【トピックス】
グアムのカマチョ知事が北マリアナとの合併に意欲
グアムのカマチョ知事が、北マリアナとの統一に向けた議論を呼びかけた。
グアムと北マリアナにはアイデンティティを共有する同じ民族(チャモロ人)が住んでいる。しかし植民地分割の過程で、グアムは1999年にスペインからアメリカに割譲された後、1950年に「グアム組織法」(Organic Act of Guam)によって「アメリカ領」(incorporated territory)となった。一方北マリアナはスペインからドイツへの売却、日本による委任統治、アメリカによる信託統治を経て、1978年にアメリカの自治領(Commonwealth)となって現在に至っている。
北マリアナとの合併には、1960年代にグアムがこれを拒否した歴史がある。アメリカの信託統治終了後の政治的地位を模索する最中、北マリアナには他のミクロネシア地域(現在のミクロネシア3国)との統一国家に参加するよりも、同じチャモロ人の住むグアムとの合併を望む声があったのだが、グアム側は1969年に住民投票を行い、北マリアナとの統一を拒絶する決定を行っている。カマチョ知事は、太平洋戦争時に北マリアナ人が日本のためにグアムの占領統治に荷担したという歴史もあり、両者の間には若干の「しこり」が残っていることを認めた上で、「双方がともに許しあう必要があるが、その価値は十分にあると思う」と語っている。ところで、グアム側が北マリアナとの合併を持ち出した大きな理由のひとつには、グアムが「アメリカ領」として内政自主権に様々な制約を受けていることへの不満がある。アメリカとの協定に基づく「自治領」で、独自憲法も有する北マリアナと異なり、グアムはアメリカ国内法の「グアム組織法」に縛られており、管轄権はアメリカが持っている。このため移民や課税などで独自政策を打ち出す権限を持たず、アメリカはいつでもグアムの内政に介入し、必要な際には取って代わることもできる。グアムは連邦議会代表議員を通じるなどしてこれまでも自治権の拡大を訴えてきたが、アメリカ側からの芳しい反応を得ることはできなかった。
こうした状況をふまえ、カマチョ知事は過去、グアムの地位改善運動が常にアメリカ本土に目を向け、北マリアナの存在を軽視してきたことを率直に認めた上で、両者が統一すれば、「アメリカ政府への声も大きくなる」とその意義を強調している。北マリアナとの統一提案は、統一そのものとともにそれをテコとして新たな政治地位を獲得することへの期待感も大きいのではないかと思われる。カマチョ知事は両地域が統一する過程で、独立、「州」の地位の獲得、自由連合国化、自治領化の4つの政治的選択があるとしている。このうち「独立」については、言及することの政治的意味は別として現実的可能性はほぼないと思われ、実際には後三者のいずれかを選択、対米交渉を行うことになろう。
ところで、12月初頭にグアム大学のバレンドルフ教授が「過去アメリカはグアムの自治領化にGOサインを出したことがあった」との発表を行ったことも、別の意味でグアムの地位改善への期待に大きな弾みをつけることになった。
バレンドルフ教授によると、1970年代のグアムに関するアメリカ政府文書の機密解除に成功して関連文書を入手した結果、フォード大統領が1975年初めにグアムに自治領の地位を与える勧告を承認していたことを発見したという。バレンドルフ教授の調査によると、1973年から1974年にかけてアメリカ政府はグアムの政治地位に関する調査報告書をとりまとめ、その中でグアムに自治領の地位を与えることを勧告、これをフォード大統領が承認したのだという。「しかしこの情報はなぜかグアム側には伝えられず、結局そのまま葬り去られてしまった」とバレンドルフ教授は語っている。
グアム議会のアグオン副議長は、このニュースを受けて、「アメリカ政府がその勧告を再検討することに高い関心がある」とした上で、「現在グアムは外国とのどんな協定でも内務省を通じて行わなければないが、地理的にアジアとの関係が重要なグアムにとっては、自ら主体的に日本、台湾、フィリピンといった近隣諸国と経済関係を確立することのできる地位が必要である」と語っている。
北マリアナとの合併への動機が単なる政治地位の問題に収斂してしまえば、グアムが単独で「自治領化」を目指すという動きにとどまるかもしれない。しかし展開によっては「統一マリアナの結成」という民族運動に発展する可能性も十分に秘めているようにも思える。
かつての戦争の記憶はすでに薄れつつあり、現在両者の間にはむしろ同じ祖先を持ち、同じ言葉を話すチャモロ人としての親近感の方が大きい。1960年代には統一の大きなネックとなった経済格差の問題も、1970年代後半から北マリアナが急成長した結果、その差は大きく縮まっている。人口数はグアムが16万、北マリアナが8万と約2倍の開きがあるが、片方が「飲み込まれる」と懸念するほどではない。面積は北マリアナ477平方キロ、グアム549平方キロとほぼ拮抗している。行政制度もアメリカ型で類似しているし、主要産業も同じ観光業である。こうしてみると、対米関係は別として当事者間の障害はそれほど大きくないものと思われる。
カマチョ知事の提案がグアム内部で、また北マリアナ側から如何なる反応を引き出すのか、この提案が双方で大きな潮流となって動き出すのかはまだわからない。しかしカマチョ知事はすでに北マリアナのババウタ知事と会って合併について議論したとしており、少なくともカマチョ知事には真剣な政治課題である。
カマチョ知事はマリアナバラエティ紙の記事でこう語っている。「これは包括的に論じられる必要があるデリケートな問題であり、おそらく非常に長いプロセスが必要であろう。しかし私は我々がこの方向に向かい工程表を作成すべきであると思う。過去グアムと北マリアナ諸島は常に一体だった。統一マリアナの実現は私の夢である」。
(参考:Pacnews, 2003.12.3/12.8/12.10)(小川和美)
トンガの言論規制問題に対し、オーストラリアとニュージーランドが対応に温度差
このところトンガで大きな国内問題となっている言論の自由に対する規制の問題で、オーストラリアとニュージーランドが異なる反応を見せている。トンガ政府最大のターゲットとなっているトンガ・タイムス紙(Taimi o Tanga)本社をオークランドにかかえるニュージーランドでは、11月25日、国会委員会(parliamentary committee)がトンガとの関係を検討することを発表、言論の自由に関する憲法改正問題も検討課題とされることとなった。議会では、左派系のシャーレイ(Shirley)議員とドゥンネ(Dunne)議員が、トンガ王制は前近代的であるとしてトンガ政府を痛烈に非難し、政府に対して状況改善のための措置を講じるよう強く働きかけている。
これに対しトンガ政府は11月27日、在トンガのワーウィック(Warwick)ニュージーランド高等弁務官を呼び、シャーレイ議員らの主張はニュージーランド政府の見解ではないことを確認させた。またエドワーズ(Edwards)首相代理は、ニュージーランド・ヘラルド紙が11月27日付記事に掲載した「トンガは最近国王の行為を審査する裁判所の権限を停止し、出版の自由を極端に制限するための憲法の改正をおこなった」という記事に対しても抗議文を送付し訂正を要求した。エドワーズ首相代理は、援助を含める形での外交関係の検討は、主権国家トンガへの脅迫であるとして遺憾の意を表明している。これに対しニュージーランドのゴフ外務大臣は、こうした二国間関係の包括的検討は、「アメリカやオーストラリアについても行っているもの」と説明している。トンガとの関係検討委員会は、2004年3月28日まで、援助問題をはじめ、通商、防衛、議会関係等について包括的に調査・検討する予定である。
他方、12月16日にトンガを訪問したオーストラリアのダウナー(Downer)外務大臣は、オーストラリアはトンガの賢明な改革を支持し、問題はトンガ国民によって解決されるべきであると表明し、この問題を静観するオーストラリア政府の姿勢を鮮明にした。また、民主化運動を推進するポヒヴァ(Pohiva)平民選出議員らのダゥナー外相との会談要求に対しても、「時間がない」ことを理由にこれを拒否、トンガ政府の言論の自由への制限に危機感を持つトンガ国民を落胆させている。ポヒヴァ議員らは、オーストラリアがトンガには何もせず、パプアニューギニアやソロモン諸島には「良い統治(good governance)」を求めて積極的に行動しているのはダブルスタンダードだと非難している。
最近オーストラリアの島嶼地域全体に対するプレゼンスの拡大志向が指摘されているが、トンガの問題への対応の違いは興味深い。保守的なハワード政権と、左派系のクラーク政権という前提条件はあるにしても、今回のトンガをめぐる両国の対応からは、オーストラリアはメラネシアでの、ニュージーランドはポリネシアでのリーダーシップを重視する両国の伝統的な姿勢が依然として垣間見られるように思われる。
(参考:Age, 2003.12.17 / NZH, 2003.12.11ほか)(玉井昇)