PACIFIC WAY

 

パラオ最新レポート
    21世紀新政権スタート1年半後の現状
        〜世界不況の中、苦しい経済的自立〜

  

上原伸一(うえはら しんいち)

 7月13日から21日まで、1年半ぶりにパラオ取材を行った。2001年1月1日、21世紀の幕開けと共にスタートしたレメンゲソウ大統領、ピエラントッチ副大統領の新政権は、小さな政府・緊縮財政による経済自立を目指した。独立後7年目まさにコンパクト(米国との自由連合協定)期間半ばを担う政権としては、ある意味で当然の選択であった。コンパクトにより与えられた社会資本整備資金の大半は消費し終わっており、一方で国内収入は思ったほどには伸びず国家収入の半分が漸くという状態であり、その上世界的経済不況である。

 コロールの街は、昨年6月或いは一昨年10月に比べやや活気がなくなっているように感じられた。ここ数年来、パラオを訪問する度にコロールの街はきれいに整備され、近代的な街並みにどんどん変化していった。近代化された街並みからは10年前のコロールの雰囲気はもはや想像できない。しかし、昨年まで悪化する一方であった車の渋滞は減少しているように思われたし、道を歩いている人達の数もまばらのように思えた。日本人を中心とした観光客で賑わっていたレストランも空席が目立ち、店によっては閑古鳥が鳴いている様な状態であった。一方で、日本人観光客よりも地元パラオの人達がよく利用しているレストランでは、必ずしも客足は遠のいておらず、むしろ昔よりも客数が増えているように思われる店もあった。
 
 世界的経済不況の中、2009年コンパクト終了までに経済自立を果たさなければならないという課題を負ったレメンゲソウ政権だが、昨年の9月11日ニューヨークでのテロ事件の影響もあり、国内収入の減少に直面している。就任後1年半経過し、ようやく自らの具体的な政策展開が見え始めたレメンゲソウ大統領とインタビューを果たすことができた。最近のパラオ状況をリポートする。
 
<1>苦しい経済発展
 
 今年1月11日、日本の経済援助により建設されていた新K−B橋が完成した。1996年9月26日旧K−B橋が突然崩落し、主島バベルダオブとのアクセスを断たれたコロールは、一時混乱に陥り、アメリカ、日本などが緊急援助を行い急場をしのいだ。その後、1997年8月3日に、浮き橋形式の仮設橋が開通し、コロールとバベルダオブのアクセスは一応平常に戻った。この仮設橋の契約で保障されている耐久年限は5年であり、本格的な新橋の建設が必要であった。当時のナカムラ大統領は、日本政府に援助を要請し、日本の全額援助(建設費2500万ドル)で新橋の建設が決定した。これにちなんで、新K−B橋は日本パラオ友好橋と名付けられた。(写真:筆者撮影)

 この新K−B橋の完成により、コロールと今後の経済発展が望まれるバベルダオブ島のアクセスが万全のものとなり、経済発展のための第一前提条件は満たされた。しかしながら、コンパクト成立時のアメリカとの約束により、アメリカが建設するバベルダオブ周回道路は、1999年までに完成するはずであったが、建設が遅れ未だに完成していない。バベルダオブでは、本格的な陸上輸送を可能とするような道路の整備は今迄されていなかった。周回道路の完成により、バベルダオブ各州とコロールのアクセスが便利にならない限り、国を挙げての経済発展は望めない。コロールは、コロール、アラカベサン、マラカル3島からなる小さな州で、パラオの経済はすべてコロールに集中しているが、既に物理的にその機能は限界に近づいている。今後、パラオが経済的発展を望むならば、後背地としてのバベルダオブの活用が必要であり、そのためには交通のアクセスが何よりも重要である。バベルダオブ周回道路によるバベルダオブの活性化とトータルな経済発展は、1994年のパラオ独立時からの基本的な発展計画である。ちなみに、当時の大統領はナカムラ・クニオ氏で副大統領はトミー・レメンゲソウ現大統領であった。レメンゲソウ大統領が一番に掲げる環境保全の点からいっても、コロールへのこれ以上の過度の集中は避けなければならない。

 バベルダオブ周回道路の完成時期について、レメンゲソウ大統領は2004年末ぐらいが見込まれているが、天候状況などもあり、実際にいつ完成するか明確なことは分からない、と語っていた。実際、昨年来パラオは台風や大雨の被害を受けており、これにより工事が遅延していることは確かである。又、工事遅延により、建設費が嵩んで、当初予算では費用が足りなくなってきており、工事を請け負っている韓国の大宇建設が直接アメリカに対し予算の増額要求を行ったりしている。

 ナカムラ前大統領の時代に始まった首都移転計画はかなり進んでいた。元々、憲法により「この憲法が効力を発して10年以内に国会が恒久的な首都の場所をバベルダオブ島に指定するという条件で、暫定的な首都をコロールに置く」(パラオ共和国憲法第13条11項、邦訳は上原伸一「海の楽園パラオ−非核憲法の国は今」121頁による)と決められていた。首都をコロールからマルキヨクに移転させることについては、既に初代レメリク大統領の時代に国会によって定められていた。しかし、その後独立がなかなか果たせないままに、具体的な首都移転は放置されていた。1999年に入ってから、ナカムラ前大統領は首都のマルキヨクへの具体的な移転計画を立案し、自らの任期中に具体的な作業に着手した。2000年に始まったマルキヨク新首都のための建物建設は順調に進んでおり、現在のコロールの政府関係の庁舎とは比較にならない立派な総合庁舎が出来つつある。この費用は、主として台湾からの借入金で賄われており、2002年度予算で70万ドル、2003年度の予算案では147万ドルの借入金返済が計上されている。

 1994年の独立以来、ナカムラ前大統領は当時のレメンゲソウ副大統領と共に、独立国としての経済基盤を築くために、社会インフラの整備に力を注いできた。コンパクトの社会資本改善資金と日本の援助を2本柱に、コロールを始めとする各地の電力供給改善、上水道整備、コロール市内を中心とする道路整備等次々と実現させてきた。その途中で起こった(旧)K−B橋崩落の危機に対してもこれを乗り越えてきた。ナカムラ前大統領の後を継いだレメンゲソウ大統領も、社会資本整備については前からの路線を着実にこなしている。しかしながら、今まで述べてきたように、経済発展の基本的な原動力となるバベルダオブの活性化及びその前提となるコロール−バベルダオブの陸上交通の確保については、予定より遅れており、現状ではダイナミックな経済発展を望む環境には至っていない。

 一方で、世界的な不況の影響は当然のことながらパラオにも及んでいる。コンパクトによるアメリカからの援助金を始めとする外国からの援助収入を除いた、国内収入は独立前後は1800万ドル前後であったが1997年度には、2000万ドルを超え、2000年度予算では2700万ドルが計上されている。今世紀に入ってからは、レメンゲソウ大統領の予算縮小−小さな政府方針もあり、支出の減少と収入の増加により、収入予算に占める国内収入が50%を超えるようになった。2002年度では5250万ドルの予算に対し、3300万ドルの国内収入が計上された。しかしながら、経済の減速により実際の国内収入はそこまで伸びず、現在のところ2002年度は2950万ドルにとどまるとみられている(パラオの予算年度は10月1日−翌年9月30日。2002年度は2002年9月30日迄となる)。このため、政府は予算執行に当たり資金不足に陥り、コンパクト信託基金の利益から5万ドルを限度に現金を融通することを緊急に決め、国会もこれを認めた。コンパクト信託基金は、15年のコンパクト援助期間終了後に備えるもので、アメリカから基金として7000万ドルが与えられており、これを15年間の運用で3億ドルまで増やすのが目標である。この基金の運用益に手をつけるのは今回が初めてである。しかも、このコンパクト信託基金の運用自体が世界不況の影響受けて、一時は1億6000万ドルまで行っていたものが、現在では1億3450万ドルまで落ちてしまっている。

 パラオの国内収入は、観光にその多くを頼っている。昨年9月11日のニューヨークテロの影響はパラオの観光にも及んだ。9月の入国者数は、1999年、2000年共に4700人を超えていたが、2001年は3500人であった。10月も、2000年度約4000人に対し昨年は3116人にとどまった。その後、12月からは客が戻り、年間を通しては54111人であった。1999年が55493人、2000年が57732人であったので前年比6%強の減となる。1995年以来、日本人観光客は22000人前後で横ばいのままである。台湾からの観光客が1997年には3万人を超え急速な伸びを示したが、その後1万人台に下がり、年によって数千人の単位で上下している。従って、パラオの経済にとっては日本人観光客の存在は極めて大きい。日本経済不況の影響を受けて、客数そのものは減っていないものの、一人当たりのパラオにおける消費金額が大幅にダウンしている。レストランやカラオケバーでの風景も様変わりしている。観光客と地元の日本人で混んでいた日本系の店は軒並み客足が減り、時折り目立つのは、現地に駐在している日本人のグループである。パラオの国内収入に関しては、このことはかなりの影響を持っていると思われる。1998年に開業したパレイジアホテルは、翌年にはアウトリガー社が経営から手をを引き、独自経営が行われている。一方、昔からの一流ホテルであったニッコーホテル(旧コンチネンタルホテル)は今年6月末に閉鎖された。

 現在パラオでは、二つのゴルフ場建設計画が進んでいる。日本人観光客にはゴルフ好きな人々が多く、彼等を呼び込むためにゴルフ場は必要と考えている人達は多い。しかしながら、本当にパラオのゴルフ場が日本人観光客誘致に役立つかどうかは疑問である。晴れれば熱帯の太陽の下、強烈な日差しは一日でやけどを起こすほどであり、高温多湿に慣れた日本人とはいえこの環境下でのゴルフを楽しむ人がそう多くいるとは思えない。一方で、雨が降れば一気に気温は下がる。日本人が“熱帯”に持っているイメージとは違った肌寒さである。又、パラオの雨はえてして豪雨である事が多い。あの豪雨の中では、かなりのゴルフ好きの人でもプレーを控えるのではないだろうか。そうした状況を考えるとゴルフ場が、横ばいのままの日本人観光客数を伸ばすための強力な武器になると安易に期待する事は出来ないであろう。パラオは小さな島国であり、ゴルフ場が環境に与える影響は少なくない。ゴルフ場により海の生態系が影響を受けることは、沖縄で既に実証されている。環境派のレメンゲソウ大統領は、「私はゴルフ場を支持しているわけではない。環境に悪影響が出ない事を願っている。私の目指す観光は、量ではなく質の観光である。そうでないと、屈指の自然環境を売り物にするパラオの観光は“持続できる発展”(sustainable development)を果たす事は出来ない。」と語っていた。

 いずれにしても、世界的不況の中でパラオの産業の中心を占める観光業からの収入が近年のうちに大幅に伸びることは期待できない。農業や漁業にも可能性はあるが、農業の場合ここ数年の間に出来た農場が一定程度以上の規模に拡大していかないところからも、産業としての大幅な発展の難しさがうかがわれる。漁業に関しては、豊富な資源を有するパラオではあるが、どのような展開を図るかを明確に描かないと、乱獲による資源減少を招きかねない。又、近年の異常気象によりパラオの周辺海域にも色々な変化が表れてきている。リーフ内はもちろん、沿岸の環境保全が十分に保障される条件づくりが必要である。将来の観光の充実のためにも、環境に悪影響を与えないしっかりとした社会資本整備がまず求められている。しかしながら、コンパクトによる開発資金はほぼ使い果たしており、今後の整備をどう実現していくか、行政の手腕の問われるところである。上下水道(とりわけ下水処理施設)を始めとするインフラが十分に整備されない限り“持続できる発展”は不可能である。

 
<2>動き始めたレメンゲソウ政策
 大統領就任と同時に、小さな政府と予算縮小を打ち出したレメンゲソウ大統領だが、その後は縮小予算の中で前政権から続くインフラ整備事業を続ける程度で、新たな政策を展開することはなかった。しかし、就任後1年半を経てレメンゲソウ色を打ち出した政策が動き出している。

 ひとつは憲法改正である。昨年提唱し議会に諮っていた法案が漸く本格的審議に入った。大統領が提唱した憲法改正は、@上下両院に分かれている国会を1つにするA正副大統領の個別立候補をやめランニングメイトとするB現在認められていない二重市民権((市民権と国籍とはパラオでは完全に同義。基本的に国籍という言葉は使われない)を認める、の3点である。レメンゲソウ大統領自身は、「@パラオは小さな国であり、人口も23000人しかいない(筆者注:今年7月12日時点での有権者総数は12973人。パラオでは18歳以上が有権者)。一院で十分である。財政上の利点もある。A政策作り作業上も統合という点でも正副大統領はペアである方が望ましい。行政の安定と一体性を考えての提案である。B現行憲法下では、21歳までは二重の市民権が認められている。しかし、現在では多くのパラオ人がアメリカ始め諸外国の学校に行ったり、外国で働いたりしている。パラオ人はパラオ人としてのアイデンティティーを持っている。外国の市民権を得たからといって、パラオ人としての利権(interest)を手放さなければいけないというのは不便であり、必ずしも合理的とは思えない。アメリカや日本で生まれるパラオ人の子供もいる。どちらかひとつを選ばなければならない、ということはないと思う。」と説明してくれた。

 国会の一院制については、20世紀末から、財政縮小との関係で言われてきたことであり、コロールで聞く限り市民の間でもそうした声は強かった。正副大統領に関しては、初代のハルオ・レメリック=アルフォンソ・オイッテロン、第4代選出のクニオ・ナカムラ=トミー・レメンゲソウ以外は、選挙に於いて対立する相手との組み合わせとなっており、正副大統領としてしばしば政策上の違いが表面化することがあった。二重市民権の問題については、近年特に海外へ出ていく若者が増えており、優秀な人材をパラオ人として国につなぎ止めて置くという意味がある。実際、外国で活躍しているパラオ人の中には、その国の市民権をとらないと不利になることが多いので、その国の市民権を得たいが、パラオ国民であることはやめたくないという声がある。又、今回の上院におけるチン氏の議員資格問題もある程度の影響を与えていると思われる。

 この問題に関し、前大統領クニオ・ナカムラ氏は、「議会を一院にすることについては賛成である。1州1人の代表プラス何人かの人口比の代表で構成し、半数ずつ任期をずらして改選すれば、議会側の連続性も図れる。二重市民権に関しては、アメリカを始め相手国が認めないので実現は難しいのではないか。正副大統領はランニングメイトの方が2人の関係がスムーズにいくという利点はある。しかし、現行制度の場合にはそれぞれが相手をチェックして独裁を防ぐという機能もある。何よりも、最も優秀な人材がその地位に就くという点ではランニングメイトではない方が良いと思う。」と語っていた。

 下院では、大統領からの提案を受け、各州毎のヒアリングを行った。ヒアリングでは、一院制に関しては賛否半々で、二重市民権が一番賛成が多かった。これを受けて、下院で審議が行われ7月24日採択の投票が行われた。結果は、一院制については賛成6反対7欠席3で否決。ランニングメイト制については、賛成13反対0欠席3で可決。二重国籍については賛成12反対0棄権1欠席3で可決となった(国会各院の議員定数の4分の3以上の賛成をもって憲法改正の発議ができる)。これにより、ランニングメイト制及び二重国籍についての憲法改正問題は上院に送られた。上院の4分の3以上(現在8人で運営されている前提に立てば6人以上)の賛成が得られた項目については次の総選挙時に国民投票にかけられる事になる。下院は、各州1名からの代表により構成されており、各州が中央政府から予算を取るに際し重要な役割を果たしている。州のヒアリングでも一院制に対する反対が最も多かったのはこれ故だと思われる。

 この問題とは別に、レメンゲソウ大統領は7月29日に“公共投資プログラム案”を発表し、議会に送った。議会の決議を得て国全体としての公共投資計画として実行に移していきたい意向である。このプログラムは、5年間の公共部門、とりわけインフラ整備のための投資計画であり、現在進んでいるものの他、今後すべきものについてABC3段階のプライオリティーをつけてそれぞれに必要な投資の概算額が示されている。既に述べて来た様に、パラオは経済的に極めて苦しい状況にあるが、一方では将来を見据えて最低限のしっかりしたインフラ整備が必要な時期である。まだ予算化されていないこの投資プログラム総額は1億7000万ドルに及ぶ。2003年度の予算案が5300万ドルのパラオがこの投資資金をどうするか、コンパクトの社会資本整備資金はほぼ使い果たしており、現実には大変厳しいものがある。しかし、ここで大統領が国として整備すべき具体的な施策を提示したことの意義は大きい。如何にしてこのプログラム案に議会の同意を得るか、その後にどのような資金調達を行うか、大統領としてのリーダーシップが問われるところである。 このプログラム案では、観光業をパラオの経済発展のエンジンと位置付け、それを支えるインフラ整備に重点を置いている。上下水道、通信、電気の他、空港の拡張と空港へのアクセスの整備といった直接観光に繋がる分野のみならず、新しい廃棄物処理場の提案も行われている。現在の廃棄物処理場は手一杯になっており、国としても新たな処理場が求められている。それ以上に、環境を保持して“質”の観光を目指すレメンゲソウ大統領としては、環境への影響のないような廃棄物処理場は極めて大事なものであり、高いプライオリティーを与えている。この他に、農業及び漁業の分野でも産業振興に必要な基盤整備の投資にAランクのプライオリティーが与えられている。それと共に、パラオ自身による輸出入の為だけでなく、太平洋の中継港としての機能を果たすため、マラカル港の港湾設備拡大が盛り込まれている。

<3>カムセック・チン氏上院議員資格問題
 2000年11月7日に行われた総選挙で選ばれた上院議員の内、前法務大臣カムセック・チン氏の議員資格に疑問が呈された問題については(「パシフィックウェイ」117号、118号、太平洋諸島地域研究所ホームページレポート参照。問題が始まってから1年半以上経過しているので、本稿では当初からの簡単な経緯を含めて最新の状況を報告する)、いまだ解決せず、第6次国会がスタートしてから1年半以上もの間、9名定員の上院は8名で運営されている。

 総選挙の約2週間後、2000年11月23日に選挙管理委員会が選挙結果を公式発表し、一旦は上院議員9名が確定した。チン氏の議員資格問題については、それまでに選挙管理委員会に対しても問題提起されていたが、選挙管理委員会としては特段問題なしとして最終的な選挙結果を発表した。これに対し、チン氏の議員資格を問題とする人たちは最高裁判所(パラオでは国や州政府が相手の裁判の第一審は最高裁審理部が扱うことになっている)にチン氏議員資格無効の提訴を行った。

 チン氏の議員資格に対する問題点は2点である。第1点目は、パラオでは議員になるためには、選挙に先立って(直前)5年間以上パラオに居住していることが必要だが、チン氏は長いことアメリカ軍の将校を務めており、パラオに帰国したのは1997年の法務大臣任命直前であった為、この居住条件を満たしていない。第2点目は、チン氏はアメリカ陸軍の将校であった以上アメリカの市民権を持っているはずであり、二重国籍を認めないパラオの憲法下では、チン氏はパラオの市民権を有しておらず議員資格がないということである。この提訴に対し、最高裁審理部は2000年12月末に、「憲法第9条10項の規定により上院議員の資格を判断できるのは上院だけである。」として訴えを退けた。一方で、チン氏サイドからは、議員資格有効確認の訴えが出された。これに対し、最高裁は2001年2月15日に「チン氏はアメリカの市民権を得た事はなく、又物理的に他の土地に居る期間があったとしても、パラオに住居を構え、メイドを雇い、居住前提の維持をしていたことから実質的な居住の条件は満たしている。」として、実質的にチン氏の議員資格を認めた。
 
 上院サイドでは、資格委員会(ジョシュア・コシバ委員長、ハリー・フリッツ議員、ユキオ・ドゴックル議員の3名から成る)を中心に議論を進め、上院議長のセイト・アンドレス氏も加わって問題の解決に当たった。チン氏を除く上院議員8名のうちアンドレス議長、コシバ資格委員会委員長、ハリー・フリッツ資格委員会委員、ジョニー・レクライ、スティーブン・カナイの5議員が多数派を形成し、チン氏の議員資格無効を主張している。これに対し、チン氏の議員資格を認める少数派は、スランゲル・ウィップス、ユキオ・ドゴックル、ミルブ・メチュールの3議員である。

 チン氏は、在パラオアメリカ大使館の臨時代理大使から、「チン氏はアメリカ市民ではないし、アメリカの市民権を得た事もない。」という手紙を受け取り、それをアメリカの市民権を有していない証拠として上院に提出した。しかしながら、上院サイドはこの手紙では証拠として不十分だとし、「アメリカ陸軍の上級将校であった以上アメリカ市民権を得ていたはず」との根拠から、アメリカ政府に対し正式にチン氏の身分(市民権取得の有無)の照会を行った。これに対し、アメリカ政府は「個人情報・プライバシーにかかわることについては本人の同意書がなければ開示できない。」と回答してきた。これを受けて、上院は、「5月末までに同意書にサインして提出すること。同意書を提出することを条件に議員資格を認める。但し、アメリカ市民であることがアメリカ政府からの回答で確認された時は資格を剥奪する。」という上院決議6-42を2001年5月1日に成立させ、チン氏に同意書の提出を求めた。

 チン氏サイドは、既に議員資格の証明は十分であり今更同意書を提出する必要はないとして上院側の要求を拒否した。これを受けて上院は、チン氏の議席を欠員とし60日以内に補欠選挙行う決議6-49を成立させた。補欠選挙は2001年7月16日(後に7月31日に変更)に設定され、6人の立候補者届け出も行われた。チン氏は、6月18日に補欠選挙の差し止めと自らの議員資格の確認を求めて提訴した。最高裁は、7月12日の判決で、補欠選挙の差し止めを認めた。

 その後、上院多数派はチン氏がアメリカのグリーンカード(永住権)を持っていることを取り上げ、改めてパラオ憲法の定める居住条件についてチン氏の資格に疑問を呈し、2001年9月20日にチン氏の議員資格を無効とする上院決議6-55を、賛成5、反対2、欠席1で可決した。

最高裁は上院決議6-42に対し、2002年1月21日に判決を下し、チン氏に同意書へのサインを求めたのは憲法の規定に触れるとして無効とした。その一方で、同決議の中で、同意書を条件にしながらも議員資格を認めていた部分については、その有効性を認定し、チン氏は2001年5月1日から上院の決議に基づき議席を得た、との判決を出した。これに対し、上院サイドはこの判断をしたマイケルソン判事に対し、公正ではないとして忌避を1月28日に最高裁に申し立てた。一方、チン氏は1月21日の判決翌日に上院に登院し上院は混乱に陥った。上院は、控訴審の判決が出るまでチン氏の登院を停止するよう最高裁に求めた。さらに、アンドレス議長はチン氏に手紙を出して、混乱を回避するため登院を見合わせるよう要望した。チン氏は、自らの議員資格の有効性を主張しながらも、混乱回避のための議長を要請を受け入れた。

 マイケルソン判事忌避の申し立ては最高裁により却下され、提訴は改めてマイケルソン判事に差し戻された。2002年5月3日、マイケルソン判事は前回と同じ判決を下した。この間の2001年9月20日に上院は、チン氏の議員資格無効決議6-55を採択している。最高裁自身、憲法の規定により上院議員の資格を決定できるのは上院だけである事を認めているので、この決議が有効であればチン氏の議員資格喪失が明確になる。しかし、最高裁は5月3日の判決の中で、この決議は上院のメンバーの3分の2の賛成を得ておらず無効であると認定した。ちなみにパラオ憲法第9条10項には、「国会両院は各々、選挙と各委員、議員の資格の唯一の判断者であり、議員を懲戒し、議員の3分の2以上の評決をもって議員を停職または除名する事ができる。(前掲116頁)」と規定している。憲法の規定では、「議員の3分の2以上の評決」となっており、議員定数であれ、現在の確定議員数であれ、3分の2以上を満たす為には6名の賛成が必要である。これに対し、上院は反対が2名だから、3分の2以上の評決を得たとした。ここで問題になるのは、上院規則8(H)である。ここでは、“上院の採決において、出席議員が議長の指名に応じなかったり、イエス・ノーの判断を示さなかった場合、議長は書記に対し当該議員の投票は賛成であった旨記録することを命じ、当該投票は賛成とみなす”と規定されている。この規定を応用して、上院は反対2名故、賛成を6名とみなし、3分の2以上の評決を得たと解釈した。これに対し裁判所は、メチュール議員は欠席であり、議長が書記に対しメチュール議員が賛成であった旨記録するように命じた事実もなかったことから、賛成は5名であり、3分の2の評決は得られていないと判断した。

 この判決前日の5月2日に、ハリー・フリッツ上院議員は、チン氏の代わりに2000年の総選挙で10位(次点)であったルシアス・マルソル氏を繰り上げ当選させる決議案を提出した。一方で、昨年半ば以来進んでいた上院多数派に対するリコール請求運動が本格的に行われ、5月16日にはセイト・アンドレス上院議長とジュシア・コシバ上院資格委員会委員長に対するリコール請求が正式に提出された。チン氏を支持する人たちは、国会前にテントを張り、チン氏の議員資格有効を訴えるデモンストレーションと共に、昨年半ばごろから上院多数派議員に対するリコールの動きを見せていた。チン氏の資格を疑う上院における決議と基本的にチン氏の議員資格を認める最高裁の判決が行き来している内にリコール請求への動きが進み、リコール請求提出に至った。

 パラオ共和国憲法では第9条17項で、「国民は国会議員をリコールすることができる。リコールは、リコールの要求されている議員名を表記し、リコールの根拠を記述し、直前の選挙で当該国会議員に投票した総人数の25%以上によって署名された請願書によって開始される。リコール請願が提出されて60暦日以内に特別リコール選挙が行われる。リコール選挙の投票者の過半数の承認をもってのみ国会議員は解職され、その欠員は法に従って行われる特別選挙によって補充される。(前掲117頁)」と定めている。5月16日選挙管理委員会に提出されたリコール請求の署名は、アンドレス議長、コシバ議員それぞれに対して約2800ずつであった。選挙管理委員会は、署名の審査を行い、最終的にアンドレス議長に対しては2378、コシバ議員に対しては2447のリコール請求署名が有効と認めた。アンドレス議長の総選挙時の得票数は6108、コシバ議員は6283であった。それぞれその25%、つまりアンドレス議長に対しては1527、コシバ議員に対しては1571のリコール請求署名があればリコールは成立する。

 この結果を受けて、選挙管理委員会は7月11日にリコール投票を設定した。上院多数派は、@リコールに署名をした人たちは、その意味がよくわかっていないままに署名したものであり無効であるA署名の有効性に関して選挙管理委員会のチェックが不十分であるB得票数の25%ではなく、有権者数の25%の署名がなければリコールは成立しない等の理由を挙げて最高裁に提訴したが、この訴えは退けられた。投票に先立ち、アイバドル、アルクライ両酋長は一緒になってチン氏擁護のキャンペーンを行った。ナカムラ前大統領もチン氏を擁護した。

 リコールの結果は、有権者総数12973、投票総数6599で投票率50.9%とパラオの投票では異例の低い投票率となった。結果は、アンドレス氏は、賛成2547、反対3952、無効票11、白票89。コシバ氏、賛成2612、反対3787、無効11、白票189で両氏ともリコールは否決された。両派の長い争いに国民がかなり飽き、疲れ、嫌気がさしてきたのが、このリコールの実現と否決という結果に表れていると思われる。筆者が知る限り、国会議員に対するリコール投票が行われたのは今回が初めてである。ナカムラ前大統領は、否決されたとは言えリコール投票が成立しただけで意味は大きい、と語っていた。そういう意味では、1981年パラオ憲法が発効して以来の大事件ではある。街中では、昨年前半以来チン氏擁護の声が一般的に多く聞かれていた。しかしながら、リコールが否決されたのは、この問題だけで議員資格(しかも、前回総選挙時の得票数で言えばアンドレス氏は3位、コシバ氏は2位である)を奪うのは必ずしも妥当ではないとパラオ国民は判断したのであろう。一方で、リコールの対象となった2人が、昨年の総選挙時に比べて支持を失っているのは、リコール反対票が総選挙時の得票の3分の2以下になっている事実に表れている。なによりも、長すぎる争いに国民が倦んでいる最大の証拠は、50.9%という数字である。このリコール否決以降、コロールの街中では、それまでチン氏を熱心に擁護していた人達も、チン氏も今回は不運だとあきらめないと仕方がないのではないか、という言い方に変わってきている。

 リコール投票の前日7月10日、最高裁はチン氏が上院事務局及び選挙管理委員会を相手取って起こしていた提訴に対し判決を下した。@チン氏の議席を埋めるための選挙差し止め請求に対しては、今迄も既に判断をしているように、そのような選挙は行うべきではないとして、チン氏の議席に対する補欠選挙の永久差し止めを認めた。A上院議員の資格を決められるのは上院だけ、という憲法の規定は上院議員になったものに対してであって、上院議員になる手続きに関しては適用されないというチン氏の主張は却下。B上院の部屋、秘書サービス等を与えるべきだという上院事務局に対する要求に対しては、現状において事務局の手に余る要求だとしてこれを却下。C昨年1月からの上院議員としての給料支払いの要求に対しては、要求する相手が違い、財務当局を相手にすべきことであるとしながらも、法で定められていることであるからとして給料の支払いを認めた。D訴訟費用及び弁護士費用を国に負担せよという要求は却下。この判決内容からも分かるように、裁判所は現時点では少なくともチン氏の議員資格を認めていることが読み取れる。しかしながら、本判決の中にも示されているように、上院議員になる前であろうがなった後であろうが上院議員の資格を決める最終決定権者は上院のみという憲法解釈を最高裁判所は堅持している。一方で、上院ではチン氏の議員資格無効をする人たちが多数派を占めている。しかも、多数派とはいえ議員総数の3分の2には至っていないため、チン氏の議員資格を剥奪するには至らない。結果として、議論は堂々巡りし、第6次国会が始まって1年半以上たつ今も上院9議席のうち1議席が確定しないままである。

 上院少数派(チン氏擁護派)のスランゲル・ウィップス議員は、「10位のマルソル氏が繰り上がれば多数派は6名となり、上院の3分の2を占める。しかし、チン氏の議席が認められると、上院の勢力比は5対4となり、多数派は必ずしも絶えず自分たちの思うように議決することが出来るとは限らなくなる。彼らはそれを恐れている。今迄の裁判では、チン氏の議員資格に関する基本的な問題点では全てチン氏が勝っている。チン氏がアメリカ市民権を有していることが証明されるまではチン氏に議席を認めるべきである。」と、強く語っていた。

 いずれにせよ異常事態であることは間違いない。国民が長い争いに倦んでいる事も事実である。何よりも、定員9名の上院を8名の議員で運営し続ける事自体、法の精神に反している。一刻も早い解決が望まれる。上院の1議席を巡っての争いに片が付かない内に、一方では2004年の選挙に向かって様々な思惑が既に動き始めている。
(2002年8月25日脱稿)