PACIFIC WAY


 パラオ国家財政の実態と展望


太平洋諸島地域研究所
主任研究員 小川 和美


はじめに:本研究の動機と目的
 1994年10月に独立したパラオは、その直後に自由連合協定によって1億ドルを越す援助金をアメリカから受け取った。このストックをもとに積極財政を進めたナカムラ大統領時代、パラオの国家財政は「厳しい状況だ」という声と、「問題ない」という声が交錯していた。2001年1月に就任したレメンゲサウ大統領は、「non-payday weekend」(給料のでない週末)をスローガンに、ナカムラ時代とは一転して緊縮財政策を採用、さらに「独立時にアメリカから受け取ったコンパクトマネーはもはやほとんど残っていない」と発表し(1)、国民に理解と協力を求めた。
 こうして過去3年間、レメンゲサウ大統領は財政支出の伸びを極力抑える形での予算編成を行ってきたが、では現実に、パラオ政府にはどの程度の財政的余裕があるのだろうか。
 パラオ国内で財政状況について語られるとき、通常は毎年秋に地元紙を賑わす年度予算法(Annial National Budget Authorization and Appropriation Act)の金額をもとにしている。たとえば過去4年間の政府予算法の額を比較したものが表1だが、これを見ると政府の財政運営方針、すなわちレメンゲサウ大統領が歳出を切りつめようとしていることがわかる。

しかしながらこの政府予算はあくまで各年度の歳出承認額であり、ここからは国庫に留保金(余剰金)がいくら残っているのかは把握できない。またこの予算法では、コンパクトマネー以外の外国からの資金援助については取り扱われていない。すなわち、アメリカの連邦プログラムによってアメリカ各省庁からパラオ各省庁に供与される補助金や、国交樹立後急増している台湾からの資金援助は除外されているのである。さらにいえば、政府公共事業予算の多くは、予算措置された年度内に竣工・支払いとならない場合が多く、これまで毎年巨額の「積み残し」が生じ、それが次年度以降に支出されていた。予算法に含まれないこうした政府支出は、合計すると年数百万ドルにのぼり、年度予算と現実の政府支出額は大きく異なっているのである。

パラオは、他の島嶼国同様、国家経済に占める公的部門の比率が高い。パラオのマクロ経済を分析し、今後の見通しを検討するためには、実質ベースの政府支出額と国庫に残る留保金の状況を把握することは不可欠である。そこで本稿では、決算ベースの統計資料をもとにして、パラオの国家財政全体についての実情を分析する。そして、そこで明らかになった政府財政のパフォーマンスをもとに、国家財政からみた今後のパラオ経済の見通しについて若干の考察を加えることにしたい。

表1 パラオの国家予算(2000〜2004年度)            (単位:百万米ドル)
 年 度 大統領 大統領案 成立予算 前年度比 (一般歳出) (公共事業費) (償還金)
2000年度 ナカムラ    79.00  61.92   15.65  1.43
2001年度暫定 ナカムラ  58.50  58.80 -25.6%  55.65   2.45  0.70
2001年度 レメンゲサウ  58.95  58.95 -25.4%  55.65   2.60  0.70
2002年度 レメンゲサウ  52.84  52.53 -10.9%  51.83   0.00  0.70
2003年度 レメンゲサウ  53.15  53.15  1.2%  51.68   0.00  1.47
2004年度 レメンゲサウ  51.30  55.25  4.0%  51.65   2.50  1.10

出所:2000〜2003年度は各予算法、2004年度は予算法未入手につき大統領府作成文書による。
 
<NOTE>
1.2001年度(2000年10月〜)は選挙年のため、前大統領が暫定予算を組み、新大統領が2月  に本予算を作成した。

2.2004年度の公共事業費は、議会による追加修正に大統領が拒否権を発動したにもかかわら  ず、議会によりオーバーライドされて成立したもの。

3.2001年7月に成立した新予算政策法(RPPL6-11)により、2002年度以降、各年度予算は一般  国内歳入の5%以上を留保して一般留保基金(General Fund Reserve) に充てることが定めら  れた。従って、2002年度以降の本表数字は予定歳出額であり、必ずしも予定歳入額と一致  するものではない。
 
 
1.パラオの会計監査報告と本稿の集計方法
 パラオの決算ベースの統計は、会計監査院(Public Auditor Office)が毎年報告書を発行している。会計監査院は政府独立機関で、大手国際監査会社であるデロイト・トウシュ・トーマツ社(Deloitte Touche Tohmatsu)に実務を委託して、公的資金の監査を行っている。同監査報告では、政府本体のみならず、独立採算制が採られている国営企業、公社、社会保障基金なども対象としている。また各会計間の資金移動も複雑に行われており、さらには表によっては発生ベースであったり実質ベースであったりする(未収金・未払金勘定を含んだり含まなかったりする)。このため政府本体の財務状況を一見してすべて把握することは難しい。またパラオには、国内に専門的知識を有する経済学者や経済記者がいないため、監査報告をもとにしてシンクタンクによるレポートが発表されたり、これを分析した記事が掲載されることはなかった(2)
 そこで筆者は、同報告で公表された数字を元にし、政府本体が保有する資金、得た資金、そして支出した資金を独自に計算しなおした。すなわち独立採算制の公社や基金の数字をすべて切り離して、政府本体からこれらへの支出を「補助金・拠出金」としてひとくくりにし、また政府本体内各会計間の資金移動についてはすべて数字を消去した。そして政府本体が、政府本体外からどれだけの収入を得、支出を行い、留保金(余剰金)がいくら残っているのかについて再集計を行った。また数字はすべて実質ベースに統一し、短期的な未払金(買掛金等)や未収金については支出時(回収時)に計上する形とした。これは、パラオ財政は少なくとも2002年度末までは比較的健全であり、大型借款と特別会計勘定を除いては巨額の未払金は持っていなかったため、政府資産を検討する上で無視してもよいと考えたことと、単年度の歳出額を正確に把握するためにとったものである。
 なお本稿では、コンパクトマネー中の信託基金分は、取り崩した分のみをその年の「歳入」として計上し、基金本体ついては統計数字及び検討対象から除外している。信託基金の残高推移については、参考資料2にまとめたので、そちらを参照願いたい。

2.パラオの財政状況(独立から2002年度まで)
 さて、上記方針にしたがって独立以来のパラオ政府財政状況を再集計したものが表2(−作成中−)である。以下、これをもとにパラオ財政の動向を検討する。議論を整理するため、ナカムラ大統領時代(1995年〜2000年度)とレメンゲサウ大統領時代(2001年度〜)に分けて、特徴と推移を概観してみたい。なおここで言及するのは会計監査報告が発表されている2002年度まで、つまり2002年9月末までの状況である。それ以降については後述する。
 
(1)歳出部門
 まず歳出の動きを見ると、「一般歳出」(政府運営予算全般)は、多少の変動はありこそすれ、ナカムラ、レメンゲサウ時代を通じて、際だった大きな変化はない。レメンゲサウ大統領はこの削減を目指しており、過去2年間各5%ずつ減らしてはいる
ものの、ナカムラ最終年の2000年度に膨らんだ分を元に戻したという程度のレベルに留まっている。これは当然ながら表1における一般歳出(表1では「補助金・拠出金」も「一般歳出」に含んでいるが)の2000年度から2002年度の数字の動きとも対応している。
 一方、「補助金・拠出金」と「公共事業費(CIP)」は、過去8年間不安定に上下している。ナカムラ時代の「補助金・拠出金」の大幅変動については、年金基金への大幅拠出や、開発銀行、電力公社、通信公社の立て直しのため、特定年度に大規模な資金投入を行ったことが原因である。大規模な資金投入は、1999年度に資金ショートにより業務停止という事態にまで至ったパラオ開発銀行に300万ドル、1999年と2000年度に公務員年金基金にあわせて780万ドルを投入したのが最後で、その後は目立った資金投入はなされていない。そしてレメンゲサウ大統領時代になると、2001年と2002年度に各約300万ドルずつ補助金支出を削減してきている。
 「公共事業費」については、まずナカムラ時代には1997年度と2000年度に急増している。この原因は、1997年度はアジア経済危機波及を回避するために公共事業が大量に実施されたこと、そして2000年度は1996年度同様選挙年の大盤振る舞いによるものと思われる。レメンゲサウ時代になると、上述のように政府は緊縮財政策を打ち出し、2001年度と2002年度には新規公共事業予算はゼロとされていた(表1参照)。ところが実際の支出は逆に増加している。このカラクリは、@前年度以前に承認され未執行だった継続案件が実施されたこと、A予算法に計上されないアメリカ援助や台湾援助(アンタイドでの資金供与)などによる公共事業があるからである(3)
 
 

 このうち@に関連し、コンパクト資金による公共事業の継続案件予算額(予算措置済み未執行予算額)の推移をまとめたものが図1である。これをみると、ナカムラ最終年度の大盤振る舞いで、レメンゲサウ初年度の2001年度初め(2000年度末)で2200万ドル分も未執行分が残っていたものが、2002年度末で300万ドル分にまで減少しており、この間に次々と執行(=支出)されていったことがわかる。
 またAの中の台湾による援助だが、パラオは1999年12月に台湾と国交を結び、台湾はその直後から経済援助を大幅に増加させた。これが2000年度以降の「その他の国による援助」による歳入と、歳出サイドの「公共事業費」の増加としてあらわれているわけである。
 償還金については、2000年度までは1980年代後半にサリー大統領のスキャンダルとして騒がれたアイメリク州のイプセコ発電所建設費の返済に充てられた。そしてこれが完済された後の2001年度からは、2000年度に始まった首都移転第二期工事費用融資(台湾の国民党系銀行)2000万ドルの返済積立金となっている。ちなみにこの融資は、年利3.5%の20年ローンで、2020年までに元利計約2900万ドル(利子分約900万ドル)を返済することになっており、2003年度に約90万ドル、以下毎年約180万ドルが返済されることになる。
 さて、以上の結果政府歳出総額に目を転じてみると、レメンゲサウ大統領就任後の2001年度と2002年度では、政府歳出総額は約8000万ドルの高止まりで推移している。リカレントコストで引き締めた分と、補助金投入を減額した分がすべて公共事業支出の増加で相殺されている形である。パラオではレメンゲサウ大統領就任以来、9.11テロやアフガン戦争が発生して基幹産業である観光業が伸び悩み、国内経済の悪化が懸念されてきた。しかしこの時期にパラオに居住していた者の実感として、たしかに「活況」とまでは言えないが、決して「不況」という感じはしなかった。それは、「緊縮財政」といいながらも、じつは依然として公共事業が活発に行われ、政府の総支出が全体として高止まりしていたというのが大きな理由であると思われる。
 ちなみにパラオのGDPは、公表されている数字によると2002年で1億951万ドルである(4)。いささか乱暴な対比であるが、表3ではGDPと政府総支出の推移を比べてみた。この比率は数字的にはほとんど信頼性はないが、少なくとも政府部門がいかにパラオ経済にとって重要かはわかるであろう。
 
(2)歳入部門
 さて、表2に戻り、今度は歳入面を見てみよう。独立初年度の1995年度に巨額の資金を得たパラオ政府は、アメリカの株高に支えられて2000年度まではその運用によって莫大な利益を得てきた。年平均にすると950万ドルにもなる。これがナカムラ時代の積極財政を、或いは当時の楽観的見通しを支えたのである。
 また表2の「税収・手数料収入」から手数料収入分を差し引いたものを図2に掲げてみたが、税収面でも2000年度までほぼ順調に上昇していることがわかる。逆説的になるが、この点からも「ナカムラ時代は良かった」と評価されるこの時期のパラオの景気の良さが伺える。

表3 パラオのGDPと財政支出の対比            (単位:千米ドル)
    1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年
@ GDP  95,237 108,203 113,214 117,320 113,485 117,226 120,834 109,505
A うち公的部門  23,203  26,813  29,401  28,462  29,374  30,255  30,860  31,900
B 財政支出額  72,140  78,125  80,220  68,459  75,977  86,030  80,256  80,104
  (参考)B/@  75.7%  72.2%  70.9%  58.4%  66.9%  73.4%  66.4%  73.2%

出所:@AはRepublic of Palau Economic Report, April 2003 - Joint Bank of Hawaii and East-West Center Publication (http://166.122.164.43/jcc/reports/palau_2003. pdf)、Bは会計監査報告を元に小川が集計したもの。


<NOTE>
1.GDP出所によると原典は、UNDP Public Sector Development Project, and Budget and Planningとなって  いるが、これは、Budget and Planning にUNDPから派遣されていた統計専門家が作成したものである。
2.@、Aは暦年ベース、Bは年度ベースであることに留意。
 
 
(3)収支バランスと留保金(繰越金)
 しかしそうは言っても、1998年度を除けば単年度収支は常に赤字だった(2000年度は借款があるのでその分を差し引けば赤字である)。そしてその穴埋めとして、コンパクト一括引渡金を財政投入してきたわけである。図3にその推移をまとめてみた。これをみると、2000年度までじわじわと「残額」が減り続けていることがわかる。
 ただ他方で1999年度までは「歳出投入額」が徐々に減り続けており、同年度には一時的ではあるが「残額」も増加しいている。ナカムラ大統領は在職当時は一貫して政府財政の将来について強気で、2000年7月に発表した長期財政展望では2009年にコンパクト援助が打ち切られるまでには税収や独自財源で収支を拮抗させることができるとしていたが、税収の順調な増加と留保金投入額の減少(そして信託基金勘定の目標以上の伸び)が、こうした財政見通しとなったひとつの大きな要因であろう。
 さて、こうした中でレメンゲサウ大統領が就任した。「ナカムラ路線継承」を謳っていたレメンゲサウ大統領は、しかしながら一転して緊縮政策を打ち出したわけだが、その理由は政策判断による転換というよりも、むしろ一括引渡金とその運用益が底をついていたという物理的要因が大きかったのではないかと思われる。
 そういうと不審に思う方もいるかもしれない。すなわち表2を見ると2000年度末段階での政府繰越金(留保金)は7246万ドルもあるのである。これだけを見ると、まだまだ政策選択として積極財政を継続し、民間部門の成長を図るという余地もあっ たようにも思える。
 
 

 ところがじつはその内訳を見てみると、繰越金の多くが使途決定済みの資金、あるいは投資原資であり、新規に予算措置できる資金はごく限られていたのである。その事実をわかりやすくまとめたのが図4である。ここでは各年度末の政府繰越金を、「使途確定・限定分」、「新規繰入可能分(公共事業用)」、「新規繰入可能分(一般歳出用)」に分類して集計している。これを見ると、2000年度末段階において新規に予算措置することのできる留保金は、一般・公共事業あわせてもわずか1900万ドルにすぎなかったことがわかる。
 おまけにもう一つ大きな痛手がレメンゲサウ大統領を襲った。アメリカの株価暴落である。この点についてはこれまでパラオ国内ではまったくといっていいほど報じられたことはなかったが、レメンゲサウ就任年の2001年度に、それまで毎年1000万ドル近い利益あげていた投資利益が、一転して700万ドル近い損失を計上(表2参照)したのである。この年の予算では860万ドルの運用益を当て込んでいたから、この予期せぬ途方もない損失は、パラオの財源枯渇を一気に進行させる結果となった。
 こうして2001年度末段階では、公共事業予算に限れば、留保残金よりも予算措置済み未執行分の方が200万ドル以上多いという異常事態になったのである。
 そしてさらにこうした事態が進行中に編成された2002年度予算では、ささやかな投資利益(300万ドル)を歳入源に当て込んでいたのだが、この年も投資損を出してしまい、ついには補正予算を組んで虎の子の信託基金を取り崩すハメになった(5)。余談だが、信託基金取崩しの理由について、当時議会と対立していた大統領サイドは、さかんに「議会が勝手に酒タバコ減税を行ったため税収不足になったからだ」としたキャンペーンを打っていた。しかしその後財務当局者に、「ホントのところは投資損が問題だったのではないか」と尋ねると、苦笑いしつつ「その通り」と答えたものであった。
 




3.2003年度以降の財政状況と見通し
 以上は2002年度までの状況である。現在(2004年1月)は2003年度予算の執行が終了し2004年度に入っている。2003年度の監査報告は未発表のため(例年通りだとすると2004年4〜6月頃に発表される)、2003年度以降の正確な財政状況は不明である。そこで、2002年度までの動きと、2003年度及び2004年度の予算法から2003年度収支を推計してみた。その結果が表4である。
 この試算によると、次年度(2004年度)への繰越金(政府留保金)は約860万ドル減少して980万ドル程度になることになる。表4の信憑性はさておくとしても、信託基金を除く繰越金は2002年度末現在で2000万ドルを切っており、過去4年間、毎年1500〜3500万ドルの単年度赤字を計上している(2000年度は借款分を差し引く)以上、ここ数年内に政府本体会計の留保金が底をつくのはほぼ間違いないとみてよいだろう。
 すでに留保金が急減している以上、今後はそこから発生する投資利益も微々たるものとなろう。こうした状況から見て、公債発行等による資金調達がなされるか、台湾あたりから巨額な援助金が入ってこない限り、コンパクトマネー以外のアメリカ援助や信託基金からの投入分を入れても、実質政府財政支出額はせいぜい6000万ドル程度に留まると思われる。すなわち、大雑把に言えば、政府支出は約2000万ドル減少(これまでの4分の3に縮小)し、上述の通り公的部門に経済活動の多くを頼るパラオ経済は大きな打撃を受ける可能性がある。
 さらにいえば、まだ表面化してはいないものの、台湾借款以外にもコンパクトマネーのエネルギー援助分(6)を一括前払いで受け取った代償として、2005年度末までに300万ドルをアメリカに支払う約束があり(コンパクト付帯協定による)これはまだまったく支払われていない。恐らく2005年度予算(=レメンゲサウ大統領が暫定予算を組み、新大統領が主に執行する)に計上されることとなろうが、乏しい財源の中での巨額の支払いは、2005年度の予算編成をさらに苦しくすることになろう。
 2003年11月頃から、パラオでは2003年度の未払金(買掛金)が支払い不能に陥っていることが問題になっている。財務省発表として新聞が伝えるところによると(7)、国内歳入が予定より約370万ドル少なく(8)、総額で576万ドルの未払金を抱えているという。他方未収金勘定も346万ドルあるとされているが、この中には、2003年度予算で歳入源としてあてこまれながら、結局事業者からの支払いが行われなかった「バーチャルパチンコ事業(9)ライセンス収入」150万ドルも含まれていると思われる。いずれにせよ資金メドがたっていない負債を少なくとも200万ドル以上抱えているわけである。

表4 2003年度政府収支予想 

  (単位:百万米ドル)
    予想額 根  拠
歳入 コンパクト援助 13.93 2003年度予算法(RPPL6-26)
  その他のアメリカ援助 7.60 過去5年の平均

 
その他の国による援助
 
未計上
 
変動多く推計困難。財政援助ではないため収支バランス予想には影響なし。

 
国内収入(投資利益込)
 
28.19
 
財務省予算計画局報告(監査前集計)及び財務省推計
  信託基金取り崩し 5.00 2003年度予算法(RPPL6-26)
  単年度歳入計 55.87 (アメリカ以外からの新規経済援助分を除く)
       
歳出 一般歳出(補助金・拠出金込) 53.15 2003年度予算法(RPPL6-26)

 
公共事業費(CIP)
 
9.87
 
新規CIP関連援助をゼロと仮定し、過去2年間の実績/措置済比率を平均(46%)。
  償還金 1.47 2003年度予算法(RPPL6-26)

 
単年度歳出計
 
64.49
 
(アメリカ以外からの新規経済援助による歳出分を除く)
       
  単年度収支 -8.62  
       
  前年度繰越金 18.46  
       

 
次年度繰越金
 
9.84
 
(アメリカ以外からの新規経済援助の次年度繰越額を除く)

4.まとめ:考えられうる今後の対策・シナリオ
 以上分析したことを、レメンゲサウ大統領就任以降にしぼって総括し、考えられる今後のシナリオについて若干の考察を加えることで本稿のまとめとしたい。
 まずレメンゲサウ大統領就任以降の政府財政状況は、以下の通りである。
@留保金(余剰金)減少の中で、レメンゲサウ大統領は財政引き締めを行い、予算的には5000万ドル台前半にまで削減した。
Bしかし過去に措置され未実施だった公共事業が継続的に実施されてきたため、実質歳出ベースではこれまでと同水準を維持しており、2002年度までは「緊縮財政」の実体経済への影響はほとんどなかった。
C他方この間に新規財源の確保はほとんど進まなかった。
D積み残し公共事業の執行が一段落したことで、2003年度以降は大幅な歳出減となる(歳出総額が年6000〜7000万ドル程度になる)。これはパラオ経済全体の縮小に直結する。
E他方、依然として単年度収支は赤字であり、「留保金繰り越し型財政」から「未払い負債繰り越し型財政」への転換が始まっている。
 以上のような状況の中で、レメンゲサウ大統領はその対策として、a歳出の切りつめ、b税制改革による税収拡大、c外国投資法改正にはじまる新規大規模投資の誘致(民間部門の活性化)、d海外援助の拡大、を志向してきた。
 aについては議会の抵抗がありながらも一定の成果は上がったが、現状政府規模を維持するのであればギリギリのところまできていると思われる。これ以上の切りつめは、公務員削減等の大なたをふるう以外は難しいが、2004年が選挙年であることからみて当面その可能性は低いだろう。
 bとcは議会が動かず制度面での改革はほとんど進行していない。就任時に「最優先」と意気込んで議会に上程した「税制改革法案」と「外国投資法改正法案」は店ざらしのままどうやら任期を終えてしまいそうな気配である。議会が主導し2003年11月に立法化がなった「ガラスマオ自由貿易地域法」も、今のところ投資拡大の起爆剤としての可能性は低い。港湾施設がなく、道路もコンパクト道路完成が早くて2005年後半になるとみられているからだ。税制面では先頃酒・タバコ税等を値上げしたが、政府試算ではせいぜい20万ドル程度の税収増にすぎないとみている(10)。しかもそもそもこれは2002年度予算法の中で議会が大統領の反対を押し切って減税したものを元に戻したにすぎないともいえ、いずれにせよ小手先の改革にすぎない。
 またdについても、現在の国際情勢とパラオの経済水準(統計数字上ではパラオはすでに「中進国」である)から考えて多くは望めないだろう。2003年12月にパラオはようやくアジア開発銀行加盟を果たしたが、低利子融資を受けるにはパラオのGDPは高すぎ、大統領は加盟の目的を「技術援助を得ることにある」と説明している。
 こうした状況をふまえて、最後に想定しうる今後のシナリオをまとめてみよう。
A.余剰金枯渇以前に何らかの新規財源(たとえば失敗した「バーチャルパチンコ」のような)を得、現状経済レベルを維持しつつ民間部門の発展を待つ
B.余剰金枯渇に対し、公務員削減を含め歳出規模を大幅縮小し収支均衡を図る。国民経済は打撃を受けるが、民間部門の発展まで堪え忍ぶ
C.余剰金枯渇に対し、借款、国債発行、債務繰り延べ、徴税強化、新規無償援助確保、信託基金取り崩しなどで当面歳出規模を維持。政府財政はますます悪化するが、民間部門の発展まで堪え忍ぶ
D.余剰金は枯渇するも、借款、国債発行、債務繰り延べ、新規無償援助確保、信託基金取り崩しなどで歳出規模をさらに拡大。政府会計は急速に悪化するが、国民経済も活性化し、それをテコに民間部門の発展を目指す賭けにでる
 レメンゲサウ大統領は就任時にすでにDの路線は放棄しており、Aについても結局この3年間でこれといった成果・見込みを得られなかった。そして現実的選択として「BとCの中間ややB寄り」を志向している。しかし2004年は選挙年にあたるため、痛みの伴うドラスティックな構造改革は絶望的であり、当面はずるずると「BとCのC寄り」で推移するのではなかろうか。
 「今後パラオがどうなるか」は、大統領選挙などの国内情勢、国際情勢、突発的事件などが複雑に絡み合うので予測することはできない。しかし、パラオがこれまで通りの経済構造の中で、太平洋島嶼国トップの国民所得を維持するのには限界が来ていることだけはたしかであろう。
 
 
付記:本稿は2003年11月8日におこなわれた「太平洋諸島地域研究所:第一回研究大会」において発表した内容をもとに、その後の情勢等をふまえながら執筆したものです。本稿の執筆にあたっては、パラオ会計監査院のNino Tewid 氏、在パラオ日本大使館の三田貴専門調査員に多くの情報提供をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
(2004年1月8日脱稿)
<参考資料1>自由連合協定とコンパクトマネー
 
 パラオはアメリカとの自由連合協定(通称「コンパクト」)によって、アメリカから様々な経済援助を受けている。これは独立時(1994年10月1日)から15年間に及び、2009年に終了することとなっている。しばしばその代表格として「一般財政援助」の金額が語られるが、これ以外にもコンパクトでは使途や目的に応じて細かく分けられた形で援助額が規定されている。そしてこの中で、金額が明示されておりかつパラオ政府に直接資金供与されるものを、通常「コンパクトマネー」という。
 
 コンパクトの中には、協定の中で定められ、金額も別途交渉で合意されているものの、アメリカの予算管理下で行われているためパラオ側に資金引き渡しのないバベルダオブ島周回道路(通称「コンパクト道路」)の建設事業や、明示的に金額が示されていない援助、たとえば技術協力やアメリカ連邦プログラムの適用などもある。またコンパクトマネーについても、一部では協定で示された供与額がインフレ率によって補正されることになっている。このため、コンパクトによる正確な援助総額を、援助終了以前に算出することは不可能である。ときおり「15年間の援助総額は4億4200万ドル」などという記述がされることもあるが、必ずしも正確ではない。
 
 コンパクトマネーは、パラオの予算法上では「○○の支出にコンパクトの△△項による資金から☆☆ドル」というような形で計上されている。また会計監査報告では、政府本体会計は、@一般会計(General)、A特別会計(Special Revenue)、B償還金会計(Debt Service)、C公共事業会計(Capital Projects)の4つに分けられているが、コンパクトマネーは財政援助分(§211(a))が@に、社会基盤整備資金援助分(§212(b))がBの中に含まれ、上記及び信託基金援助分(§211(f))を除く分はAに含まれている。
 
 コンパクトマネーの支給は、FSM、RMI、パラオともに15年間を期限としていた。2001年に15年が経過したFSMとRMIは、援助条項に関する改定交渉をアメリカと行い、「改定コンパクト」(「第二次コンパクト」という表現もときおりなされる)を締結して、今後もアメリカの財政援助を受けることがほぼ確定した(FSM、RMI側の批准待ち)。「2009年以降分」としてすでに信託基金用資金を受け取っているパラオと他の2国とでは若干状況が異なるが、少なくともパラオ政府は延長交渉は当然行われるものと考えており、パラオ政府筋によるとアメリカも交渉のテーブルに着くことには原則合意しているとのことである。
 
 コンパクト第2章で定められている援助の内容は次ページの通りである。
 
コンパクトによるアメリカの対パラオ援助の内容(協定第2章仮訳)
 
第1条 無償援助
§211(a)【財政援助】最初の4年間1200万ドル、次の6年間700万ドル、最後の5年間600万ドルが供与される。加えて5年度目からは信託基金から500万ドルまで使用できる。

§211(b)【エネルギー援助】エネルギー関連分野用として最初の14年間年額200万ドルが供与される。
       <注>その後の付帯協定により、初年度に総額2800万ドルが一括して供与された。

§211(c)【通信援助】通信関連分野用に、15年間年額15万ドルが供与される。またこれとは別に初年度に150万ドルが供与される。

§211(d)【目的限定援助】(1)海域警備と調査、(2)医療保健、(3)高等教育奨学金、を目的として、15年間年額63万1000ドルが供与される。

§211(e)【海洋関連追加援助】§211(d)(1)の活動のために、66万6800ドルが供与される。

§211(f)【信託基金援助】初年度に6600万ドル、3年度目に400万ドルが拠出される。

§212(a)【道路建設】アメリカは別途合意による道路建設を5年以内に完了する。

§212(b)【社会基盤整備資金援助】社会基盤整備用資金(capital account)として、初年度に3600万ドルが供与される。

§213 【軍事影響対策資金援助】第3部第2章(防衛施設と使用権)に鑑み、軍事活動の影響対策費として初年度に550万ドルが供与される。

§214 【信託統治資金の移管】信託統治政府が承認済みの資金は、当初目的に従って使用されることを前提に、アメリカ政府からパラオ政府に支払われる。

§215 【物価上昇補正】§211(a)、§211(b)、§211(c)、  §212(b) の援助額は、アメリカの物価上昇率の3分の2と、7%の小さい方の割合で補正される。
  

第2条 プログラム援助
§221(a)【援助プログラムの継続】信託統治下で行われていた(1)気象サービス、(2)郵便サービス、(3)連邦民間航空運営サービス、(4)民間航空通信サービス、のプログラム援助は継続される。

§221(b)【医療・保健分野への援助】(1)年額200万ドルを§232による別途合意に従い、(2)教育関連に初年度430万ドル、2年度目290万ドル、3年度目150万ドルが供与される。
       <注>条文を見る限り(1)の「200万ドル」は16年目以降も継続されると思われる。

§221(c)【エネルギー分野での支援継続】

§221(d)【調査権】アメリカは調査権を持つ。

§222 【技術援助優先権】パラオはアメリカ政府各省庁に技術援助を要請でき、アメリカは優先的にこれに応える。

§223 【教育援助の移行】発効日に教育援助を受けている者は、4年を限度に継続される。

§224 【追加無償援助】両国は随時、別途無償援助の合意を締結できる。


(1)2001年4月13日に第二回定例議会冒頭で発表した2001年施政方針演説より。


(2)パラオ政府は、1998年以降「年次統計」を発表しており、その中に会計監査報告を出所とする各年度の政府支出統計が掲載されているが、余剰金(留保金)残額やコンパクトマネー以外の海外援助額については記載されていない。また毎年の予算法案提出時に政府は付属文書として財務状況報告書を議会に提出しているが、統計処理方法が異なるため「年次統計」数字と一致しない。外部による経済・財政分析としては、ハワイ銀行が数年に一度Economic Report をとりまとめて発表しているが、その中の「Public Revenue/Spending」も範囲が不明確で、かつ余剰金(留保金)についての言及はされていない。このほかにも筆者はパラオ政府が随時まとめた資料やIMFによる統計資料を入手したが、統計処理方法がまちまちで数字が一致しておらず、独立後の財務状況全般を俯瞰できるものはなかった。

(3)ただしバベルダオブ島周回道路建設費用は、パラオ政府を経由せずアメリカ政府が直接支出しているため、表2には含まれていないことに留意。

(4)Bank of Hawaii and East-West Center, Republic of Palau Economic Report, April 2003.

(5)信託基金の取り崩しは、協定上、500万ドルが単年度歳出の上限として設定されている。この年500万ドルを使用した政府は、その後も毎年500万ドルを予算に組み込んでいる。

(6)コンパクト§211(b)によるもの。コンパクトによる援助内容の詳細は参考資料1を参照願いたい。

(7)Palau Horizon, 2003.12.5-8.

(8)この原因を大統領は「SARSやイラク戦争などの外的要因による景気後退」(Palau Horizon, 2003.11.11-13)とし、政府歳出規模の縮小には言及していないが、筆者は後者の要因も大きいのではないかと考えている。

(9)バーチャルパチンコとは、インターネット上に本物さながらのパチンコサイトを開設して、カード決済によるギャンブル事業を行うとするもの。ナカムラ政権時代に特別法が制定され、日本の業者と地元資本が合弁会社を設立して契約が行われた。当初説明では年間250万ドルのライセンス量と純益の4%がパラオ政府に支払われることになっており、年間700万ドル程度の政府収入をもたらすと宣伝されていた。

(10)議会サイドはこれによる税収増を160万ドルと試算しているが、政府は「非現実的」と批判している。

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