パーティーの際に母親の体に貼り付けられたドル札は余興にすぎず、それとは別に相当な額のお祝いが贈られる。この時のガースでは五千ドル以上が集まったという事であった。取材をしたのは1995年のことであり、当時パラオ人でひと月に千ドル稼ぐ人は相当な高給取りであった。それを考えると、この五千ドルという額がどの位のものかある程度想像出来ると思う。要するにこのお金は、新家庭への援助金、新しく生まれた子供の養育費という意味を持っている。

 ガースにおいては、父親側の親戚がお金を贈り、母親側の親戚がパーティーのご馳走を用意するというしきたりになっている。こうした親戚一同による相互扶助のシステムは、パラオの伝統社会では当たり前の事であり、とりわけ“シュウカン”の際に強く発揮される。例えば、家を建てた時に行われる“ハウパリ”(ハウスパーティーが訛ったもの)でも、親戚から多くの祝い金が集まり、そのお金で建築費が賄えるといわれている。かつては、家を建てる時は皆が総出で作り上げたが、貨幣経済が入ってからは、こういう形で相互扶助のシステムが生き残っている。これも、サブシステンス社会といわれる自給自足可能な社会が残っていたからで、急速な国際化や開発が進むパラオでこの相互扶助システムがどうなっていくのか、今後のパラオ社会を見ていく上で注目されるところである。               

 バベルダオブ本島を巡る筆者の旅は今回で終わり。これ以上北、車で行けない所へは残念ながら筆者は行っていない。パラオのローカルそのものを楽しめる“ガラルドリゾート”に泊まったこともないし、本島最北のアルコロンにあるストーンモノリス(列状石柱)も見た事がない。バベルダオブ周回道路が出来れば楽に回れるようになるのだろうが、その時には今ある昔ながらのパラオの風情はかなり変わってしまっているだろう。何とかしてそれまでにまだ果たしていない本島北部の旅をしてみたいと夢みている。

 次回以降、筆者が訪れたパラオの島々の紹介を出来る範囲でしていけたらと思っている。
           −続く−