アジア開発銀行(ADB)は、この春に出した「太平洋諸島の経済報告」の中で、ミクロネシア連邦(FSM)の経済状況について報告している。これは、2004年9月以降の調査データをもとに纏めたものだ。
報告書によると、FSMが独立した1987年から2003年までに受領した経済協力の総額は、自由連合協定基金以外の援助や他国からの協力を含めて、約24億ドルにのぼる。また、2000年にFSMが受領した一人あたりODA額は850ドルで、キリバス200ドル、サモア175ドル、トンガ200ドルと比べると4倍以上の開きがあり、依然としてFSM経済が援助依存体質の中にあることが示されている。
州ごとの国内経済を自由連合の第一次経済協定期間の15年で見ると、国内総生産(GDP)の実質成長率は、チューク州がマイナス0.4%、コスラエ州マイナス0.6%と振るわなかったが、首都のあるポンペイ州はプラス1.5 %、ヤップ州もプラス0.9と成長した。
1995-2003年間での雇用状況は、ヤップ1.8%、コスラエ0.3%の成長に対し、チュークでは2.5%、ポンペイでは0.3%のマイナスだった。マイナスの二州には80%の国民人口が居住しているので、全体的にみると失業率は上昇している。
1986-96年の10年間に、政府が試みた経済活動や政府系企業への投資総額は約3億ドルにのぼるが、いずれも成功していない。そのため、第二次経済協定期間は、官民が協働して民間産業を育成していく体制を整えるべきだと報告書は指摘している。
具体的には、まず官民が十分に意思を疎通させる必要性を挙げた。これまで政府レベルでの国内経済サミットが3回開催され、経済開発に関する協議を重ねてきたものの、それをフォローすべき民間人や投資資本家などとの対話は一度も行われてこなかった。これでは、いつまでたっても民間産業は育たない。なぜなら、現状での国民の生産行為は、公的経済部門を除けば、ほとんどが土地を基盤にした伝統生産であって、近代産業を起こすときには土地所有者である民間との協働が不可欠だからである。
というのも、ここには伝統的な土地保有制度が残っていて、いずれの土地も伝統社会かファミリーが所有している。また、伝統社会では、商行為としての金銭による土地売買の習慣はなかったし、現在の法律でも、住民の土地喪失を防ぐ目的から外国人の土地所有は禁じられている。こうした土地所有の事情が、外資を導入して産業化を図る際に、さまざまに障害となってきたのである。
よって、これら問題を解決するには、投資家と土地所有者の双方が安心して土地を利用できるような体制を作ること、つまり、民間産業を育てるために、政府が土地所有者と投資家の間を取り持って、良好な投資環境を作り出さなければならないと指摘している。そうした意味で、グット・ガバナンスが求められているのだろう。
さらにまたADBのレポートは、FSMがもつ経済構造の特殊性を明らかにしている。世界銀行やADBが考える途上国の経済開発の目的は貧困の撲滅にあるが、たとえばコスラエ州は流入する公的資金とサブシステンス部門の均等分配構造によって、決して貧困とは言えない状態にあるという。国内4州を貧困度の低い順に並べるとコスラエ、ヤップ、ポンペイ、チュークとなるが、一番貧しいチュークでさえも、近隣他国のキリバスやツヴァルと比べて、深刻な貧困状態は存在していないのだ。
とはいえ、公的資金の流入が年々拡大せず、民間産業の成長もないままに人口が膨張していけば、生活条件の悪化は避けられない。だがいまは、海外出稼ぎがこれを防いでいる。1998年から2003年の間に、北マリアナ諸島、グアム、ハワイに出稼ぎに出たFSM国民は6,500人以上になり、職を求めて海外に流出する人たちの年齢はより若く、より高学歴になる傾向にある。FSM全体で見ると、海外在住者は2万600人から2万9,000人と予測されているが、これは全人口比の16〜22%に相当する。そして、その海外居住者が送る、あるいは持ち込む外貨額は、援助に次いで大きな収入源になっているのである。
海外送金が最大の外貨収入であるのは太平洋の極小島嶼国に共通して見られる構造で、国内で雇用機会を創出しない限り人口の流出は止められないだろう。ADBレポートは、こうした現状を解決するためにも、国内に民間産業を育成しなければならないとしているのである。
だが、外資を導入して国内産業を興すというこの開発主義が、果たして極小島嶼が進むべき唯一の方向なのだろうか、私は常々これを疑問に思っている。ADBが指摘するように、決して貧しくはない、つまり豊かな島に近代産業を誘致することは、豊かな社会の構造を壊して、別の社会構造を作り出すことに繋がるからだ。この構造変化が新たな豊かさに結びつくのであれば、もとより問題はないが、形だけの近代化に終わるのであれば、その結果は悲惨になるだろう。国際機関が発想する開発行為の多くは、同一価値観の一線上で行われる行為ではなく、価値観の変更を伴う開発である。それだけに、島々の開発は慎重に進めなければ危ないのではないか。経済の発展を志向するとき、確かに外資導入による近代産業の誘致が手っ取り早く有効な方法に思えるかもしれない。しかし私は、現存する島社会の暮らしと結びついた産業開発でなければ、住民の豊かな暮らしを保証することはできない、と考えている。