PACIFIC WAY
     ミクロネシア紀行
       旅してみれば−美しのパラオ

           <19>カヤンゲル − 楽園の中の楽園 その1 −
                                            上原伸一(うえはら しんいち)


 今回から、コロール、ロック・アイランズ、バベルダオブ本島を離れて離島の旅に出る。といっても筆者が行ったことがあるのは、カヤンゲル、カープアイランド、ペリリュー、アンガウル迄で、トビ、ソンソル、ヘレンといった南西の離島には未だ行った事が無い。

 離島の旅は、パラオの北の果てカヤンゲルから始めたい。コロールの北方60キロ以上の環礁に浮かぶ4つの島からなり、北から大きい順に並んでいる。自然と結び付いた昔ながらの生活ぶりを残しており、パラオでも筆者が最も気に入っている所である。まさにはずれの島であるが、今迄に10回以上訪問している。尤も、この島を気に入ったのは筆者だけではなく、戦前2度に亘り計約5年間パラオに滞在した土方久功氏がパラオで最も愛したのもカヤンゲルであった。氏は、赤松俊子(後の丸木俊)や中島敦といった人達を連れていって、パラオの中でも最も素晴らしい“のどかさ”を彼らに教えている。

 コロールからスピードボートで順調に行っても2時間前後はかかり、朝早く出発して夕方遅くに戻ることになる。そのため、少なくとも前日から出発の準備をしておかなければならないが、外洋に浮かぶ環礁の為ちょっと天候が荒れると行く事は出来ない。かつて沖縄の与那国島が、海が荒れるとなかなか島に渡れないので“どなん”(渡難、島に渡ることが困難という意味)と呼ばれ、心の美しい人でないと島を訪ねることは出来ないといわれていたが、カヤンゲルもまた“どなん”である。パラオの人でもカヤンゲルを訪ねたことがない人は多く、一緒に行く時は、我々に劣らず期待と興奮に満ちて船に乗り込んで来る。
 
 カヤンゲルに出かける時は、朝7時過ぎにはコロールを出発するのが普通である。コロールを出てバベルダオブ本島の西側をひたすら北へ向かう。本島に沿って走っている間は、本島の山々が風よけになってくれるので楽な船旅である。天気が良い時には、鏡のような水面を気持ち良く進んで行く事が出来る。ガラスマオ沖合のユーカクチャネル付近を通過するときは水面を気をつけて見ていると良い。運が良ければ、水面近くで採餌しているマンタを見かける事が出来る。朝日を受けて輝くマンタの背中はなかなかに美しいものである。

 バベルダオブ本島最北端のアルコロンを過ぎると、島影は後方に見えるだけになり、前方は見渡す限り海になる。カヤンゲルの南西、スピードボートで30〜40分位のところにテールトップリーフという有名なダイビングスポットがある。カヤンゲルに行くには少し遠回りになるが、ダイビング好きの筆者は必ずこのポイントに寄って行く。島影ひとつ見えない海の中に突き出たリーフに寄せる白い波を見ながらボートから海に入るダイビングはまさに豪快そのものである。水中の景観も豪快で、広い棚が続き、その西側は底知れぬドロップオフになっている。ここで時々とんでもない大物に出会う事については、本連載第5回「海へ出よう!−スキューバダイビング2−」でリポートとした通りである。

 アルコロンを通り過ぎた後は、外洋の航海である。天気が良く海が穏やかな時は、テールトップリーフまでは右手にリーフが有るのが良く分かる。しかし、ちょっと天気が悪いと、両側に見えるのは波の壁だけになってしまう。何の目標もないこの海の中をどうして正確に進んで行く事が出来るのか我々にはさっぱり分からない。カヤンゲルの人達は、パラオの中でも抜きんでて航海能力に優れている様である。実際、雨雲に包まれかなりの荒天の中をテールトップリーフ迄行った時には、カヤンゲル出身である我々のボートのオペレーターは、特段迷う事も無く進んで行ったが、相前後してコロールを出発した別のショップのもうひと回り大きなボートは、荒天の為方角が良く分から無くなったらしく、1度我々のボートを追い抜いて行ったが、途中から我々のボートの後ろに付いて来る様になった。

 テールトップリーフを過ぎると、リーフの影も見え無くなり全くの外洋となる。天気が良く、海が穏やかな時でも、小さなスピードボートはかなりのうねりに身を任すことになる。このあたりの海の色は濃い青で、ロックアイランズは勿論、普段良く潜りに行くブルーコーナー付近の海とも違う色合いを見せている。まさに底知れぬ海の深さと、汚れを知らぬ自然を感じさせる海の色の濃さである。

 実際、様々な形で自然の豊かさ、豊饒の海を感じさせられる。殆ど毎回イルカの群れに出迎えられる。群れはかなり大きく、ボートの回りをぐるぐると回るが、通常は警戒心が強く、人間が水の中に入ると遠くへ逃げていってしまう。しかし、中には人間好きなイルカも居る様で、筆者は1度30分以上もイルカに遊んでもらったことがある。周囲を泳いでいたイルカが1度潜り出すと、10秒立つか立たないか位の内に姿が見え無くなってしまう。どこへ行ったのかと思ってシュノーケルをしながら海の中を覗いていると、跳び上がる様にして斜め横の方に現れてくる。イルカだけではなく、1回り大きなユメゴンドウクジラや更に大きなゴンドウクジラに出会った事もある。ゴンドウクジラに出会った時には、ボートを降りて外洋の海をシュノーケルでクジラを求めて泳ぎ続けた。30分近く追ったであろうか、漸く見つけたクジラは、かなり遠くの海中に3つ、4つと大きな影を見せていた。後日この話をパラオの日本人漁師の方に話をしたところ、「よくもそんな無茶なことをしたものだ。あの辺は魚の好漁場であるだけに大きなサメも沢山いる。食われずに済んだだけもうけものだ。」と言われてしまった。成る程、言われてみればその通りで、釣りをしていてカツオが釣れたと思い糸を巻いていると急に軽くなることがある。頭を残してサメに食われてしまったのである。それでも、この次カヤンゲル周辺でイルカやクジラに出会った時、ボートから海に飛び込まないでいられるかどうかは自分でも分からない。

 先程の漁師さんの言葉にも有る様に、この辺はパラオでも有数の好漁場である。操船のうまい海の民は、同時に名漁師でもある。鳥山を見つけると、ボートを回して群れに近づけ、疑似餌を付けた針を海の中に投げ込みトローリングを開始する。竿を使う事も有るが、巻いた糸を海の中へ垂らすだけの事の方が多い。運が良ければ、20〜30分も経たない内に数匹のカツオが釣れる。竿を使っている時は、力はいるが筆者でもそれほど苦労せずに釣り上げる事が出来る。しかし、糸を垂らしているだけの時は、我々日本人の柔な手ではなかなか上げる事が出来ない。軍手をはめていても、やっとこさっとこである。トローリングで釣れるのはカツオだけでは無く、バラクーダ(オニカマス)も良く釣れる。ダイビングをしてボートの上に戻って来たら、ボートオペレーターがバラクーダを釣り上げていた、という事も何回かあった。

 さて、寄り道はこの位にして、目的地のカヤンゲルに向かおう。テールトップリーフからカヤンゲル迄は通常は30〜40分程の船旅だが、たいていどこかで鳥山にぶつかってカツオを追いかけ、1時間位かかってしまうのが普通である。四方濃紺の海の向こうにうっすらとカヤンゲルの島影が浮かんで来ると何とも言えないほっとした気分になる。満潮時だと、ボートは南端の1番小さな島の脇からリーフの中へ入って行けるが、干潮だと、ウラチャネルと呼ばれるリーフの西側にある切れ目から島に向かうことになる。このウラチャネルもダイビングスポットのひとつである。

 通常、ダイビングやフィッシングでカヤンゲルを訪れる時は、南から2つ目の島に上陸する。前述の様に、カヤンゲルは4つの島から成っており、北から大きい順に並んでいる。最北の一番大きな島にのみ人が住んでいる。南端の島は、本当に小さな島で殆ど人が上陸するところが無い。

 南端から2番目の島には美しい砂浜が有り、通常ダイバー達が上陸するのはこの島である。この島は周囲徒歩30分位の小島で、無人島だが、リーフの内海に面して砂浜があり、中央付近の砂浜の奥に赤い屋根の小屋が建っている。数件の小屋と掘っ立て小屋の便所があったが、10年程前パラオを直撃した大型台風“ハリケーンマイク”により小屋の幾つかはつぶれてしまった。小屋はかなりの広さがあり、事前に連絡をしておけば、ここに宿泊をする事も出来る。フィッシングで宿泊をした人に聞いたところ、夕方になると魚は入れ食いで、夕景を眺めながらのバーベキューと星降る空を眺めながらの一晩は最高であった、という事だった。

 日帰りの場合、この小屋の前に上陸して、ここで昼食をとる。それまでに魚が釣れていれば、新鮮な刺し身がおかずに追加される。南洋のカツオは、日本の戻りカツオの様な脂ののりはないが、暑さの中ではむしろさっぱりとしておいしい。バラクーダは、刺し身としては独特の味で人により好き嫌いが出るであろう。こちらは、スープにした方が多くの人に喜ばれるようだ。

 食事のあとは島の散策になる。小屋の脇から島の南端に向かい1本の小道が伸びている。両側を緑に覆われており、コロールとは比べ物にならない陽射しの強さと暑さなので、緑のトンネルの優しさが心地良い。南端まで行くと石がゴロゴロと転がる海岸になっており、外洋側には難破した船の残骸が転がっている。天気が良いと遥か彼方の海の上ににロックアイランズの島々がうっすら浮かんで見えることがある。小屋まで戻って、北へ歩いて行くと砂浜の幅が広くなって行く。干潮だと島の北端から更に北に向かって真っ白な砂浜が伸びている。鳥と流木のかけら以外は何も無いまさに手つかずの自然である。立っているだけで汗が滴り落ちて来る暑さの中で、ただ佇んで砂浜とリーフに囲まれた内海をぼんやり眺めていると、自らが茫洋たる自然の一部に溶け込んで行き、得も言われぬ伸びやかなのどかさを感じる。楽園の中の楽園を感じることができる一瞬で有る。
                
                                    −続く−