今月、太平洋・島サミットとして知られる太平洋諸島フォーラム(PIF)の加盟諸国と日本との首脳会議が開かれる。これは日本が3年ごとに主催する会議で、今回はPIF加盟の16の首脳や代表が日本の代表と北海道のトマムのスキーリゾート地に集まり、5月22から2日間かけて顔を合わせる。PALMの初回の会合は1997年に東京、第2回は2000年に九州の宮埼、2003年・2006年には沖縄にて開催され、過去4回の実績を重ねてきた。
島サミットは、日本が太平洋諸島地域との関係を維持・強化するという外交戦略を展開する上で、きわめて重要と思われる。これまでこの地域への国際的関心はさほど大きいとは言えなかったが、ここへきて同地域にはかつてないほどの関心が集まっている。それは、旧宗主諸国だけでなく、日本や中国などの後発援助供与諸国もこぞって関心を向け始めたからであり、そのなかで日本も自国のポジションをいかに良好なものにするかに腐心しているのである。
これらの地域には、いわゆる旧宗主諸国による伝統的な国家間外交が施されてきたが、島嶼諸国にはLook North and Look East policiesのような政策があるように、従来型とは異なる日本外交のユニークな政策を太平洋島嶼諸国は支持してきた。しかし、第五回の島サミットが間近に迫った今、日本はその岐路に立っている。それは、日本のイニシアチブによるさまざまな共同事業や援助提案が、太平洋の隣人から多くの信頼を得られる可能性がある一方、島サミットの開催が、太平洋島嶼地域の団結を崩壊させる契機になるかもしれないという予想外の事態に直面しているからである。
島サミットは、島嶼諸国が発展する上で、日本が最も重要なパートナーとなることを目指して設けられた。日本はこれまで島嶼国が持つ固有の文化と社会を理解し、内政不干渉の姿勢を保つことで良好な関係を育んできた。これは日本の冷戦時代における倉成ドクトリンとして知られる太平洋諸国への政策に由来するものである。この日本独自の援助形態は、島嶼国が社会・政治的な激変にあっても必要時に開発援助を供出し続けることに成功し、援助を打ち切ってきた他の国々とは異なるものであった。結果的にこの方針が功を奏し、太平洋島嶼諸国は日本外交に対して好意的姿勢を示し続けてきたのである。
例えば、2006年の第4回島サミットでは、満場一致で日本の国連常任理事国入りを賛成した。日本が、他の地域でこのような支持を得るのが難しい。これを考えただけでも、島嶼諸国がいかに日本を高く評価してきたかが伺える。日本はODA大綱において、民主主義や良い統治(グッドガバナンス)等の基準を満たしていない被援助国に対し、開発資金を削減することでペナルティを課してきた。しかし、太平洋島嶼国に対しては、この方針は採用されず、実際の資金は、一般の人々の生活や活動、持続可能な発展等の分野にも使われてきたのである。
東南アジアやカリブ海諸島、アフリカに対しては、民主主義や良い統治が日本の開発援助の供与基準として守られてきたのに、なぜ島嶼諸国にこの基準を当てはめてこなかったのか、私には明らかではない。島嶼諸国が日本と同じ太平洋にあるという親近感や共存共栄を目指す隣人であるからとする者がいる。確かに、島嶼諸国のLook North and East policiesは、非宗主国からの支援を受ける上で重要な役割を果たしていたであろう。日本特有の援助方式に関しては、旧宗主国系の援助諸国との関連で論じられることはそれほど多くはなかったが、実際のところ従来の援助国は、日本を西洋型の供与の形態にしようと試みてきた節がある。
しかし日本は、これに影響されずに、日本特有のアプローチを維持している。日本政府が組織した外部有識者による島サミット検討委員会が最近、提出した提言書には、この日本のアプローチに賛同し、援助面でさらに協調する必要性を指摘しつつ、「日本のODAの特有な面」を維持すべきであると記している。これは、日本が島嶼諸国に対し、主体的な外交戦略を維持、展開していくための必要手段であるといえよう。
島サミットは、島嶼諸国と日本は対等な立場にあるパートナーであり、同地域の発展には日本が必要な国であるという認識を深める役割を果たしてきた。また他の援助供与国の多くは「ビッグ・ブラザー」のイメージ(口うるさい、支配者的態度)を付与されているが、日本の場合はそれを免れている。その意味でも島サミットは、今日まで日本の利益を十分に満たしてきたといえるだろう。
敗戦直後の日本は、米国の統治下に置かれた。その後、米国と安全保障条約を締結してからは順調に経済を発展させるとともに、社会的には争いを避けて平和を求める文化が浸透していった。こうした発展史は、経済的には非常な影響力を持っているものの、政治的には弱い国を作り出したのである。それは、世界の中で日本が卓越した経済力を有しているにも関わらず、政治が全面に出てきた場合は、概して過度に他国の意見に敏感に反応して受け身になってしまう実情を意味している。ケント・カルダーが例証しているように、この受け身的な日本のメンタリティが、独特の日本的外交の形成を可能にしたとは言えないまでも、躊躇したり、他国のリードに従ったりする姿勢に結びついたとはいえるだろう。
この傾向はあくまでも一般化した上での理解とはいえ、宮下明俊・佐藤洋一郎Hirata Keikoらが指摘しているように、これはある程度までの普遍性があると思える。だだ、個別事例を見れば、島サミットのように先見性を有する外交イニシアチブを発揮した事例もある。これを筆者は「戦略的受け身主義 strategic reactivism」としている。
この「戦略的受け身主義」は、太平洋島嶼地域での戦略遂行や国益保守に有利に働いており、伝統的に影響力のある旧宗主国の勢力から距離を置く上でも一役買っている。旧勢力の存在を考慮し、敢えて戦略的に受け身的な立場を取ることで、日本の国益に則した現実対応や戦略的対応を可能にしている。こうしたやり方は、日本が不平等条約を課せられた明治時代にまで遡ることができ、国際的政治力が脆弱な島国特有の在り方だと言っていいだろう。
島サミットは、島嶼諸国の首脳との直接協議によって地域開発を検討する機会となってきたが、2004年の沖縄サミットでは、PIFが主導した地域開発パシフック・プランへの支持を表明した。この計画は経済成長・持続可能な発展・グッドガバナンズ・安全保障の4つを柱とし、日本は直接の人的交流やコミュニケーションを支援の軸に加えると表明した。今度の島サミットでは、太平洋環境コミュニティ(PEC)として知られる別の日本のイニシアチブと共に環境問題を取り上げることになっている。これには日本が、島嶼地域への関与をさらに強化しようとする明確な狙いがある。
PECによる「環境」の概念は、単なる環境に留まらず、経済発展、持続可能な発展、ガバナンズ、安全保障、教育、環境等を含む可能性があり、これ以外に実に多くの事柄を含む可能性がある。PECは日本と太平洋諸島の小国家群のみにより構成されている点で興味深い制度・組織であり、今後の発展も注目に値する。これは日本からこの地域に無理やり持ち込まれたのではなく、地域問題・地域発展の観点から日本との効果的なパートナー関係を実現する上で切望されてきたものである。
PIFや島サミットは、一島嶼国の国内問題からは距離を置いているにも関わらず、フィジーで2006年に起きた軍隊が民主的に選ばれた政権から政権を奪った事件を大きな問題にした。フィジーからのレポートによると1997年の憲法が先月、国家元首により廃止された。フィジー問題とその政治的問題が島サミット開催の直前に生じたことで、日本は国際的な意見に過剰に敏感になった。そして5月7日、島サミットの主催者である麻生太郎首相は、フィジーの海軍大佐であり、首相であるVoreqe (Frank) Bainimaramaバイニマラマ国軍司令官を除いた全ての国の政府首脳を招待すると発表したのである。しかし、これは前例のないことだ。これにより日本は、これまでの島嶼地域への内政不干渉の立場と、島嶼諸国から独自の支持を得ていた外交政策を放棄したことになる。これで日本は、現地の複雑な現状を鑑みずに、欧米の理想を現地の島々に当てはめる従来型先進諸国と同様の存在として捉えられるだろう。
先に指摘したように、フィジーの暫定政権に対する先進諸国の硬直した態度は、島嶼諸国の団結を根底がら揺るがすものだ。
フィジーのPIFへの参加資格停止の措置は、地域内では前代未聞のことであった。太平洋には、「パシフィック・ウェイ」という地域政治の道標となる地域流のやり方があったのだが、それはもう死にかけているのだろうか。フィジーに批判的な国がある一方で、フィジーの国情を理解し、サポートすべきだと提案する国もある。某国の首脳は、域内にはフィジーよりも遥かに非民主的に選ばれた首脳がいると指摘する。また、かつて日本の委任統治だった地域は、自国の国益を鑑みた時、果たしてPIFの存在が有効なのかと疑問を呈し、この枠組の存続に関してあまり前向きではない。彼らはこれを契機に、さらに小さな地域主義の方向を模索するようになるかもしれない。そうなれば島サミットや日本が提唱するPECの存続自体にも影響し、太平洋地域の連帯にかかわる主義政策を直撃するかもしれない。
麻生首相個人は、この地域との関係が薄い。ましてや、島嶼諸国が置かれている複雑な状況に対する理解も希薄であろう。外務省で彼のアドバイザーを務める者は、国際世論を気にするあまり、個人的な判断を抑え込んで「事なかれ主義」に終始するべきではない。日本がこの地域へのプレゼンスを維持しようと真剣に考えているのなら、地域内の政治問題に巻き込まれないことだ。多くの学者らが指摘するように、日本外交が合意形成と他国のプレッシャーからなることを考えると、独自判断に基づく決定は難しいのかもしれない。リーダーシップやイニシアチブの能力を発揮しなければならないこのような場面で、日本の受け身的な特性は弱点となる。
日本のフィジー問題介入は、自ら西洋型援助国家であるとの表明にも思える。これでは、今まで築き上げてきた独自の地位を失ってしまうのではないか。こうした事態は、中国・台湾といった援助ライバル国の域内影響力を増大させることになり、日本が深刻な立場に追いやられる可能性を認識すべきだろう。
とにかく、第5回の島サミットにフィジー首脳が招かれないのは、非常に残念である。この決断により、日本が太平洋島嶼地域の結束に亀裂をもたらした最初の国だと思われないように、私は祈るばかりだ。
(この文章は著者の見解を示したものであり、必ずしもPIRFの見解ではありません)