1998年のヌメア協定以来、ニューカレドニアは、自分たちの地方議会と政府を創設し、現在、労働、社会保障、教育などの国内問題に精力的に取り組んでいる。他方、フランスからは、段階的な自治権の移譲が始まっている。しかしながら、ニューカレドニアの政治的地位は、依然としてフランス海外領のままである。その結果、ニューカレドニアが、国連やPIF等のメンバーになることができないのはいうまでもない。しかしながら、自治政府の発足以来、独自に国際会議に出席し、また、対外関係でも進展を目指している。
ニッケル産業は、ニューカレドニアにとって最大の外貨獲得手段であり、国内最大の雇用機会を提供する産業である。そのため、ニッケル産業の経営と配分をめぐり、カナク、フランス系カレドニアン、あるいはフランス本土人の間で古くから対立があり、突発的なストライキ、暴動、流血事件などが繰り返されてきた。すなわち、ニューカレドニアには、かってニッケル産業界を独占していたフランス系のSLNと、主にカナクによって運営されている南太平洋鉱山社(SMSP:
Ste Min Sud Pacifique)が存在し、対立関係にあるのである。ヌメア協定の規定に従い、2000年7月にニッケル産業の配分に関してグランド・テールの南・北州およびロイヤルティ諸島の3州の間で合意がなされているが、今後ともニッケル問題は、将来の政治的地位に関する交渉過程においても、フランスとニューカレドニア間で最大の難題の一つであり続けるであろう。
以上みてきたように、パラオとニューカレドニアには、その対外関係の面でいくつかの共通点と相違点があることが確認できる。まず、双方に共通する点は、統治国こそ違うが、それぞれが将来の政治的地位への移行過程で、スムーズに交渉が進まなかったという点である。この点に関しては、すでに独立国となっている他の島嶼諸国と比べれば、明らかであろう。この最大の理由は、パラオとニューカレドニアが各々の統治国にとって重要な領土であったという点にある。すなわち、アメリカにとってパラオは地政学的な戦略的価値が高く、フランスにとってニューカレドニアは鉱産資源という経済権益的見地から重要な領土であったわけである。
Acknowledgements
本稿は、著者が2000年から2001年にかけてニュージーランド・カンタベリー大学大学院太平洋諸島研究科に留学していた際、同大学のマクミラン・ブラウン太平洋諸島研究所および政治学研究室に提出した英語論文“Comparative
Thought on Small State Politics and Foreign
Policies between Palau and New Caledonia”をベースに、今日の動向も踏まえて一部その内容を加筆および修正したものである。本稿を母国日本で提出するにあたり、その元となった英語論文に対して、留学中その内容について適切なアドバイスをくださったマクミラン・ブラウン太平洋諸島研究所所長のウアンタボ・ニーミア・マッケンジー博士(Dr.
Ueantabo Neemia-Mackenzie)ならびに政治学部学部長のジョン・ヘンダーソン博士(Dr.
John Henderson)にここで改めて謝意を表したい。
Notes
1) Roger Clark and Sue Rabbitt Roff, Micronesia:
the Problem of Palau, London: the Minority
Rights Group Report no.63, 1984, p.5.
2)World Reference-Palau, The U.S. Department
of State Background Notes; http://www.washingtonpost.com/wp-srv/inatl/longterm/worldref/
country/palau.htm (24/10/97).
3) Roger Clark and Sue Rabbitt Roff, supra,
p.6.
4) 日本の委任統治の詳細は、矢内原忠雄、『矢内原忠雄全集第3巻―南洋群島の研究』、岩波書店、1963年を参照。
5) Hal M. Friedman, “The Limitations of Collective
Security: The United States and the Micronesian
Trusteeship, 1945-1947”, A Journal of Micronesian
Studies, vol.3 no.2 (Dry Season), 1995, pp.363-366.
6) ミクロネシアの将来の政治的地位に関する交渉過程については、John Armstrong,
“Strategic Underpinnings of the Legal Regime
of Free Association: The Negotiations for
the Future Political Status of Micronesia”,
Brooklyn Journal of International Law, vol.Z
no.2, pp.179以下を参照。
7) Ibid., p.181.
8) Yash Ghai, “Reflections on Self-Determination
in the South Pacific”, in Donald Clark and
Robert Williamson (eds), Self-Determination:
International Perspectives, New York: St.Martin’s
Press Inc., 1996, pp.180-181.
9) パラオ憲法制定までの過程についての詳細は、Roger Clark and Sue
Rabbitt Roff, supra, pp.12-13.および、拙稿、「パラオ共和国憲法にみる平和的生存権概念」、大学院論集(日本大学大学院国際関係研究科)第8号、9〜12頁を参照。
10) Stephen Henningham, The Pacific Island
States: Security and Sovereignty in the Post-Cold
War World, London: Macmillan Press Ltd, 1995,
pp.57-58.
11) パラオ共和国憲法の非核条項については、Roger Clark and Sue
Rabbitt Roff, supra, p.16.および拙稿、前掲論文、10~11頁を参照。
12) Ingrid A. Kircher, The Kanaks of New Caledonia,
London: The Minority Rights Group Report no.71,
1986, p.4-5.
13) Ibid., p.5.
14) フランスがニューカレドニア統治を急いだ背景には、その主要な理由としてニュージーランド統治をめぐるイギリスとの競争で敗退したことにあると思われる。すなわち、フランスはバンクス半島を中心にニュージーランドでのプレゼンスを着実に高めていたにもかかわらず、1840年にマオリの首長たちとイギリスとの間でワイタンギ条約が締結され、ニュージーランド統治者の地位をイギリスに奪われた。その結果として当時、南西太平洋に海軍のプレゼンスを拡大していたフランスは、ニューカレドニアを急いで確保する必要に迫られていたものと考えられるわけである(Noboru
Tamai, “Comparative Thoughts on Small State
Politics and Foreign Policies between Palau
and New Caledonia”, paper presened to the
Macmillan Brown Cenre for Pacific Studies
and Department of Political Science, University
of Canterbury, 11 October 2000, p.6.)。
15) Jean-Pierre Doumenge, Du Teritoire a la
Ville: Les Melanesiens et leurs Espaces en
Nouvelle Caledonie, Bordeaux: Centre d’Etudes
de Geographie Tropicale, 1982, p.118-119.
16) Ingrid A. Kircher, supra, p.6.
17) Ibid.
18) Ibid.
19) 一連のカナク抵抗運動の詳細に関しては、Susanna Ounei-Small,
“Kanaky: The ‘Peace’ Signed with Our Blood”,
David Robie (ed.), Tu Galala, Wellington:
Bridgette William, 1992, pp.163-179(注解:本文献タイトルのTu
Galalaはフィジー語。拙訳、主権).
20) 1988年のウヴェアを中心としたカナクの襲撃事件の詳細に関しては、Jean
Guiart, “A Drama of Ambiguity: Ouvea 1988-89”,
The Journal of Pacific History, vol.32 no.1
(1997), pp.85-102が詳しい。
21) Susanna Ounei-Small, supra, p.174.
22) Nic Maclellan, “The Noumea Accord and
Decolonisation in New Caledonia”, The Journal
of Pacific History, vol.34 no.3 (1999), pp.245-252.
23) Islands Business, December 1998, pp.30-31.
24) CIA, Factbook 2001: http://www.odci.gov/cia/publications/factbook/
geos/ps.hml (23/03/02).
25) Noboru Tamai, Supra, p.10.
26) John Armstrong and Howard L. Hills, “The
Negotiations for the Future Political Status
of Micronesia”, The American Journal of International
Law, vol.78 (1984), pp.484-485.
27) Ed Rampell, “Nuclear-Free Isles Under
Siege”, David Robie (ed.), supra, p.139.
28) Ibid., p.137 and 142.
29) Pacific Islands Report, August 24, 2000.
30) 渋谷勝己、「ミクロネシアに残る日本語A−パラオの場合」、言語28巻7号(1999年)、76〜79頁。
31) “The Statement of Republic of Palau”,
remarked by Hersey Kyota, Chairman of Palau
Delegation on the Occasion of the Millennium
Summit of the United Nations, New York: paper
pressed by the United Nations General Headquarters,
September 8, 2000.
32) Les Nouvelles Caledoniennes, July 12,
2000.
33) Pacific Islands Report, March 12, 2002.
34) たとえば、日新製鋼はSLNの株式の10パーセントを保有することでフランス系との関係を維持し、住友金属はバランド社の5パーセントの株式を有することで先住民系との緊密な関係を保っている。さらに太平洋金属、日本冶金工業、日向製錬所などは、それぞれが先住民系とフランス系双方からニッケルを購入しているのである(http://www.mmaj.go.jp/mric-web/current/97-98.htm
(25/09/00) )。
35) Pacific Islands Report, March 27, 2000.