PACIFIC WAY

−ああ、楽園のはずが

     ポナペ・ホテル憤戦記
      −第7回− 第2章 ここはポナペ(その4)   

茂田達郎 (しげた たつろう)


第2章 ここはポナペ(その4) 

「ヨバイ」
 
 先日、当地で道路建設にあたっている前田建設事務所の友人から「ポナペで使われている日本語をリストアップしてもらえないか」と依頼があった。以前からポナペ語化した日本語の意外の多さに驚き、関心はあったが、まとめてみたことはなかった。「明日までに」という急な話だったが、いい機会なので引き受けた。身近なポナペ人らに確認しながら一覧表にしてみた。以下がそれである。
 
 デンシンバシラ(電信柱)     テンジョウ(天井)
 カキネ(垣根)          タナ(棚)
 テッキン(鉄筋)         ジドウシャ(自動車)
 ボウクウ(防空壕⇒転じて穴、洞窟)
 ブンジョウ(分場⇒農業試験場、農業センター)
 ヒンピョウカイ(品評会)     ウンドウカイ(運動会)
 ムシン(無尽)          シアイ(試合)
 ショウブ(勝負)         サクラ(花札)
 ベントウ(弁当)         サルマタ(猿股)
 チチバンド(乳バンド)      ゾウリ(草履)
 カエル(蛙)           ナッパ(菜っ葉)
 キュウリ(胡瓜)         ナスビ(茄子)
 ダイコン(大根)         スイカ(西瓜)
 カツオ(鰹)           コヤシ(肥し)
 ショウユ(醤油)         サシミ(刺身)
 シオカラ(塩辛)         トウフ(豆腐)
 ラムネ(ビー球)         サイケン・ポイ(ジャンケン・ポイ)
 アイノコ(混血児)        モウチョウ(盲腸)
 キチガイ(気違い)        シランカオ(知らん顔)
 ナマイキ(生意気)        ウマイ(上手い=上手)
 ウマクナイ(上手くない=下手)  モッタイナイ(勿体無い)
 タワシ(束子)          フンドシ(褌)
 
 このほかに、最近はあまり聞かれなくなったが、デンキ(電気)、ハタケ(畑)、サイバン(裁判)、ヨバイ(夜這い)といった言葉もまだ一部の人の間では通用する。
 カタカナ表記は実際に使用されている発音に準じたものだが、サイケン(ジャンケン)のように微妙に訛ってポナペ語化したものもあって、耳を澄まして聞いていないと彼らが話すそれが日本語であると気づかないこともある。
 
 ヨバイで思い出したが、忘れられない事件がある。
 ある深夜のことだった。電話のベルで寝入りばなをたたき起こされた。
「すみません。外にだれかいるらしいんです。怖くて、気持ち悪くて……。すぐ来てもらえませんか」

  若い女性宿泊客の今にも泣き出しそうな押し殺した声に、眠気がいっぺんで吹き飛んだ。

  万一を考え、息子を起こして、押っ取り刀で駆けつけてみると、バルコニーに人陰がある。懐中電灯の光の輪の中に浮かび上がったのは、あろうことか、うちのメンテナンス要員、レンジだった。上体をふたつに折り、両膝を抱えるようにしてうずくまっている。
「レンジ! レンジ!」
 声をかけるが返事がない。そこへ息子から呼び出しを受けたクリノもやってきた。
「サン・トー・シー!!!」

  バルコニーの手摺り越しにふたり掛かりでレンジの髪の毛と着衣をわしづかみにし、ポナペ式かけ声もろとも一気に外に放り投げる。暗闇の中に「ドスン」という鈍い地響きが広がり、次いで「ウーン!」というレンジのうめき声。放り出された衝撃でようやく目を覚ましたようだが、息子やクリノの問いにも答えがない。

  足下がおぼつかないレンジをクリノが引きずるようにして連れ去るのを見届けてから事務所に戻り、ゲストルームに内線電話を入れた。

 「夜も遅いことですので、詳しいことは明日ご報告いたします。もう大丈夫ですから安心してお休みください。お騒がせして申し訳ありませんでした」

  相手が見えないことも忘れて電話口で平身低頭しつつ、「冷汗三斗とはこんなことを言うのだろうか。こんなことをした以上、奴はクビにせざるを得ないだろうな」などと考えていた。

  翌早朝、オルペット夫妻に伴われてレンジがやってきた。砂にまみれ、ボロボロになったTシャツの破れ目から、真新しい擦過傷が見える。年頃のいい若い男がなんとも情けない姿だ。力のない充血した眼を一瞬こちらに向けるが、すぐにそむけてしまう。その横顔に、どことなく不満そうな表情が感じ取られ、気になった。レンジはオルペット夫人の親戚筋にあたり、彼女のたっての頼みでスノーランド建設当初からスタッフに加わったという経緯がある。夫人はこちらが口火を切るのを遮るようにして話し出した。

  「昨夜、レンジはシャカオの飲み過ぎで相当に酔っぱらっていたので、そのまま寝かせました。今朝になって話をしました。でも、本人は何も覚えていないようです。困ったもんです。今度このようなことがあったら仕事を休ませてください」

  オルペットよりはるかに流暢な日本語で謝罪の言葉を述べられると、それでも「クビにする」とは言えない。「わかりました」と答えると、オルペット夫妻はひとしきりメイドたちと冗談を交わし、上機嫌で帰っていった。

  洗い場で体の汚れを落とし、用意してやった衣類に着替えてから事務所に来るようにと、レンジに伝える。冷静になって考えてみれば、ポナペにはもともと夜這いの習慣がある。それを「ヨバイ」と呼ぶようになったのは、日本がミクロネシアの島々を統治し始めた1914年以降のことだが、それはともかく彼らにとってヨバイはポナペ人の男ならだれでもする当たり前のことである。だから「悪いことをした」という認識を持てるはずがない。彼を引き続き使うには慣習の違いを納得させる必要があり、そのためにはそれなりの話し方をしなければならないと思い至ったからだった。

  レンジはしきりに頭をさすり「マンゲ・メテック。タメカレータ」と呟きながらやってきた。既に事の委細を知っているピーターは「彼、頭が痛いって言ってますよ。なんでだろうって。シャカオの飲み過ぎに決まってますよね」といたずらっぽい笑いを浮かべながら、レンジを事務所に招じ入れる。息子と顔を見合わせた私は、危うく吹き出しそうになった笑いを懸命にこらえた。本人が覚えていないのに、今さら息子とクリノがおまえの髪の毛を持って放り投げたんだとは言えない。

「本当に覚えていないのか?」
「覚えていない。でも、おかしいんだ。頭の中が痛いんじゃなくて皮が痛い」

  またまた笑いかけた口を、手を当てて隠し、レンジに眠気覚ましのコーヒーをすすめてから私はこんこんと彼に言って聞かせた。

  ヨバイはポナペ人同士なら問題はないだろうが、外国人に対して、特にホテルでのヨバイは厳禁であり、そういうことをするとホテルの信用が失墜し、ひいてはビジネスが成り立たなくなる。仕事を失ったらおまえも困るだろう。それに、もしおまえがクビになったら、イナム(オルペット夫人のタイトル名)が恥をかくことになるんだ云々……。三段論法的なまことに回りくどい説教だったが、彼は先ほどとはうって変わって素直だった。最後には「ごめんなさい。ありがとう」と言って、晴れ晴れした顔つきで事務所を出て行った。
 
 
「コンモリ」「マヌケーラ」
 
 この一件があって、私はポナペ人の気質を少し理解できたような気がした。彼らを叱ったり、注意したりするときには、決して人前、特に他のポナペ人のいる所ではしないこと。彼らはたいへん誇り高く、人前で叱られたり、なじられたりすると、面子を失ったと思いこみ、かえって頑なになる。したがって、相手に恥をかかせ、窮地に陥れないよう言葉遣いに配慮しなければならない。

  ポナペに来た当初、「日本人が3人寄ればポナペ人の悪口になる」と、よく耳にした。日本人に限らない。ポナペに少し慣れた外国人は、決まってポナペ人の無責任さや言行不一致、怠惰を批判する。しかし、ポナペ社会でそれがいさかいの原因になることは滅多にない。彼らが約束をするとき、例えば何かを頼まれたときなど、彼らは相手の感情を害すまいと真剣に思っているのだ。しかし、日が経つにつれ、感激が薄れたり、ちょっと障害が生じたりすると、もう意気消沈し、やる気を失ってしまう。

  逆に、日本人が遺憾に思い、看過できないと思うような重大な問題が起きた場合でも、ポナペ社会ではシャカオを酌み交わし、寛大に許容し合い、解決してしまう。名誉や面子以外のことでは、遺恨を残さないのだ。人口わずか4万足らずの島で、島中の人間が何らかの形で結びつきがあることを考えれば、頷けないことではない。潔癖に過ぎたり、我、信条・信念を押し通そうとすれば、必ずや敵を作る。それは、とりもなおさずポナペの小さな社会に亀裂を生じ、ギクシャクした人間関係を生むことを、彼らは経験的に知っているのだろう。

  話はちょっと逸れるが、スノーランドにポナペの伝統建築にのっとったナーシ(集会所)タイプのバーを作ったときのことである。オルペットから、ナーシは333本のマングローブを使わなければならないこと、また切り妻の屋根の一端には必ず「モロンヨ・オーロ」と呼ばれる切り返し部分を設けるのが作法だと教えられた。昔はそこに、大事なものや、いざというときのための武器を隠しておいたのだという。それを「モロンヨ・オーロ」(男の心)と称するいわれは、男の心は人には見せてはいけないという戒めらしい。ポナペ人は、一体に穏やかで人なつこく、開けっぴろげで親切な印象を与えるが、こんなしたたかな一面もあるということを忘れてはいけない。このことは、私自身、後年いやっというほど思い知らされることになる。

  話を戻そう。「怠惰」にしても、それなりの理由がある。ポナペで日中、なんらかの労働に勤しんだ人ならおわかりいただけると思うが、ものの30分も体を動かすと全身汗で水を浴びたようになる。で、出会いと別れの挨拶言葉「カセレーリア」と並んで日常的に使われる言葉が「コンモリ」である。働いている人を見かけると、ポナペ人はしばしばこの言葉をかける。直訳すると「休む」とか「休んで」だが、「そんなに無理して働かないで休みなよ」といった意味が言外に込められている。私も、ときどきこの言葉をかけられるが、実際、常夏の島ポナペで炎天下そんなに長時間、働き続けられるものではない。それこそ熱中症になってぶっ倒れてしまう。ときどき小休止して水分を補給したり、仲間とおしゃべりして気分を紛らわさないとやってられない彼らの気持ちがわかるような気がしている。「コンモリ」は怠惰をすすめるのではなく、人を労る気持ち、ひいては人間関係を円滑にする意味が込められている言葉なのだ。
 
 ポナペ人がよく口にするもうひとつの言葉に「マヌケーラ」(忘れた)というのがある。
うちのスタッフの「十八番言葉」でもあった。

 
 「ひとつ頼むときちんとやるが、二つ頼むとひとつ忘れる。三つ頼むと全部忘れる。マヌケーラじゃなくて、間抜けなんじゃないかな」

  息子が嘆息しながら洩らしたことがあるが、ほんとによく忘れてくれる。朝、指示したことが昼になってもできていない。「どうしたんだ?」と聞くと、返ってくる言葉は決まって「マヌケーラ」だった。それも、いともあっけらかんと言ってのける。張り合いがないというか、肩すかしを食らった気分になること甚だしい。

  「こういう温暖な南国でくらしていると、体ばかりか神経までもが弛緩して、万事がだらしなくなるのかな?」などと、当時は善意(?)に解釈していた。それで、マヌケーラしたスタッフにはメモ書きするように勧めた。が、結果は同じであった。
「なぜ、忘れるんだ。メモ書きしたはずだろ?」
「メモがなくなっちゃった」
「書いたことを覚えてないのか」
「忘れた」
「じゃ、書き直したらどうだ。ボールペンとメモを支給しただろ?」
「なくなちゃった」
「どこへ置いたんだ?」
「忘れた」
 まるで腕で暖簾を押しているようなものである。

  スノーランドのロゴ・マークを刺繍したスタッフシャツを全員に着替えを含めて2着ずつ支給し、着用を義務づけたことがあった。最初のうちはきちんと励行していたが、日が経つにつれ、だんだんと着用しない者が多くなってきた。聞くと「家に忘れてきた」。次の日も、また次の日も返答は同じであった。なかに「破けちゃった」という者もいて、そういうスタッフには新しいシャツを支給したが、やはり1週間と続かない。ついにはこちらが根負けした形になり、いつの間にか以前の私服勤務に戻ってしまった。

  後年、レストランのコックとして雇ったフィリピン人のバッシリオという青年は、2年間、実にそつなく、こまめに働いてくれた。「忘れた」と言い訳するようなことは一度もなかった。同じ南国の人間でもえらい違いである。
 
遅まきながら、最近になって気づいたことだが、「マヌケーラ」はどうやらポナペ人の気質らしい。気が進まないことに直面したり、都合が悪くなると「マヌケーラ」を発して交わすのである。車でも冷蔵庫やテレビ、ステレオにしても、買った当初は大事にするが、感動が薄れるにしたがい管理がおろそかになり、汚くなって故障したり、使えなくさせてしまう。物を大事にしない、熱しやすくて冷めやすい国民性なのかもしれない。スタッフシャツにしても、すぐに飽きてしまったのだろう。もしかしたら、だれかにあげてしまったのかもしれない。でも、正直に言えば角が立つし、相手の感情を逆撫でする。そこで、「マヌケーラ」になるのである。ポナペ人は見かけ以上に自分の言動について利に聡いのかもしれない。         
         

                (次号に続く)
         

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