PACIFIC WAY
     
    マーシャル経済の現状と民間企業の動向
            −経営環境の整備を中心に−

 


在マーシャル日本国大使館専門調査員
黒 崎 岳 大

1.はじめに
 
 大洋州諸国、とりわけ米国との間で自由連合盟約を結んでいるミクロネシア諸国は、経済および社会情勢に関して共通する特徴が見出せる。米国から予算支援を含むさまざまな経済援助を享受し、それに伴い消費中心の国内経済となりやすい。また、国民に対しては米国との間で渡航・居住・労働の自由が認められている。その一方で、外国からの新規投資はほとんどなく、近年中国人および台湾人の商業(特に小売業)の進出が激しくなり、政府が規制をしない限り、島嶼国地元住民による民間企業は商業販売から駆逐されかねない危機が生じている。
1986年以来、米国と自由連合盟約(コンパクト協定)を結んでいるマーシャル諸島共和国もまた同様の問題を抱えている。改定交渉の結果、2004年度より第2次コンパクト協定がスタートし、米国より毎年5770万米ドルを越える経済支援が受けられるようになった。一方で、税収や雇用の面でマーシャル経済大きくに貢献してきた民間企業の閉鎖または撤退が相次いでいる。とりわけ、PMO魚肉加工工場(PMO Processing Company: PMOP)の閉鎖およびロバート・レーマーズ・エンタープライズ(Robert Reimers Enterprises: RRE )スーパー本店の台湾系帰化人企業への売却は、マーシャルの経済のみならず、政治や社会にも大きな衝撃を与えている。
本稿では、外国資本の進出およびマーシャル人企業(1)の発展を妨げてきた要因について、民間企業を取り巻く経営環境の面から考察していく。具体的には、まず民間企業の行き詰った現状を政府予算書や監査報告書等の財政資料から明らかにしていく。次に、民間企業の行き詰まりを示すシンボリックな出来事であった上記の二つの事件の経緯とそれに対する政府およびマーシャル人企業家の反応について概説する。さらに、上記の事件が生じた原因について、アジア開発銀行(ADB)よりマーシャルの経営環境に対して提案された改善策、すなわち土地制度所有関係の明確化と担保付貸与権の導入、商法の現代化ならびに外国人労働許可をめぐる制度改革、という三つの観点を利用しながら分析する。最後に、こうした経営環境に対する中央集権化を進めているケサイ・ノート政権の取り組みについて言及する。
 
2.マーシャル経済の現状−2002〜2004年を中心に−
 
マーシャルの歳入は、おおまかに言えば、各種税収や入漁料収入等からなる一般財源、保険基金や輸送料の徴収などからなる特別財源、コンパクト協定に基づく経済支援としてのコンパクト資金援助、米国連邦政府の担当機関との交渉で毎年支給額が設定される米国連邦プログラム資金、および台湾やADBによるその他の援助金、で構成されている(表1)。
 
表1:マーシャル諸島共和国の歳入の推移(単位:米ドル)
  2002年度  2003年度 2004年度 2005年度 2006年度
一般財源 34,280,000 35,994,000 30,795,861 34,328,564 34,960,944
(コンパクト資金) 註1  6,360,000  6,360,000    ‐    ‐   ‐
特別財源  4,380,000  5,040,200  5,131,808  5,329,080 5,878,749
コンパクト資金援助 註2 41,472,400 39,716,000 57,700,000 64,284,960 65,547,080
その他の米国援助 註3
その他の援助   註4
 7,850,000
18,600,000
 8,500,000
9,300,000
 9,000,000
6,000,000
 6,704,341
6,000,000
33,658,906
6,312,183
   合計 106,582,400 98,550,200 108,627,669 116,646,945 146,357,862
コンパクト協定に基づき支給された援助金額
47,832,400

46,076,000

57,700,000

64,284,960

65,547,080
予算内におけるコンパ
クト資金援助の割合

44.88%

46.75%

53.10%

55.10%

44.80%
予算内における連邦プ
ログラムを含めた米国
からの援助割合


52.24%


55.38%


61.40%


60.86%


67.78%
(典拠:マーシャル諸島共和国予算書2002-2006年度版より抜粋)
 註1) 第1次コンパクト協定では、一般財源にもコンパクト資金が支出されたが、2002〜03年の改定交渉猶予期間も第1次協定に準ずることになり毎年636万米ドル支給された。
 註2) 改定コンパクトではコンパクト資金として毎年5770万米ドルが支出されることになっているが、これはインフレーション調整がされるため援助額も変動していく。
 註3) 2006年度予算には連邦航空局からの空港整備資金(26百万米ドル)が含まれている。
 註4) 台湾からの贈与金(毎年6百万米ドル)など。なお日本の無償資金協力などは予算に計上されない。
 
2002年度以降の2年間は、2001年9月末に終了した第一次コンパクト協定の改訂交渉猶予期間に入っていた。政府は米国との交渉において財政の健全化姿勢を示すべく予算の合理化を進めていたため、2003年度予算は前年度より減少している。しかし2004年10月より改訂コンパクト協定に基づく経済援助が開始され、以後20年間にわたりコンパクト資金がマーシャル政府に支給されることになった。その結果、連邦プログラムによる資金援助等と合わせて、財源の60%以上が米国支援に頼る構図は維持されている。一方で、税収等からなる一般財源部分は、この間コンパクト資金支出部分を除くと2001年度以降金額は増加し続けているものの、歳入全体における割合は常に30%前後を推移している。
  表2:マーシャル諸島共和国の税収入の実績値
  2001年度 2002年度 2003年度 2004年度
税収総額 18,351,831 20,094,489 23,060,153 21,916,309
所得税 9,642,269 9,584,810 12,019,280 10,556,412
輸入税 3,971,554 6,004,032 6,589,490 6,215,588
法人税 3,813,172 3,539,518 3,407,105 4,014,555
その他税収 924,836 966,129 1,044,278 1,129,754
 (典拠:マーシャル政府監査報告書2001−2004年度版より抜粋)
 
政府の税収入のうち約半分が所得税であり、民間企業等より徴収される法人税は20%前後に過ぎない(表2)。また法人税は2001年より3年間減収が続いていた。この間にはRREのマジュロ2号店や他の国内民間企業資本によるスーパーの閉鎖が続き、これが直接影響している(2)。一方、2003年まで順調に増加してきた所得税や輸入税も2004年に減少に転じている。これは6月以降のPMOP工場閉鎖問題が大きく影響したと思われる。その結果、税収入全体も2004年に減少している。
 こうした税収入の伸び悩みについて、多くの雇用を生む民間企業の行き詰まりが原因と指摘され、その経済的影響が統計の数字にも現れている。
 
   表3:マジュロ市内の民間企業数及び民間企業雇用者数の推移
  2001年 2002年 2003年 2004年
民間企業数 194 190 209 235
小売業社数 85 75 83 88
民間企業雇用者数 2086 1843 1808 1661
   (典拠:Republic of the Marshall Islands Statistical Yearbook 2004 )
 
一つは雇用者数の減少である。表 3 が示すように、2001年以降ビジネスの中心である首都マジュロ市内の民間企業の数は増加を示しているが、この間、民間企業雇用者数は減少を続けている。これは中国人が経営する小規模商店が増えているのに対して、大きな雇用を生む企業の閉鎖・撤退が続いたからと考えられる。本件調査は毎年5月〜6月に行われたため、この数字にはPMOPの閉鎖による従業員の失業は反映されていない。ゆえに、2005年のデータではその数字はさらに低い値を示すことが予想される。
 
    表4:政府部門・民間企業間の平均年間賃金の推移
  1997年度 2000年度 2002年 2004年度
国内平均 8278 8561 8563 9003
政府部門 9091 10353 12014 13275
民間企業 5957 5431 5059 4865
(典拠:Republic of the Marshall Islands Statistical Yearbook 2004より抜粋)
 
さらに政府部門と民間企業との所得格差の拡大が続いている(表4)。政府の給与は1997年度より2004年度にかけておよそ9,000米ドルから13,000米ドルに上昇した(3)。一方、民間企業は6,000米ドルから4,800米ドルに減額していることが示されている(表4)。これはコンパクト協定のもとで政府部門へは安定的に給与の支給が確保されているのに対して、民間企業の法は、新たな外国資本の進出はなく、既存企業の規模縮小などで、賃金の伸張にも影響していることを示している。
 
3.民間企業の動向
 
民間企業の行き詰まり状況が示される中で、近年マーシャル経済に大きな波紋を広げたのが、PMO魚肉加工工場の閉鎖とRREスーパー本店の売却である。ここでは、この二つの事件の概要について、現地の報道やインタヴューなどの結果をもとにしながら、その出来事に対する政府、民間企業リーダーの意見の違いを明らかにしていく。
 
(1)PMO魚肉加工工場の閉鎖−外国資本進出にとっての障害−
 2004年6月マーシャルで最大の労働者を雇用しているPMO魚肉加工会社(PMOP)が操業を停止し、その後工場が閉鎖された。その影響は経済面では2004年後半以降徐々に影響が出てきている。
PMOPは、1999年に海運会社であるPM&Oラインが出資金530万米ドルで設立したツナ缶詰加工工場である。出資金は、マーシャル諸島海洋資源庁(Marshall Islands Marine Resources Authority: MIMRA)が保証するかたちで、マーシャル諸島銀行より200万米ドルの貸付を得、残りの330万米ドルは運営資金として親会社のPM&Oより調達した。経営方針も親会社であるPM&Oの意向で、操業のシステム化・合理化がすすめられた。すなわち米国デルモンテ社の子会社であるスターキスト社が原材料のマグロを近海で操業している外国漁船(主に台湾漁船)より買い取り、PMOPに供給し、その肉をパック詰めしてからアメリカン・サモアのスターキスト社工場に輸出される。同社工場ではツナ缶詰にされ、その99%が米国に輸出される。この一連の輸送にPM&Oラインが関与することで加工品の製造コストが抑えられた。
2003年頃までは、PMOPの経営は順調であった。設立後出資金も900万米ドルになり、生産規模も当初の2ラインから4ラインに拡大している。2003年中旬には、従業員530人、生産量12,400トン、輸出額は3,350千トンに達し(4)、前年比25%の増加であった。
このように順調に拡大を続けてきたPMOPだったが、2004年6月に突然工場が閉鎖された。2004年3月頃からPM&Oラインの船のマジュロ寄港が遅れはじめ、これに伴いスターキスト社工場への加工製品の輸出が遅れるようになった。そのため同社工場からの支払いが滞り、運営回転資金が枯渇した。工場を閉鎖する6月には給与支払・電気水道料および機材・設備補修代金等で、合計約600万米ドルの負債が生じていた。7月初旬に一時操業を再開したが、再びMIMRAとPM&Oラインとの間で営業方針から対立し、7月中旬に操業を停止した。その後、工場からの廃棄物による環境問題も生じたため(5)、工場の再々開に向けてマーシャル政府はPM&Oと何度か接触をしたが、再開合意に至らなかった。その後、マーシャル政府はPMOP工場の買い取りを海外資本に求め、フィリピン、韓国および日本の企業よりアプローチがあったが契約交渉にまで進展することはなく、工場再開の見込みは立っていない(6)
政府は工場の閉鎖の原因について、他地域とのコスト競争力もさることながら(7)、この地域での貨物船輸送経営の行き詰まりというPM&Oラインの事業縮小が問題であるとした。PM&Oラインは、ロサンジェルスを本拠とするカーゴ海運会社で、米国西部とミクロネシア地域および南太平洋地域との海運輸送を行っていたが、近年は海運会社間の競争が激化し、2004年にはヤップおよびサイパンへの寄航を取りやめることとした。こうした親会社の経営悪化という外部要因が工場閉鎖につながったため、PMOP自体の経営および政府の政策には何ら問題はないとしている。
一方、マーシャル人企業のリーダーたちは、PMOPの閉鎖および新たな外国資本がみつからない理由をPMOPがかかえていた複雑な契約関係にあると指摘している。すなわち、1)建物はマーシャル諸島銀行よりの借入金で建造している、2)機械・設備は運営資金を利用して日本の会社と契約しリース使用している、3)工場用地は地主とPM&O社長との間の個人リース契約を結んでいる、ことである。つまり、PMOPは工場の建物、機械・設備および用地の所有関係がすべて異なっており、再開する場合にも、上記の所有者と個別に交渉しながら、原材料購入費や機械・設備の整備費用など総額2百万ドル近い資金を自前で調達する必要がある。こうした複雑な経営形態を生み出してきたことについて、マーシャル人企業のリーダーたちは、政府が民間企業の発展に必要な制度的改革を進めてこなかったことにあると批判した。
 
(2)RREスーパー本店の台湾系帰化人企業への売却−大手マーシャル人企業の没落−
 2005年のマーシャル経済界で最も大きな話題となったのは、マーシャル最大の民間企業であったRREのスーパー本店が、台湾系帰化人ビジネスマンの経営するフォルモサ・ショッピングセンターに売却されたことである。
 RREはマーシャル人企業の象徴的存在であり、2005年6月に開業55周年を迎えたばかりであった。創業者ロバート・レイマーズは1940年代後半からマジュロで小売店をスタートさせ、1980年代には大洋州で3本の指に入る企業にまで育て上げていった(8)。1970~80年代にはRREはアマタ・カブア政権と密接に結びつき、政府受注品を一手に請負いながら成長を続け、さらに、ホテル経営、飲料水販売およびアパート経営にも乗り出し企業を拡大させた(9)
しかし1990年代後半に創業者のロバート・レイマーズが亡くなると、次第に陰りが見え始めた。1995年に土地所有者との対立で利益の上がっていたイバイ店の閉鎖を余儀なくされ、このとき被った数百万米ドルの損失がきっかけで経営が傾いていく。その後、シャコガイや真珠の養殖業経営に失敗し負債が膨れ上がり、さらに台湾系帰化人ビジネス企業の進出により本業の小売業も回復しがたい状況にまで追い込まれていった。
 RREを含めた大手マーシャル人企業の経営不振に対し、2003年5月、マーシャル政府はマーシャル諸島開発銀行を通じて、民間企業に政府資金を投入し経営の建て直しを図る救済策を採った。その一方で、政府資金の導入をする条件として、政府は救済した各企業に対し経営の合理化及び健全化を図ることを義務付けた。RREは次々と傘下の事業を売却していったが(10)、従来の負債及び政府資金ローンの返済の目処が立たず、ついに本業である小売業も事業拡大を目指していた台湾系帰化人企業であるフォルモサに売却することになった。
マジュロのシンボルであるRREスーパー本店の売却劇に対して、多くのマーシャル人企業のリーダーは政府の無策によるものであると批判した。地元紙新聞でチャールズ・ドミニックDER社長は、「マーシャルにおける外国人による小売販売は制限されるべきである。マーシャル政府及び議会は、帰化マーシャル人ではなく本来のマーシャル人のために考慮すべきである」という意見を述べている(11)。そして経営の悪化に至った理由は、廉価な商品価格による競争のためであり、公平な競争となる商売慣行に反する行為、具体的には密輸・密売、通関時での不適正価格申告および中国系小売店による売上税の未納などに対して、マーシャル政府およびマジュロ地方政府が適切な措置を取らなかったことが大きな要因であると批判した。
一方政府は、不法入国した中国人の取り締まり強化の必要性は認めたものの、台湾系帰化人企業の拡大は堅実な営業姿勢の成果であると理解を示し、むしろ売却をせざるを得ない状態までに財政状態を悪化させたRREの経営姿勢を非難した。
政府が指摘したRREの問題点として、第一に経営の不健全さがある。RRE時代に大きな負担になっていたのは8人の身内の理事に対する給与支払いである。この8人はラムジー・レイマーズ最高経営責任者の兄弟および子供たちであり、企業の経営不振に関わらず、一人当たり平均月2500米ドルが支払われていた。このことは企業にとって大きな財政負担になってきたのと同時に、企業維持の名目で給与の10%をRREに戻していた従業員は、理事たちの特権的立場を納得できずにいた。
 もう一つは従業員の低いモラルの問題である。フォルモサがスーパー本店の経営を始めて最初の2ヶ月は、売り上げは低迷を続けていた。とりわけ、惣菜やランチボックスを売るデリカテッセン分野の売上が2ヶ月連続で月500米ドルに届かなかった。この原因を明らかにするために支店長が隠しカメラを設置して従業員の様子を探ったところ、従業員は、本来10米ドルするランチボックスに対して、身内である顧客からは1米ドルしか受け取らないという事実を確認した。その事実を従業員に伝え、隠しカメラの設置を続けたところ、翌月のデリカテッセン分野の売上は1000米ドルを超えた。その後レジ部門にもビデオカメラを設置して監視を行い、月間の売上は増加を続けている。
以上のように、商品の品質などの問題で以前からの顧客が離れるなどスーパー本店の集客力は減少傾向をしめしながらも、無駄なコストの削減と従業員管理を徹底させることで売上げは急激に伸びるという皮肉な結果となっている。マーシャル政府もこうした台湾系帰化人企業の営業姿勢こそマーシャル人企業は見習うべきであると、マーシャル人企業の批判に反論している。
 
4.分析−制度面問題とマーシャル政府の対応−
 
マーシャル経済を揺るがす上記の事件について、マーシャル政府が指摘したように親会社の経営不振という外部要因や既存のマーシャル企業の経営努力の面に問題があったとしたにせよ、民間企業をめぐる経営環境の未整備に問題があったのも事実である。こうした経営環境の問題について、2003年にADBより「マーシャル諸島共和国・民間部門評価(Republic of the Marshall Islands Private Sector Assessment: PSA)」(12)と題する報告書が発表され、民間企業の成長に必要で有益な政策・措置を勧告している(13)。同報告書は、マーシャル経済の抱える問題点を分析し、民間企業の発展に必要な経営環境が十分に整っていないと指摘した。そして具体的提案として、土地所有制の明確化・土地を利用した担保制度の発展、破産法の施行等の商法の現代化、および人材育成を意図した外国人労働者に対する労働許可の制限撤廃、をあげている。本章では、PSAで指摘された経営環境の整備に向けた改善策を利用して、上記の二つの事件の原因を分析していく。
 
(1)土地所有関係の明確化と担保付貸付制度の導入
大洋州諸国で民間企業発展を阻害している要素として、多くの報告書で必ず指摘されるのは複雑な土地所有問題であり(14)、マーシャルでも同様の傾向がみられるとPSAレポートで指摘されている(15)
マーシャルでは、一つの土地に対してイロージ・レロージ(Iroij/Leroij: 酋長・女酋長)、アラブ(Alap: 土地管理人)およびシニア・リジャルバル(Senior Dri jerbal: 上級労働者)の三階層が土地所有の権利を有するという伝統的で複雑な土地所有体制が存在し、この権利は憲法でも保障されている(第10条第1節)。また外国法人企業が土地の所有はもちろん、長期リースすることが認められていない(16)。さらに土地所有制度が明確でなく、土地を含めた財産物件に対する担保制度が発達していないため、マーシャルの金融機関は有効な担保は取れない理由で企業への融資を制限している。
1999年に設立されたPMOPは近年数少ない外国資本による会社であったが、その経営体系は複雑な契約関係からなっていた。こうした独特の会社体系をとることになったのも、上記のような土地及び金融制度上の不備にあったからと思われる。
すなわち、法人に対する土地の長期リースが制限されているので、社長個人が賃借せざるを得ない。ゆえにPMOPの場合のように投資企業が変更した場合、土地契約は前の投資企業の社長と同時に、再びすべての伝統的土地権利者たちからの同意も確認すべく交渉をすることになる。一方、土地などの財産権を担保に資金を銀行より借り入れることができない。企業自身が国内金融機関から潤沢な運転資金を借り入れるのは困難となり、その結果、資金調達する場合は、政府機関などの保証による借入か、もしくは親会社が準備せざるを得ないのである。
 
(2)商法の現代化
PSAレポートにおいてもマーシャルの商業関連法制、とりわけ民間企業取引に関する法令は時代遅れであり、現代の経済情勢に適していないと指摘している。とりわけ破産法の不存在は、債権者が債権保全措置を取りえなくしている(17)
2003年にマーシャル政府がRRE救済として資金投入策を取ったのは、倒産させるとマーシャル経済への影響が大きいという理由に加え、マーシャルには破産法がないため倒産させても企業の資産処理がなしえず、企業にとっても債権者にとっても解決策がない状況に陥ってしまうことを考慮したからであった。コンパクト協定の改定交渉中であり、国内経済の混乱を避けたかった当時のマーシャル政府にとって、政府資金導入により企業を再活性化させるという既存の企業を再建させる以外の選択肢はありえなかった。しかしながら、マーシャル政府の執った措置は国際社会からは健全な対応とは看做されず、とりわけIMFからは2004年1月のレポートの中で「悪しき前例」として強く非難された。そのため、スーパー本店売却の前にもレイマーズ最高経営責任者はマーシャル政府に再度資金提供を求めたが、財政政策の健全化をすすめていた政府はこの求めを拒否した。その結果、RRE側も他社への売却以外の選択肢がなくなったのである。
以上のように、今後健全な国内企業の発展を進める上で、破産法の導入を含めた商法の現代化は不可欠である。また既存の商業関連規則についても不明確であるから同時に設立された法典の編纂を至急進めるべきであろう。
 
(3)外国人労働許可をめぐる制度改革
PSAレポートでは外国人の労働許可の困難さを上げ、このことがマーシャルの低い生産性につながっていると指摘している(18)。確かに安易に外国人に労働許可権を与えない理由としてマーシャル人の労働市場および経済体制を守るという意味がある。現在でも台湾系帰化人企業や中国系小売業の急激な進出でマーシャル人企業は経営危機に追いこまれつつある事実は否定できない。その一方で、有能な労働力を容易に導入できないことで、労働生産性向上に不可欠である外国人労働者の指導によるマーシャル人労働者の育成をする機会を阻害してきた。
PMOP閉鎖の中で、マーシャル国内のみでは労働者の十分な育成および労働市場の維持が困難であることが示された。開業当初に雇用した従業員のほとんどは女性であり、しかも定職についた経験がなかった。そのためPMOPでは、特殊技能者という枠組みで採用した日本人やフィリピン人が現地従業員の職場教育を行った(19)。その結果労働生産性の向上はみられ、2002年後半には3シフトの24時間生産体制が可能となっている。
しかし工場閉鎖後、従業員たちは他の企業へ流れることはなく、労働市場から自ら退出していった。工場閉鎖の一年後、筆者が確認できたPMOPの元従業員256名を相手に調査を行ったところ、大部分はそのまま無職となり(表5)、新たの仕事を探す動きを示していない。これはマーシャルの大家族制度が影響している。首都マジュロは都市化が進んだとはいえ、現在でも親類同士で一緒に暮らすのが一般的である。この場合、戸主(大部分は年長の男性)の権威が強く、家族が稼いできた給与はすべてこの戸主が徴収し、生活費以外は戸主自身の娯楽費用(大部分は飲酒代)に使われる(20)。そのため、PMOPの従業員の多くは、戸主に「搾取」されている家族の一員なので、仕事場がなくなることで毎日工場に行く必要がなく、家でゴロゴロできると喜んでいる。通常、家族の中に公務員や大手民間企業の従業員がいる場合が多いため、戸主も家族の失業を問題視しない。マーシャルでは、高い失業率に関わらず慢性的な労働力の不足が生じているが、その理由にはマーシャル人の労働に対する国民性が大きく影響しているのだろう。
 
 
 
  表5:PMOP閉鎖一年後(2005年6月)時点での従業員の動向



   無 職 建設現場 註2 小 売 店 業 その他 註3
男性(92人)    50人    24人    3人   15人
女性(164人)   136人    1人    8人   19人
合計(256人)註1   172人    25人   11人   34人



 (典拠:2005年6月に行った筆者の実地調査結果による)
  註1)PMOP閉鎖時点での従業員で筆者が確認できた人数(閉鎖時点の従業員は推定で550     人)
  註2)建設現場はすべて2004年より建設開始したマジュロ病院の建設現場でのアルバイト
  註3)多くは生活の保護を求めて、親類の住む米国(ハワイ)への移住や離島へ帰郷をしている。
 
このような現在のマーシャル人社会の中で、十分な労働力を国内のみで入手するのはきわめて困難である。そのため、有能な労働者を求めるあまり、一部企業では不法入国した中国人やフィリピン人をあえて雇用する場合もみられた。このことは労働市場の混乱と同時に、不法入国者による犯罪などの社会的混乱も生んでいる。
もちろん、小売業など特殊技術を必要としない部門にまで外国人労働者に求める必要はなく、こうした分野への外国人労働者の進出はある程度制限すべきであろう。しかし、特殊能力のある外国人への労働許可権取得をより簡略化することは、外国からの有能な労働力を導入できるとともに、マーシャル国民に対しても勤労を通じた労働力の教育・育成を図っていくことにつながる。この結果、社会秩序を安定させながら、健全な労働市場を構築することが期待できる。外国人労働者をめぐる制度改革においても、有益な投資や技術の進出に対しては規制を緩和し積極的に受入れ、商業などにはむしろ法的規制を強化していくという柔軟な対応が求められる。
 
(4)マーシャル政府の民間企業対策
マーシャル政府も民間企業対策を無視し続けてきたわけではない。建国以来5カ年計画や経済・社会状況レポートなどで改革プランが提案されてきたが、厳格な実施にまで至らず、有効な対策とならなかった(21)。しかし、マーシャル政府高官たちも2023年の改訂コンパクト協定終了後を見据えて、民間企業の育成に向けた制度の改革をすすめている。この改革の中心的役割を担っているのが、2005年2月に官房長官に就任したロバート(ボビー)・ムラーである。
 ムラー長官は、同国の官僚のトップであり、唯一閣僚以外で閣議に出席できる官房長官の座にマーシャル史上最年少の40歳で就任した逸材である。アマタ・カブア大統領時代からその才能は見込まれ、20代で資源開発次官および外務次官に就任して、各国との経済および外交交渉を担当してきた。さらに、改定コンパクト交渉では、コンパクト交渉室長として事実上一人で米国政府と交渉を進め、締結に持ち込んだ。リーダーシップを発揮できないケサイ・ノート大統領と担当省庁の問題ですらまともに把握できていない大臣たちで構成されている現在の政権の状況をみたとき、実際には彼がノート政権を実際にコントロールしているといえる。
ノート大統領の下でムラー長官の目指す政府のあり方は、大統領府が強力なリーダーシップを発揮した中央集権体制の確立である。最初に取り組んだのは、土地制度と金融制度の改革であった。「2003年土地記録及び登録法」が2003年9月にマーシャル議会を通過し、12月に議長の署名で成立した。同法では、土地登録庁(Land Registration Authority: LRA)が設置され、マーシャルにおける土地所有関係の記録・登録を行い土地関係の明確化を狙った。この法令およびLRAの設置によって土地を担保とする金融(担保物権)の発展が期待でき、マーシャル経済の発展に寄与することが期待される。
また、民間企業への補助金などの政府による直接の財政支援は否定し、政府系企業を含めた既存の非効率な民間企業を延命させる政策は採らないとした。一方で、第2次コンパクト協定によって増額された教育・保健衛生分野の資金援助を利用して、労働市場より求められる技術力のある人材育成を進めていく戦略を進めている(22)。不法滞在外国人の摘発強化を進める一方で、教育や保健衛生の分野では、積極的に外国人労働者の受入れを始めている。
こうした急激なトップダウンによる改革の断行に対し、野党はもちろん、一部閣僚や与党議員からも非難する声はあるものの、ノート大統領はムラー長官の政策を支持し、大統領府主導の改革を進めていく姿勢である。2006年に行われる予定の憲法評議会及び2007年11月に迫った総選挙の争点はまさに中央集権体制の確立の是非にあると思われる(23)
 
5.まとめ
 
 本稿では、マーシャル経済における民間企業を取り巻く環境について、民間企業の発達を妨げてきた経営環境の問題点を中心に検討してきた。
PMOPの閉鎖とRREスーパー本店の売却は、マーシャルの民間企業をめぐる行き詰まり状況を再認識させるとともに、政府とマーシャル人企業のリーダーとの間で、民間企業への政策に関する見解の違いを明らかにした。すなわち、中国・台湾系企業を排斥し、補助金を支給しながら政府の保護の下でマーシャル人企業を育成していくことを望む既存のマーシャル人企業側と、自助努力と競争原理により、台湾を含めた様々な外国からの投資を導入して、税収入を増やしていこうとする政権側との間の対立である。
政府・民間のいずれの対策を採るにしても、現状のマーシャルの経営環境は民間企業の発展を阻害している。すなわち土地制度や金融制度が未整備ゆえに海外からの投資は制限され、新規国内企業の育成を進まない。一方で、既存の企業も行き詰った場合に破産するなどのルールがないため、他社からの買収がない限り退出できず、企業の財政状態をさらに悪化させ、国内経済の税収や雇用を減少させることになる。また既存のマーシャル人労働者は伝統的な価値観に基づく労働意欲および経営姿勢が残っていることから、国内のみで人材の確保および育成をすることは困難である。ゆえに、外国人の労働許可をめぐる制度改革がなされない限り、有能な労働力の入手は期待できず、かえって不法入国している中国人労働者の拡大を許すことになるだろう。
マーシャルは小規模島嶼国であり、国際市場からも遠く離れているゆえ、すぐに大規模な外国資本の進出や国際競争力を持った民間企業の発展は期待できない。また、潤沢な資金援助が今後20年継続することが約束されているため、ムラー長官のような一部高官を除き、政府内でも民間企業の育成を緊急の問題として捉える雰囲気はほとんどみられない。とはいえ20年先には第2次コンパクト協定による資金援助も終了することから、少なくとも土地や金融なのでの制度面の改革に着手し、海外からの資本を誘致するに少しでも好ましい環境を整備しておく必要はあるだろう。マーシャルも本格的に経済的自立に向けた実践が求められる時代に来ている。
 

1 本稿では「マーシャル人企業」とした場合は、マーシャル生まれの現地人が経営する企業を指し、台湾系帰化人企業(フォルモサ・ショッピングセンターやジェーンズ・コーポレーション等)や中国系小売業を含まないとする。なおマーシャルでは、台湾人ビジネスマンのほとんどはパスポート購入等を利用して永住権を入手した帰化人である。
2 2004年に法人税の額が若干上昇した。この理由は台湾系帰化人企業が経営規模を拡大させたことによるものと考えられる。
(3)特に政府部門への給与支払いは、99年から04年までの5年間で19百万米ドルから30百万米ドルに急増している。これに関してブレンソン・ワセ財務大臣はこれ以上の政府部門の雇用の増加は、政府としても維持できないレベルにまでに達していると警告を発した(Pacific Magazine October 2005 p.36)
4 Economic Policy, Planning and Statistics Office (Office of the President) 2005 Republic of the Marshall Islands Statistical Yearbook 2004 pp.367
5 200410月よりPMOPの当初融資保証人の立場からMIMRAが工場管理を開始した。MIMRAは、工場を閉鎖し電源を遮断したため工場内大型冷蔵庫に収納されていた冷凍魚が腐敗し、工場周辺に悪臭が漂い、腐敗魚を海中に放棄したため海水汚染が生じた。
6 工場の再開について、水面下でマーシャル政府高官が中国系の民間企業と契約交渉を行っているという情報がある。ただしその場合でも、同企業に対する優遇策などの条件面や台湾政府との関係など、解決しなければならない問題が多数存在している。
7 アジア・南米地域の工場労働者の時給は平均50セントであるのに対し、同工場の時給は1.5米ドルであった。なお、マーシャルの最低賃金は法令で時給2米ドルと決められている。
8 RREは、1960年代から90年代後半にかけての最盛期には、フィジーのMorris HeadstromおよびサイパンのJoe Tensと並び称される大洋州地域のドミナント・カンパニーであった(Pacific Magazine November 2005. p8)
9 RREはアマタ・カブア政権と経済的には結びついていたが、政治的には対立する場面もあった。1991年の総選挙では、RREの理事(当時)ラムジー・レイマーズが反アマタ・カブア政権の中心人物だったトニー・デブルム元外務大臣と一緒にラタック・ラリック民主党を設立し、マジュロ選挙区より立候補すると共に(落選)、同党の経済的基盤を担った。
10 400万ドルの融資を受けたRREの場合は、利益の上がる分野のみに事業を絞り込むことにし、2004年に米国養殖会社に売却、2003年に閉鎖したマジュロ2号店もマーシャル政府に小学校建設用地として売却した(Marshall Islands Journal 2003/4/25 p3)。
11 Marshall Islands Journal 2005/10/21 p1-2
12 Asian Development Bank 2003 Republic of the Marshall Islands Private Sector Assessment: Promoting Growth through Reform.
13 同報告書では経営環境の整備以外にも、政府系企業の非効率的経営が及ぼす影響についても言及している。この問題に関しては別稿を準備中である。
14 Asian Development Bank 2004 Swimming Against the Tide? An Assessment of the Private Sector in the Pacific.
15 Republic of the Marshall Islands Private Sector Assessment: Promoting Growth through Reform. p.13-14
16 外国人企業が土地の長期リースを行う場合は、社長が個人で契約を結びか、現地のマーシャル人とパートナーシップ経営体制(現地のマーシャル人を株主にするなどを企業内部に取り込む共同経営体制)をとる方法が一般的である。
17ibid. p14-15.マーシャルの商法は196070年代に制定されており、その多くは50年代の米国の法令を基にしている。
18 ibid. p15-16.
(19)特にマーシャル人の国民性から来る「勤務時間に対するルーズさ(遅刻等)」は大問題であった。PMOPは日本人の技術者を数年間雇用契約し、技術面の指導のみならず、勤務面の教育も行った。
20 マーシャル人は戸主になると、40代で自主退職をして、家族の給与を当てにする生活をするようになる。この世代の男性のアルコール中毒および糖尿病がマーシャルの健康問題の一つとなっている。
21 Office of Planning and Statistics 1986 Republic of the Marshall Islands First Five Year Development Plan 1985-1989 Rephased for 1986/87-1990/99; Asian Development Bank 2001 METO2000 Marshall Islands Economic Report and Statement of Development Strategies; Republic of the Marshall Islands 2001 VISION 2018 The Strategic Development Plan Framework 2003-2018;など。
22 Pacific Magazine March 2005 p16
23 憲法評議会では、ノート政権はこれまでの英国・日本型の議院内閣制を米国型の大統領制へ変更を求める動きを示している。こうした背景にもノート政権の大統領府中心のトップダウン方式による中央集権化を目指すものと考えられている。ただし、20061月現在、政府の予算不足などの影響で、憲法評議会の2006年度内の開催は危ぶまれている。

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