はじめに
私は、2004年4月から2年間の契約でJICA専門家としてソロモン諸島の国家計画省で働いています。仕事は、ソロモン諸島の国家計画や援助調整などへの支援です。今日は現地政府に働く中で感じたことや知ったことなどを踏まえつつ、ソロモン諸島の現状について報告します。
ソロモン諸島では、2000年の首相軟禁事件をピークとした紛争、いわゆる「エスニック・テンション」(Ethnic Tension)によって国家崩壊の危機に瀕しましたが、2003年7月にRAMSI(Regional Assistance Mission for Solomon Islands:地域平和維持ミッション)が派遣されて状況が一気に改善され、本格的な復興過程に入りました。
その後ソロモン諸島はどうなっているか、というのが今日の私の発表テーマです。
結論から言うと、まず表面的には順調に復興が進んでいます。詳しくみれば様々な問題が山積みとなっていて、どこかの段階で崩れる可能性はまだ残っているとは思いますが、それでもイラクやアフガニスタンと違い、抵抗運動やテロが起きることもなく、住民たちもおしなべて前向きな気持ちでいると感じられ、これまでのところは、まずは順調に復興が進んでいるといっていい。
1.ソロモン諸島の特徴
さて本題に入る前に、ソロモン諸島がどんなところか、特に今日の話の前提となる特徴だけ、ごく簡単に申し上げます。
まずソロモン諸島は、おとなりのパプア・ニューギニアと同じように、統一国家を形成したことも同族意識を持ったこともない人たちが、たまたま地理的に近いからという理由で白人にひとまとめにされて、それを単位として独立した国です。したがって、国民、とくに田舎の人たちは、自分の一族や村、せいぜい島が自分たちの世界であり、「私はソロモン諸島人である」というアイデンティティをあまり持っていません。多くの住民にとって「ソロモン諸島」という国は、普段意識することのない、自分の生活にはほとんど関係のない存在なのです。
こうした村落部の住民は総人口のおよそ85%を占めています。大洋州の国々はおしなべて都市への人口集中が進んでいて、たとえばパラオでは人口の7割以上が町に住んでいますが、ソロモン諸島では人口の大半が今でも田舎に、そして貨幣経済に染まらずに暮らしています。ウェスタン州のある村における調査によると、2001年の一世帯の年間平均支出額は1,476ソロモンドル、当時の為替レートで3万3000円ほど、今のレートですと2万円強でした(注:田中求「ソロモン諸島における商業伐採の導入と開発観の形成」より)。つまり彼らは、日常生活にはほとんどお金が必要ない暮らしをしているわけです。したがって、紛争で国家機能が崩壊したとか、経済に大打撃を受けたとか言っても、それによってみなが飢餓線上に立たされる状況にはなりませんでした。こうした「本源的豊かさ」とでもいうべき現実が、この国にはあります。
ただ反面、こうした状況はすなわち、基本インフラがほとんど整備されていないということでもあると強調しておかなければなりません。例えば村へ行こうと思うと、週に1、2回出ている船に乗って、そこから誰かのモーターボートに乗せてもらって、モーターボートもない所が多いのでその場合はカヌーに乗せてもらって、手こぎで行かなければならない。首都近郊を除けば舗装道路はほとんどありませんし、電気もない、通信手段もないところが少なくありません。通信手段がないので、不確実な噂が流れやすくもあり、それが紛争の際には、いろいろ悪い方に作用したということもありました。
さらに、マライタという島は、人口が多いわりにはまったく開発が進んでいない。紛争の基本構図はどんどん移住してくるマライタ人とそれに反発した地元ガダルカナル人の抗争だったわけですが、マライタの未開発状態という現状が移住の背景にあるわけです。
そして最後に、ソロモン諸島では独立以来、政権は常に不安定であるということも指摘しておきたい。ソロモン諸島は議院内閣制で国会議員は50人ですが、政党が未成熟で政権基盤は常に脆弱です。与党サイドで閣僚ポストを得られなかった議員が野党に寝返って政権をひっくり返すというのは日常茶飯で、この国の政治リーダーは常に保身のために汲汲としなければなりません。したがって「良い政策」よりも「与党議員の懐柔」を優先せざるを得ず、4年間の任期を見据えて強いリーダーシップをソロモン人政治指導者が自ら発揮することは非常に難しい。ちなみに来年3月頃、4年に1度の総選挙が行われる予定ですが、現職のケマケザ首相がそこまで政権を維持すると、これは建国以来初めて4年任期を全うする首相になります。
2.紛争とRAMSIの展開
さて、紛争の発端ですが、先にも述べたようにマライタ人たちの進出に強い危機感を抱いたガダルカナル島の人たちが、マライタ人の排斥運動を始めたことにあります。これが過激化して焼き討ちや人殺しも起きたわけですが、身の危険を感じたマライタ人は雪崩をうってガダルカナルから逃げだしました。これが第一段階です。続いてマライタ人の反攻があり、これらの過程で政府がほとんど機能しない状態になってしまいました。2000年から2002年頃にかけての話です。
これを何とかしなくちゃいけないと、いろいろな枠組みを作ったり協定を結んだり和解式を行ったりしてみたのですが、結局どれもうまくいかず、最終的に2003年にオーストラリアが「もう放っておけない。俺たちが直接乗り出す」と出てきたのがRAMSIの結成・派遣でした。そして2003年7月に大規模な軍隊と警察がやってきて、一気に力で紛争を押さえ込んだというのが解決の実際でした。RAMSIは周辺諸国の共同ミッションということになっていますが、実際はオーストラリアが牛耳っており、ソロモン諸島内ではRAMSIイコールオーストラリアというイメージが濃厚です。
さて、オーストラリアを中心にした軍隊と警察が大量に展開したことで、それまで荒れていたホニアラ市内とガダルカナル島の治安は劇的に好転しました。そして崩壊した国家機能を回復させるべく、治安維持部隊と同時に行政アドバイザーも大量に派遣されました。オーストラリアが特に重視したのは、財政再建を核としたガバナンスの強化です。彼らは名目上はアドバイザーですが、私がこの1年間見ている限りでは、実態はアドバイザーというよりも実務の主導的役割を担っている感じがします。
3.復興の現状
RAMSI展開と軌を一にして、2003年秋に国家復興計画、通称ヌーデップ(NERRDP:National Economic Recovery, Reform and Development Plan 2003-2006)という復興計画が発表され、これに基づき現在ソロモン諸島は復興事業が進んでいます。重点を置いているのは、@法の秩序と回復、A民主主義、人権擁護とガバナンスの強化、B財政安定化と公共セクター改革、C生産部門活性化と社会基盤整備、D社会サービスの回復と開発、の5つの分野をKSA(Key Strategy Area)として掲げています。そこで、これらの課題に現在どこまで取り組みが進んでいるか、ひとつずつみていくことにします。
(1)法と秩序の回復
まずいちばんに掲げられている「法と秩序の回復」、これはとりあえず順調に進んでいます。RAMSIによる法と秩序の回復は、ソロモン諸島ではほぼ皆が歓迎しています。私の赴任はRAMSI展開から8ヶ月ほどたってから、住民たちも職場の仲間も誰一人、少なくとも治安面での貢献について、RAMSIを批判する人はいませんでした。
2004年10月にRAMSIの車両に対する初めての発砲事件があり、12月には警官が夜間パトロール中に射殺される事件が起きたんですが、その時も犯人を支持する声はありませんでした。この射殺事件があった翌日には、100人ほどの兵隊がオーストラリアから急遽戻ってきて、その日から警察官は重武装の兵士の護衛をつけてパトロールをはじめ、また町の要所には迷彩服を着てマシンガン持った兵士が警戒に当たるなどのパフォーマンスのおかげで、ここからたがが弛んで再び荒れるということにはなりませんでした。そして結局、二つの事件は同じ人物の犯行として犯人が逮捕され、事件は解決しました。
もうひとつ印象的だったのは、2005年の初めからあったハロルド・ケケというガダルカナル側武装勢力リーダーの裁判で、いくつか政治混乱を招きかねない証言や事実が明るみに出たのですが、案に相違してほとんど何も起きなかった。その後のマライタ側の武装集団指導者のひとりジミー・ラスタの裁判でも、「武器放棄の約束を守らなかったのは、ケマケザ首相が指示したからだ」なんていう証言が出て、これはかなり深刻な政治問題になるかもしれないと思ったら、全然なりませんでした。こういう問題が何となくウヤムヤなままになっているのがこの国の面白いところです。裁判に便乗して無法者がまた一暴れするという事態に発展しなかったところに、RAMSIの存在感の大きさを感じます。
ところで5月に「北マライタの武装覆面集団が首相退陣を要求」という記事が新聞にでかでかと載りました。ちょうどPIF(Pacific Islands Forum:太平洋諸島フォーラム)からRAMSIの状況視察団が来た、まさにその日の新聞の1面に出て、少々政治的思惑も感じられたんですが、彼らは、「今の政権はなっちょらんから首相と裏切り者大臣たちは即刻退陣しろ、さもなくば目にもの見せるぞ」と吠えました。要するに暴力を背景に公然と首相退陣を要求したわけです。首相周辺はこの問題にはかなり神経質になり、ここ2〜3週間、首相の警備がかなり厳重になっています。ところがマライタにいる人に聞くと、「騒いでいるのはホニアラの人たちだけですよ」という説明になっちゃって、実際マライタにも行きましたけれど、実にのほほんとした牧歌的な感じでした。今のところこの問題はまだ未解決ですが(注:その後8月にグループの中心と見られるホニアラ在住の人物が逮捕された)、特にこれといった騒動も起きておらず、報道から感じられるほど現地では深刻視はされていないと思います。
ということで、治安面について結論を言えば、基本的にはRAMSI警察がピシッと抑えて治安は十分維持されている、それに対する組織的な抵抗も起きていません。生活していても、特に普通の街以上に特別な神経を使う必要はないというのが現状です。
(2)生産部門の活性化と社会基盤整備
さて、順序が入れ替わりますが、次にお話ししたいのが「生産部門の活性化と社会基盤整備」です。ソロモン諸島政府は、去年の段階で治安回復に目処がついたとして、今年の中心課題としてこれを掲げています。平和の定着には、どん底に落ち込んだ経済を回復させて、みんなに働き口を確保しなければならないということですね。これに関しては、ゆっくりとですが、とりあえず前進しています。
主要産業の現状
たとえば、紛争前の主要産品のひとつだったパームオイル。ガダルカナルにあった農園が紛争中に襲われ、労働者住宅も工場も廃墟になっていたのですが、去年10月にここにPNGで事業を行っているマレーシア系の会社が入ることが決まり、今、操業再開に向けて準備が進んでいます(注:会社側目標は2006年6月に第一回輸出をめざしている)。それから1998年に鳴り物入りで操業を開始して、翌99年には当時のレートで輸出額が10億円を越えたゴールドリッジ金山。これもガダルカナル島にあるのですけれども、ここはオーストラリア系の新しい操業者が決まって現在再開準備中となっており、CBSI(Central Bank of Solomon Islands:ソロモン諸島中央銀行)は2006年末には生産を開始できるとの見通しを示しています。
このほか私の帰国直前に、これもガダルカナルの閉鎖中の製材工場について、新しい会社が日本円にして6億円ほどかけて操業再開を目指すというニュースが報じられました。ちなみに材木の4分の3は国内消費向けの予定で、こうした付加価値をつける事業の活性化は政府としては大いに歓迎しています。
それから「ソロモン大洋」として知られていた漁業会社の「ソルタイ」(Soltai)ですが、この会社は紛争でマルハが撤退した後に国営会社になって細々と操業しています。ここには日本が2隻のカツオ漁船を供与することが決まって、来年2月頃には引渡しの予定になっており、事業拡大に向けた準備が進んでいます。
次に地方の換金作物に話を移します。地方に住む人たちの現金収入手段としては、森林伐採地を除けばコプラやココアの生産が多いのですが、これらも今、再生に向けて各地で動きが出ています。特にココアですね。コプラについては長期価格低下傾向にあるので、今からコプラを作るためにやしの木を植えようという動きはあまり聞かないのですが、ココアに関しては、あちこちで植え替えをする様子が見られます。
ということで、基幹産業は徐々に復興しつつあるのかな、という印象を私は持っています。
これに加えて新しい産業の育成も進むと、生産部門がどんどん強化されて理想的なのですが、こちらの方は今ひとつ華々しい話が聞かれません。たとえば観光ですが、CBSIでは2004年で5000人程度の観光客があったと推計していますが、ソロモン諸島が「観光地」として名を知られるようになるには、まだまだ道のりは長そうです。確かに風光明媚で美しい自然に恵まれている場所もありますが、たとえばフィジーなどと比べると、やっぱりマラリアの怖さがこの国にはあって、そういう面で大きなハンディを持っていると思います。
新しい産業といえばかなり大きな話ですけれども、新しい鉱山開発の話が進んでいます。CBSIによると、具体的にはイザベル州とチョイセル州で、住友鉱山が調査許可を得たとのことです。もしこの話が本当にこの先進んでいくと、総額数百億円規模の投資になるでしょうから、地域社会の根本を変えてしまうほどの話にもなると思います。実際のところ土地問題をはじめ様々な難関が予想されるので、果たしてこれが現実化するかどうかは正直なところわかりませんが。
稲作と日本のNGO
こうした大型の産業振興とは別に、地方住民の換金作物の育成を目指して稲作振興プロジェクトが行われています。ソロモン人は今、特に都市部では主食がイモから米に変化しつつあるのですが、1980年代に台風でソルライスという会社の農園が壊滅して生産がストップして以来、お米はみな輸入になっています。そこでそれを地元で生産しようと、台湾が農園を作って稲作振興に力を入れています。なかなか上手くいっていないんですけど。
そして、これとは別に日本のNGOでAPSD(Asia Pacific Sustainable Development)という団体がマライタに大きな試験農場を作っていて、そこで有機農法による稲作プロジェクトを進めています。間もなくマライタの全地区から研修生を集めて、稲作および有機農法の研修開始する予定です。なかなかお金がなくて苦労しているようですが、結構日本のNGOは頑張っています。
基礎インフラの整備
ソロモン諸島ではもともと電気や水道、道路といった基礎インフラの整備が遅れていたうえに、紛争で状況がさらに悪化しました。インフラの整備は人材の育成とともにいわば国造りの基礎ですから極めて重要ですが、政府にまとまった財源がないためドナー頼みというのが現状です。そしてこの分野では、豪州が地方の道路をつくったりもしていますが、大きなものは資金力のある日本のプレゼンスが重要になっています。
日本が今やっている援助はホニアラの空港滑走路の整備です。先日ホニアラの電力供給を改善するための支援、総額15億円ぐらいの規模になると思いますが、決まりました。そしてその次の案件としては、ホニアラ西側の橋の面倒みようかという考えから、近く調査が出る模様です。この橋の問題は実はかなり緊急かつ深刻で、再開準備中の基幹産業の産品を積み出し港のホニアラに輸送するためには必須で、いわばソロモン経済再建のためには死活的なものなんです。私としてはスムーズに話が進むといいなと思ってます。
ところで、地方住民にとっての大きな関心事であり、いつも要望として出てくることに、島と島の間の輸送問題があります。田舎の方でコプラを作りました、ココアを作りました、といってもそれを運ぶ術がありません。2004年11月のドナー会合でも地方の代表者や経済界から次々と島と島の輸送を何とかしたい、してほしいとの声があがっていましたが、こうした不満が、地方住民と開発問題で話をすると必ず出てきます。そしてこれに対してはEUが7つほど小さな埠頭をつくるプロジェクトを進めていますが、全般的な状況はまだまだ改善されていません。そんな中で、8月からADBが島嶼間輸送ネットワークを含む運輸部門全体のマスタープラン作りを支援すると発表しました。まあこの国では計画ができても実行されず絵に描いた餅に終わることが多々起きるので、どこまで実効性があるか疑問はありますが、とりあえず来年4月頃までには素案をまとめて、島嶼間輸送の方向性を打ち出すことになりましたので、それを受けてこの問題に対するドナーサイドの関心も高まるかもしれません。ちなみに日本はすでに2003年のドナー会合で「要請があれば支援をする用意はある」と表明しましたが、ソロモン側から具体的な要請があがらず話は進んでいません。
森林伐採への懸念
最後に触れておかなければならないのは、森林の過剰伐採問題です。紛争でほとんどの産業が潰れたなかで、丸太輸出だけは逆に拡大していて、今やソロモンの輸出産業は木の輸出が一人で支えている状態です。そしてこのままでは10年もしないうちに森は丸裸になってしまう、「何とかしなくちゃ」という危機感が高まっています。これにはドナー側、特に豪州が強い危機感を持っていて、豪州外務省が2004年7月に発表したソロモン経済報告でも、このままでは2015年までにソロモンの森が消失してしまうと強く警告しています。
こうした懸念を背景にして、伐採に様々な条件をつける森林法案というものがつくられて、去年(2004年)は随分活発な議論がされました。12月国会での通過を目指して、環境保護派がラジオや新聞を通じて大々的にキャンペーンまでしたのですが、結局閣議すら通りませんでした。それは、伐採企業側もまた阻止のための活発なロビイングをしていて、こうした勢力の抵抗を潰せなかったからです。
これは私の知り合いで伐採予定地の地主の話ですが、伐採会社が目をつけた土地の地主にはさかんに供応がなされるのだそうです。それでも承認しないと、今度は地元選出議員の口利きでホニアラご招待ツアーがある。普段はゴム草履も履いてないような人たちがホニアラにぞろぞろ呼ばれて、飲ませて食わせてサインさせるというような事をやっていると言っていました。ネタ元がその当事者なんで本当だと思いますが、そういうことをしながらバカバカ切っているのですが、当然国会議員も業者と仲良しなわけですね。中には閣僚もいますから、彼らはいろいろ理屈をつけて抵抗し、業者の権益を守ろうとするわけです。政府の担当者からして「ううん、これは難しいよねぇ」という感じなので、よっぽどオーストラリアがゴリゴリやらないと、これは動かないかもしれません。
かなり長くなりしたが、産業とインフラについては以上のような按配です。
マクロ経済指標もそんなわけで、去年(2004年)の経済成長率は5.4%となり、2年連続5%を超えました。表面的には経済好調で、ソロモン政府もさかんにこの点を強調しています。ただこれには数字のからくりがあって、1999年、2000年からずっとマイナス成長が続いていましたから、結局下がった分を取り戻しているだけの話で、別に昔よりも良くなっているわけではありません。経済の規模が昔と同じになっても人口は増え続けていますから、それだけまた生活レベルは下がっているわけで、これから先、数年が本当の勝負だと思います。
(3)財政安定化と公共セクター改革
ソロモン諸島の国家財政は紛争以前から破綻に瀕していたのですが、RAMSI展開後、これもかなり好転しています。滞っていた債務返済も始まり、去年(2004年)は歳入が当初予想を上回ったため、これを開発予算に回す(注:ソロモン諸島の開発予算はそのほぼすべてが海外援助に依存している)ことができたぐらいです。
では何故良くなったかといいますと、豪州が強力にてこ入れしているからです。財務省に豪州人のアドバーザーが大量に入っていて、彼らが実務を仕切っているからなのです。
一例を言うと、今年の5月に行われた各省向けの予算説明会を仕切っていたのは豪州人で、来年度予算要求の説明も、肝心な部分は全部豪州人が行っていました。これまで無秩序だった公費支出を厳格化して、各省予算の執行にも逐一財務省が目を光らせて汚職・濫用を監視しているのですが、その会計支出責任者も豪州人がやっています。
また公務員の整理、すなわち、仕事はしていないのに給料だけもらっているという幽霊公務員が紛争過程を通じて激増したのですが、その整理も結構進みました。ただ問題なのは、その後の欠員補充が全然進まない。この新規雇用についてはソロモン人主導でやっていますが、人がいなくなったまま仕事だけは正常化を求められるという状況が続いていて、各省庁はかなり困っています。
たとえばうちの省は19人が定員ですが、今は次官以下で7人しかいない。この人数で求められる仕事をきちんと行うのは不可能なので、今年初めから、うちの省の最優先課題はまず「人を入れること」と言い続けているんですが、今になってもまだ募集の公示もかかってません(注:その後8月中旬に公示あり)。全部人事院で止まっちゃってるんですが、こういう状態はうちの省だけでなく、結果多くの省が人手不足でまともに機能していない、という事態が起きています。
こうした内実はソロモン政府内部にいるとたいへんよく見えるわけですが、結局いま曲がりなりにも復興がうまくいっているのは、外部の力によるものだと多くの機会で感じています。
もうひとつ、公共セクター改革の目玉にあがっているのが国営企業の改革です。これを強く推進しているのは世銀とオーストラリアで、彼らの強い意向を受けて、国営企業の一部を売却・民営化しようとしています。売却・民営化の対象になっているのはソロモン航空、政府印刷局、それから船舶修理工場などです。また公共性の高い国営企業は、売却・民営化ではなく、外国の民間企業に経営委託をしようという動きが進んでいて、その中には電力公社や水道公社が含まれています。
(4)社会サービスの回復と開発
次にお話しするのは社会サービス関連の課題です。
まず一つ、すごく大きな成果を報告すると、ソロモン諸島では今年から初等教育が無料になりました。じつは地方の人たちが現金を必要としていた最大の動機は、子供を学校にやるためなんです。その出費がとりあえず初等教育だけですが、必要なくなったということは、田舎の人たちの生活不安のひとつを取り除いたことになるます。ソロモン諸島の就学率の低さの大きな原因のひとつは、経済的負担にありましたから、底辺の人造りという意味でも、この初等教育無料化はたいへん大きな意義があります。ただ物理的な、学校や教師の不足がまだまだ深刻なので、今後こちらの課題がますます緊急性を帯びてくるでしょう。
それから、職業訓練とか高等教育機関の育成も大きな課題です。たとえばソロモン諸島の大学進学者は、その多くがフィジーのUSP(南太平洋大学)に留学に行きます。大洋州では高等教育の費用を各家庭が捻出することは容易ではなく、優秀な生徒に国が奨学金を出して勉強させるのが一般的ですが、ソロモン諸島でもフィジー留学の費用を学費から寄宿料まで全部政府が面倒みているんですね。この費用は人件費を除いた教育省予算の実に4分の3を占めています。教育省としては、USPの分校をソロモンにつくってもらって国内で進学できるようにしたい、というわけですが今度はそんなキャンパスをつくる金がない、と。同様にシッチェ(SICHE:Solomon Islands College of Higher Education)という職業訓練専門学校が国内にあるんですが、そこの改革も資金難で停滞しています。
次に話を医療面に移すと、まずなんと言ってもマラリアです。マラリアは非常に多くて、うちの職場、もしくはソロモン人の私の知り合いでマラリアをやったことのない人はまずいません。赤ん坊がかかると生きるか死ぬかの話になりますから、乳幼児の死亡率もマラリアによってかなり高くなっているでしょうし、そういう面で深刻なマラリア対策は、国家的課題です。が、面白いのは、大人のソロモン人はそんなにマラリアを恐れていないみたいなんですね。彼らは子供の頃からマラリアとつきあい何度も発症した上で生き残った人たちですから、マラリア未経験な私たち外国人と違って、それほど深刻な問題ではないようです。たとえば、ある日うちで雇っているメイドから電話がかかってきて、「今日はちょっと調子悪いから薬を飲んで遅れていきます」という。「どうしたんだ」と聞くと「マラリアです」と言うんですね。いやマラリアが出ても休まないとは根性あるなぁと思っていたら、別の機会に今度は「今日はちょっと調子悪いから休みます」と連絡がくる。「どうしたんだ」と聞いたら「インフルエンザです」という。なんだか我々と病気の深刻度が違うみたいです。
またある時腹痛で夜中に病院の救急病棟に行ったんですが、廊下に小さな子供たちがワーッと溢れていて、どうしたんだと聞くとみんな大体下痢です。これは水が悪いからですけれど。そんなわけで、職場で「調子悪い」と私が言うと、「インフルエンザか、マラリアか、下痢か」というのが同僚が尋ねてくるパターンでして、このあたりが普通の、少なくともホニアラに住む人たちの三大病気なのかな、と思います。
もうひとつ、私が住んでいて感じたのは、たとえばちょっとお腹が調子悪くなって医者へ行っても、キチンとした検査ができないことです。私事で恐縮ですが、うちの妻がこの間ちょっと病気になって医者に診てもらったところ、「念のため子宮ガンの検査もしよう」と言われたんですね。で、検査を受けて、それが2月の話ですが、「じゃ結果は5月に出るから」と言われまして(笑)。本当にガンだったらその間に進行してしまうじゃないかと思いましたが、そういうレベルで彼らは暮らしています。
(5)民主主義・人権・グッドガバナンス
なんだか話が雑駁でとりとめがなくなってきましたが、最後に「民主主義・人権・グッドガバナンス」について話します。ガバナンスについては先述のとおりに公共セクターのところでお話ししたとおり、今後のソロモン安定と発展のカギを握るひとつだと思いますが、公共セクターのところで挙げた話については、極端に言えば単なる「アリバイ」、一応対外的に言及する必要はあるけど実際には後回し、というものだと私は思っています。
ひとつこの関連でお話ししなければならないのは、憲法改正問題です。憲法改正、正確には新憲法策定は、紛争解決時にこれからの国家のあり方として州を単位とした地方分権への流れが合意され、首相が約束し、国家計画の中でも言及されました。ところが現実には動きは鈍く、確かに草案はできはしたのですが、今のところ議論も低調です。来年早々には選挙ですから、少なくとも現政権下では「積み残し」になるのは確実な情勢で、その先は次の政権次第、場合によってはそのままウヤムヤに葬られてしまうということもあると思っています。
4.今後の課題
以上が現状ですけれども、今後の課題としては、まずなんといっても秩序維持の問題を挙げなければなりません。RAMSIがいなくなったらどうするのだ、ということです。これに対してソロモン政府は、国民に信頼される規律正しい警察官を養成する、そのためにトレーニングをしっかりやる、と言っています。たしかに紛争中地に落ちたソロモン警察への国民の信頼を回復させるのは目標として間違っていないでしょうが、白人の重しが外れたときに、はたして警察・警察官が出身地やワントークを優先しない、すべてのソロモン諸島人のために働くものになれるものか、ソロモンの長い歴史やこないだの紛争、そして文化・風土を考えると、それは決して簡単なことではありません。ポストRAMSIを見据えた警察機能強化は、ソロモン人が「国民」として単一のアイデンティティを形成していけるかという、より本質的な問題とともに、今後の大きな課題として残されています。
次に治安回復と同時並行して、経済再建の流れをより確実なものにしていく必要があります。経済的不満はふたたび紛争を起こす火種になりますから、国民に雇用や市場などの現金収入手段を提供することは極めて重要です。特に、人口の85%を占める地方住民にもお金が落ちるメカニズムをつくることは、現在も、そして今後も引き続き政府の最重要課題のひとつと言っていいでしょう。そしてそのためには交通インフラをはじめとした、基礎インフラの整備も重要です。
経済面だけでなく、保健や医療、教育や様々な行政サービスへの充実や交通手段の確保など、国民生活を安定させるために政府がリーダーシップをとって行なわなければならないことは、実に多岐にわたります。こうした課題をひとつひとつ解決していくには、やはりガバナンスの強化が必要です。警察の話と同じなんですけれども、現在の復興は資金面でも人材面でも外部の力に依存しており、結局いまこの国を国家として正常に機能するように仕切り、動かしているのは、豪州人たちなので、彼らがいなくなった後、どうするかが大変大きな問題だと思います。ここから見える本質的な問題は、やはり人造りの問題です。教育機会を拡充して人的資源の底上げを図るというのは、回り道に見えて案外効果の早い施策かもしれません。
あともうひとつ、とりあえず現在の政府として少なくとも公式見解として考えているのが、地方分権の問題です。紛争時に沸き上がった分離独立の動きをくいとめるため、現在の政府は一定権限を各州に移譲して連邦制にするという方向性を打ち出しました。これについては「動きが鈍い」といいましたが、実際問題として職場で話をしていてもかなり議論が分かれます。正直なところ先行き不透明ではありますが、いずれどこかで何らかの決着はつけなければならないでしょう。ケマケザ政権は形の上では連邦制推進のポーズをとりながら、どうも不作為による問題先送りをしようとしているように見受けられますが、来年総選挙後に成立する次の政権がどういう方針を示すのかによって、ソロモン諸島の国としての枠組みも大きく変わってくるでしょう。
最後にもうひとつ指摘しておきたいことは、マライタの開発問題です。マライタは結局、RAMSIが展開した後もほとんど何も変わっていません。RAMSI展開にともなう大量の外国人の流入は、ホニアラの消費経済を活性化させましたが、マライタはまったくその恩恵を受けていない。この状態が続くとマライタ人たちの苛立ちが募ってくる恐れがあります。そしてその一つが、先ほどお話しした覆面集団の首相退陣要求の動きがではないかと思います。またこのままだと、再びマライタからホニアラそしてガダルカナルへの人口流入が加速化して、紛争前と同じ状況になってしまいます。私は、マライタに何か目に見える形で、「これから良くなって行くんだよ」と思わせるメッセージを送る必要があると思います。
冒頭で私は、「表面的には順調に復興は進んでいる」と申し上げました。この流れを確実にするためには、恐らく今後2〜3年が勝負なのではないかと私は思います。RAMSIは当分継続するとされ、具体的に撤退時期は示されていませんが、いずれは退場する豪州率いるRAMSIの駐留が長引けば長引くほど、依存性が高まるとともに反発も広がります。できるだけ早くRAMSI撤退の「出口プラン」の検討を始められるよう、ソロモン諸島政府のなおいっそうの奮闘と各ドナーの支援が必要なのではないかと考えています。
注:本稿は、去る7月2日に行われた第165回オセアニア研究会で行った報告を元に報告者が修正を加えたものです。(編集部)